06・キルクルス-Ⅵ
午前8時。東京都月白区。
インクルシオ東京本部の7階の会議室で、緊急の幹部会議が開かれた。
すでに本部長の那智明からインクルシオ横浜支部の凶報を知らされていた各班のチーフたちが、重く沈黙したまま着席する。
東班チーフの望月剛志が、険しい表情で口を開いた。
「……一体、何から言ったらいいのか。まさか、横浜支部の摘発チーム35人が全滅させられるとは……」
中央班チーフの津之江学が、沈痛な面持ちで言う。
「……横浜支部の支部長の推測では、『キルクルス』が『エレミタ』の拠点を襲撃していたところに、摘発チームがかち合ったのではということですが……。こんな偶然があるのか……。見ようによっては、『エレミタ』と共に『キルクルス』を壊滅するチャンスだったとも言えますが、結果は……」
津之江は語尾を小さくしてうつむいた。
西班チーフの路木怜司は無表情で両手の指を組み、南班チーフの大貫武士は唇を引き結んで宙を睨んだ。
北班チーフの芥澤丈一が低い声で言う。
「……摘発チームの対策官34人。特別対策官1人。『エレミタ』のリーダーと側近を含む構成員73人。これだけの数の相手を、乙黒阿鼻率いる『キルクルス』は残らずブッ殺した。ここ数日、『キルクルス』の動きを警戒しながらも15歳のクソガキに何ができるかと訝しんでいたが……大したことをやってくれたな」
芥澤の言葉に、路木が反応して視線を上げた。
「まさに、重要な点はそこでしょうね。『キルクルス』は構成員の数等の詳細は不明ですが、これで組織としてのおおよその力量は掴めた。『キルクルス』のリーダーである乙黒という人物は、僕らの想像よりも遥かに強大な力を持っていますね」
路木の言葉を受けて、大貫が困惑した表情で言う。
「しかし……。正直、15歳の少年が作ったという新興組織のイメージからは大きくかけ離れた実力だ。その“強大な力”が乙黒によるものか、構成員によるものか、あるいはその両方なのか……。いずれにせよ、今回の一件で、『キルクルス』は我々にとって大きな脅威となったと認識せざるを得ない」
インクルシオのジャンパーを着た望月が、「そうだな」と神妙にうなずいた。
泥濘のような重苦しい空気が、会議室を包み込む。
インクルシオ総長の阿諏訪征一郎が、強い眼差しを前に向けた。
「今回、反人間組織『キルクルス』の凶行により、我々は誕生したばかりの特別対策官1人を含む、35人もの優秀な対策官を失った。この苦汁を決して忘れてはならない。殉職した対策官たちに手向ける為にも、総力を挙げて『キルクルス』を捜査し、一日も早く壊滅しろ。……いいな」
阿諏訪の重厚な声音の指示に、各班のチーフたちは表情を引き締めて首肯した。
「……まだ、信じられねぇよ」
インクルシオ東京本部の2階のロッカールームで、北班に所属する特別対策官の時任直輝は、掠れた声を絞り出した。
同じく北班に所属する市来匡が双眸を歪ませる。
「まさか、大峰さんがやられるなんて……。せっかく、特別対策官になったばかりだったのに……」
「……35人は、多いねぇ……」
中央班に所属する特別対策官の影下一平が、ロッカーに向かって呟いた。
影下は後ろを振り向くと、南班に所属する特別対策官の童子将也に訊いた。
「童子ぃ。新人たちは大丈夫? こないだ、大峰さんと会ったんだよねぇ?」
童子はロッカーから2本のサバイバルナイフを取り出して答えた。
「4人共、一報を聞いてショックを受けていました。せやけど、理解はしてるはずです」
「そうかぁ……。俺らはこういう仕事だから、いつ誰が殉職してもおかしくないからねぇ。どれだけ辛くても、自分たちの使命を見失わずに前を向かなきゃなぁ」
そう言って、影下はロッカーの扉をパタンと閉める。
市来が「その通りですね」と静かに言い、時任が「……クソッ!」と踏ん切りをつけるように荒く吐き捨てた。
「それじゃあ、俺はファミレスのバイトに行くよ」
Tシャツにチノパン姿の影下が、緊急時用のサバイバルナイフを忍ばせたデイパックを肩に掛けてドアに向かう。
市来が「時任さん。僕たちも捜査に出ましょう」と促し、背中と腰に4本のブレードを装備した時任が「ああ」と低く返事をして大股に歩き出した。
対策官たちが部屋から出て行くと、俄に周囲が静まる。
誰もいないロッカールームで、童子はサバイバルナイフを右腿に装備しながら思考を巡らした。
(……『キルクルス』が『エレミタ』を襲撃しとる場面に、横浜支部の摘発チームがかち合うてしもたんは、ほんまに“偶然”なんか……?)
