04・それぞれの想い
午後4時。
東京都月白区にあるインクルシオ東京本部の南班にて、緊急会議が開かれた。
1階の会議室には、非番の者を含めて大勢の対策官が集まっている。
──インクルシオ東京本部では、東京23区を「東西南北」と「中央」の5エリアに分けて班を置いている。一つの班は5区〜6区を管轄し、40〜50名の対策官が所属する。例外として中央班は月白区の1区のみを担当しており、所属する対策官は20名であった。
南班の緊急会議では、木賊区で発生した反人間組織『アダマス』の剛木三太による襲撃事件について、雨瀬眞白と塩田渉が報告をした。
下校途中のガード下で三太に遭遇してから逃げるまでの経緯を説明する。
会議室の最前列の長机に座った鷹村哲は、険しい表情を浮かべた。
(……剛木三太は眞白の名前や学校を知っていた。樋口さんの指が折られていた理由はこれか……)
雨瀬が三太に「狙われて」襲われたという事実に、鷹村は唇を噛む。
やがて、南班の対策官全員を集めた緊急会議は20分ほどで散会となった。
「お前ら、よう頑張ったな」
会議終了後、特別対策官の童子将也が高校生たちの側に駆け寄った。
「童子さん……! 俺、すっげぇ怖かったです……!」
緊張の糸がようやく解けたのか、塩田が情けない声を出す。
「相手が剛木三太だとわかった瞬間、足が震えたわ。みんなで無事に逃げられてよかった……」
胸を撫でおろした最上七葉の言葉に、鷹村と雨瀬がうなずいた。
童子は全員の頭をぽんぽんぽんぽんと優しく叩いた。
高校生たちが童子を見上げる。
童子は一人一人に言った。
「雨瀬。塩田を逃がす為によう体を張った。塩田。状況判断はペケやけど、雨瀬に加勢しようとした心意気は買う。鷹村。あの場面で一番正しい判断をした。最上。震える足を止めずに塩田を引きずってよう走った」
童子の言葉に、塩田が「やった。童子さんに褒められた」と笑顔を見せる。
鷹村が「お前は状況判断ペケだろ」と突っ込み、最上が「ふふ」と笑った。
雨瀬はそれまで重たかった空気が少し和らいだ気がした。
童子は「当面は」と言葉を続けた。
「お前らの登下校は、俺が同伴する」
「え? でも……」
塩田が戸惑った声をあげる。鷹村、雨瀬、最上も童子の発言に驚いた。
童子は高校生4人の指導担当であるが、その他にも特別対策官として様々な任務に携わっている。高校生たちが学校に行っている間は、童子は単独もしくは他の対策官と共に捜査や重要案件にあたっていた。
インクルシオNo.1の実力者である童子の時間を割いてしまう提案に、雨瀬が「あの」と声を出す。
「僕らがナイフとか小型の武器を携帯すれば、童子さんの手を煩わせなくても……」
「そうだよ。武器さえあれば、俺たちだって」
雨瀬に続いて塩田が言った。
しかし、童子は首を横に振った。
「それはそれで必要やから、俺が上に許可申請を出しておく。せやけど、今回の話はそれとはちゃう。今のお前らの実力では『アダマス』とぶつかるのは無茶やということや。『アダマス』の件が収束するまでは、俺がお前らの側につく」
童子のきっぱりとした口調に高校生たちは黙った。
雨瀬は白髪を揺らしてうつむく。
ふと、三太に首筋の皮膚を抉られた際に流れた血が、シャツに付いているのが目に入った。
童子は静かで優しい声で言った。
「何も気にせんでええ。俺の最優先事項はお前らや」
その夜。インクルシオ寮の1階に設けられた檜造りの大浴場を出た雨瀬と鷹村は、3階の自室に向かった。
エレベーターを降りて廊下を歩いていると、前方から見知った顔がやってきた。
「お。今話題の奴らじゃん」
タオルと着替えを手にして口元を歪ませたのは、東班に所属する藤丸遼と湯本広大だった。
鷹村があからさまに眉根を寄せる。
藤丸はずかずかと大股で歩み寄り、雨瀬の前で立ち止まった。