童子は手を止めて、黒の刃を収めるホルダーをじっと見つめる。
不意に脳裏を過ぎった考えに、僅かに眉根を寄せた。
(……もし、それが偶然やなくて“故意”で、『キルクルス』が横浜支部の『エレミタ』摘発の情報を知っとったとしたら、話は大きく変わってくる。……念の為に、留意しておくべきや)
壁に掛かった時計の針の音が、小さく耳に届く。
ふと、数日前にエントランスで会った大峰の笑顔が心に浮かんだ。
会う機会は決して多くはなかったが、童子の知っている大峰はリーダーシップに富んだ、裏表のない好漢だった。
(──…………)
童子は唇をきつく噛むと、ワークブーツを履いた踵を返し、静寂に包まれたロッカールームを後にした。
東京都木賊区。
インクルシオ東京本部の南班に所属する「童子班」の高校生たちは、いつも通りに木賊第一高校に登校し、1年A組の教室で授業を受けた。
今朝早くに童子から聞いた横浜支部の悲報に4人は大きな衝撃を受けたが、学校では努めて明るく過ごした。
4人と同じクラスの半井蛍は、普段と変わりなく静かな表情で席に座っていた。
6時間目が終了した後、鷹村哲は「眞白とカフェに寄ってくから、先に帰ってて」と塩田渉と最上七葉に告げた。
高校生たちはこの日は非番となっており、塩田と最上は了承して先に下校した。
学校近くの商店街にあるチェーン店のカフェに入って、アイスコーヒーを一口飲んだ鷹村が、向かいの席に座る雨瀬眞白に言う。
「……実はさ。1ヶ月ちょっと前に、阿鼻と会った」
「!」
アイスティーのストローを持った雨瀬が驚いて顔を上げた。
「お前に、顔色が悪いって言われたことがあっただろ? あの時にさ」
「……なんで、すぐに言わなかったの?」
「いや、別に隠してた訳じゃねぇけど……なんとなく」
そう言って、鷹村は店の窓から見える景色に目をやった。
多くの店が軒を連ねる商店街は、通りを行き交う人々で賑わっている。
鷹村は窓の外を見たまま静かに言った。
「あの時、阿鼻は『僕は僕の道を行く』って言ってた。『次に会う時は“キルクルス”の乙黒阿鼻だ』とも。俺は、阿鼻が敵対するつもりなら容赦なく受けて立つ気でいたけど、それと同時に、あいつの考えは甘いとも思ってた」
鷹村の言葉に、雨瀬が白髪を揺らして言う。
「……僕もだよ。たとえ阿鼻が反人間組織を作って仲間を何人か集めたとしても、インクルシオや他の反人間組織に対抗することは容易じゃない。阿鼻がそれらに劣らない力を持てるとは、とても思えなかった」
「だよな。だけど、あいつはそれをやった。特別対策官を含む横浜支部の摘発チー
ムと、反人間組織『エレミタ』の両方を、一気に潰してみせた」
「………………」
鷹村は鋭い視線を雨瀬に向けた。
「甘く考えていたのは、こっちだった。阿鼻がわざわざメモでメッセージを寄越したのは、自分の持つ力の大きさを俺たちに誇示する為だ」
程よく混み合っている店内には、心地のいい音楽が流れている。
明るく和やかな雰囲気の中で、鷹村は硬い声音で言った。
「……眞白。阿鼻は、必ず俺たちの手で殺す。そして、何としても『キルクルス』を壊滅するぞ」
鷹村の双眸に強い決意が滲む。
雨瀬は唇を結ぶと、しっかりとうなずいた。
午前1時。東京都不言区。
閉園済みの児童養護施設「むささび園」の地下の物置部屋で、反人間組織『キルクルス』のリーダーの乙黒阿鼻は、一枚のプリントシールを手に取った。
光沢のあるシールには、乙黒が一人で写っている。
それは、乙黒が蘇芳区の竹ノ子通りにあるプリントシール専門店に行って撮ってきたものだった。
乙黒はハサミを持つと、シールの自分が写っている部分を切り出すようにカットし、スマホの裏面に貼ったもう一枚のプリントシールの横に丁寧に貼り付けた。
楽しげに写る5人の人物の隣に、笑顔でピースサインをする乙黒が加わる。
「……うん。いいね。まるで、一緒に撮ったようだ」
電池式のランタンの光が、窓のない物置部屋を仄かに照らす。
乙黒は頭上に翳したスマホを眺めると、幸せそうに微笑んだ。
<STORY:05 END>