「うちの班の会議で聞いたんだけどよ。お前、『アダマス』に狙われたんだってな。やっぱり、グラウカをインクルシオに入れたのは間違いだったんじゃねぇの?」
藤丸の後ろにいる湯本が「余計なリスクを増やしただけじゃん」と言う。
鷹村は一歩前に出て、二人に噛み付いた。
「お前ら、好き勝手なこと言ってんじゃねぇぞ」
「鷹村は引っ込んでろよ。インクルシオは“人間”の組織だ。グラウカなんかいらねぇんだよ」
「何だと……!」
「哲……っ!」
思わず足を踏み出した鷹村のTシャツを雨瀬が引っ張って止める。
鷹村と藤丸はしばらく睨み合ったが、藤丸が大きく舌打ちをして視線を外した。
「フン。せいぜい、こっちに迷惑を掛けんなよ」
「そっちこそ言葉には気を付けろ。次はねぇぞ」
尚も睨みをきかせて鷹村が低く言う。
藤丸と湯本は大仰に顔を顰めると、エレベーターホールに消えていった。
短く息をついた鷹村が雨瀬に向き直る。
「……眞白。藤丸たちの言うことは気にすんなよ」
「うん。ありがとう、哲」
鷹村は「行こうぜ。湯冷めする」と言って、雨瀬の背中を手で押した。
しんと静まり返った寮の廊下を二人で並んで歩く。
雨瀬は目を伏せてぽつりと言った。
「……『アダマス』の剛木三太が、僕のことを“裏切者”って言ってた」
「知ってる。会議で聞いた」
「きっとこれからも、反人間組織のグラウカにはそう思われる」
「怖くなったのか?」
「違う」
雨瀬はふと立ち止まった。鷹村も足を止める。
「それでも僕は、インクルシオ対策官の一員として、哲やみんなと世の中の平和の為に頑張っていきたいって思って……」
「…………」
「なんか恥ずかしいから、こんなこと哲にしか言えないけど」
「……このコミュ障が」
鷹村はからかうように、雨瀬の額を拳でこづいた。雨瀬は笑った。
窓の外には月明かりが照らす夜空が広がっている。
鷹村は穏やかな表情で雨瀬に言った。
「いつか、インクルシオのみんながお前を仲間だと認めるよ」
「……うん」
雨瀬は嬉しそうに、小さくうなずいた。
翌日。インクルシオ東京本部に次々と凶報が届いた。
東班の対策官2名と中央班の対策官1名が遺体となって発見され、いずれも防犯カメラの映像や目撃者の証言などから、反人間組織『アダマス』の犯行と判明した。
「……クソ共が、調子に乗りやがって」
連日となる緊急の幹部会議を終えた北班チーフの芥澤丈一が、苛々と頭を掻いた。
隣を歩く南班チーフの大貫が険しい顔で黙り込む。
芥澤は歯噛みをしながら言った。
「おい、大貫。童子をいつでも動けるようにしとけよ。新人の子守りは他に任せろ」
「そういうわけにはいかない。雨瀬がまた襲われるかもしれないんだ」
「だったら、雨瀬眞白を囮に使うこともできますよね。わざとフリーにして」
芥澤と大貫の後ろを歩いていた西班チーフの路木怜司が口を挟む。
芥澤が「あ?」と振り向き、大貫は大きく目を見開いた。
大貫の表情を見た路木は、「冗談ですよ」と言って肩を竦める。
そのまま路木は「お先に」と二人を追い抜いていった。
「…………」
路木の後ろ姿を無言で見送った大貫に、芥澤が言う。
「キレんなよ。ああいう考え方の奴もいるってことだ。クソだがな」
「わかってる」
大貫は気を落ち着かせるように細く息を吐いた。
芥澤は「とにかく」と鋭い視線で前を見据える。
「キルリストに載る『アダマス』との殺し合いで、これ以上うちがやられるわけにはいかねぇ。一刻も早く、あのクソ共をぶっ潰すぞ」
午後1時。
多くの人々で賑わう昼下がりの駅前通り。
一人の人物が、スマホの画面をスクロールしてニュースサイトに目を通していた。
「……なんだ。インクルシオってけっこう弱いのかな」
緩やかな風が吹き、スマホを見つめる人物のパーカーの裾が揺れる。
「眞白。哲。もっと頑張んなきゃダメだよ」
そう言って微笑むと、パーカーの人物はゆったりと歩き出して人混みに紛れていった。