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グラウカ  作者: 日下アラタ
STORY:05
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05・キルクルス-Ⅴ

 午後10時。神奈川県横浜市瑠璃るり区。

 港湾に面して建てられた倉庫群は、夜の静寂に包まれていた。

 たるんだ電線が繋ぐ古びた街灯が、コンクリートの地面を等間隔に照らしている。

 インクルシオ横浜支部に所属する特別対策官の大峰泰生は、外壁が青色に塗られた倉庫の裏口に体を寄せて、左耳に装着した通信機を指で押さえた。

「……こちらA班。B班、C班共に準備はいいな。これより、反人間組織『エレミタ』の摘発を行う。みんな、遠慮はいらねぇ。俺以上に大暴れしてこい」

 小型の通信機を通じて「応」の言葉が飛び交う。

 大峰は小さく息を吸うと、鋭い声で「行け」と合図を出した。

 ──インクルシオ横浜支部による『エレミタ』の摘発作戦は、摘発チームの対策官35人をA、B、Cの3班に分け、『エレミタ』の拠点である水産会社の3棟の倉庫にそれぞれの班が突入するというものであった。

 大峰の担当する青壁の倉庫は2階に事務室があり、ここに『エレミタ』のリーダーと5人の側近がいる。『エレミタ』のようする70人近い構成員は、3棟の倉庫に分散して潜伏していることが、事前の内偵でわかっていた。

「2階にいる側近たちは、強者つわもの揃いだ。決して油断するな。まずは、1階にいる下っ端どもを一気に片付けるぞ」

 自身の背後につく対策官たちにそう告げて、大峰は裏口のドアに手をかけた。

 錆びたドアを開き、勢いよく内部に踏み込んだ──その瞬間。

「──!!!」

 大峰は動きを止めて、大きく目をみはった。

 資材や木箱が雑然と積まれた倉庫の床には、『エレミタ』の複数の構成員が赤黒い血溜まりの中で倒れていた。

「……な、なんだこれは!?」

「一体、誰が!?」

 大峰の後から倉庫に足を踏み入れた対策官たちが、眼前の惨状に驚愕する。

 事の真相を把握する間もなく、大峰の通信機に報告が入った。

『こちらB班! 大峰さん、大変です! 『エレミタ』の構成員がすでに死亡しています! あっ! 倉庫の奥に誰かがいます! ……え? ……し、獅戸安悟!?』

『大峰さん! C班です! 倉庫の中で、『エレミタ』の構成員が殺されています! ……ん? 君たちは、誰だ? 子供がこんなところで何やって……』

 各班の通信を聞いた大峰は、強く床を蹴って倉庫の中を走り出した。

 それと同時に、腰に下げた黒革製の鞘からブレードを引き抜く。

「──お前たち、気を付けろ! 『エレミタ』は何者かによって襲撃された可能性が高い! B班! C班! 状況を報告しろ!」

 2階に続く階段を駆け上がりながら、大峰は左耳の通信機に大声で呼び掛けた。

 しかし、B班、C班共に応答はない。

 大峰は階段の途中で止まると、後ろに振り向いて叫んだ。

「ここから先は、俺一人で行く! お前たちは二手に分かれて、B班とC班の倉庫に向かえ! すぐにだ!」

「はい!!」

 黒のツナギ服を纏った10人の対策官が即座にきびすを返す。

 大峰は険しい表情で舌打ちをして階段を上り、通路の奥にある事務室のドアを開けた。

 窓際にソファセットが置かれた事務室はしんと静まり返っている。

 大峰が薄暗い室内に目をらすと、黒革貼りのソファセットの下に、血にまみれて力なく投げ出された数人分の手足が見えた。

「……そこにいるのは、誰だ?」

 大峰は抑えた声で、ソファに座っている一人の人物に訊ねた。

 ブレードの柄を握る右手に力が入る。

 大峰に背中を向けた人物は、ソファを軋ませてゆっくりと立ち上がった。

 濃紺のシャツに細身のスラックス、さらりとした黒髪、涼しげな風貌。

 悠然とした動作で振り向いた人物に、大峰は目を見開いた。

「あ、あなたは……!!!」

 予期せぬ人物の姿に、思わず声が掠れる。

 そこには、インクルシオ元 No.1の特別対策官──鳴神冬真が立っていた。


 東京都月白げっぱく区。

 インクルシオ東京本部から2キロほど離れた場所にある厚生省所管のグラウカ研究機関『アルカ』の研究室で、遊ノ木秀臣はマグカップに入れたコーヒーを一口飲んだ。

「おっと。もう10時過ぎてるのか。そろそろ、帰るか?」

 遊ノ木の同僚が、ワークチェアに背をもたせて伸びをする。

 遊ノ木は書類が山積みになったデスクに愛用のマグカップを置いて言った。

「俺は、もう少し頑張るよ。今夜はノッてるからさ」

「はは。なんだよそれ」

 ワイシャツの上に白衣を着た同僚が笑う。

 遊ノ木は「本当だって。今、とても気分がいいんだ」と上機嫌に返した。

 研究室の窓の外に浮かぶ月は、厚い黒雲で覆われている。

 遊ノ木は深淵のような夜空を見上げると、ひっそりと微笑んだ。


 神奈川県横浜市瑠璃るり区。

 大峰は背中に冷たい汗が流れるのを感じた。

 『エレミタ』の拠点である水産会社の倉庫の事務室で、大峰は5年前にインクルシオを辞職した鳴神と対峙していた。

 静かな面持ちで佇む鳴神の手には、『エレミタ』の構成員から奪ったと思われる組織名入りの小さなナイフが握られている。

 大峰は前を見据えたまま、慎重に口を開いた。

「……あなたは、鳴神冬真さんですよね? 元No.1の特別対策官の……」

「君は横浜支部の大峰泰生君だね。ちょっと小耳に挟んだんだけど、先日、特別対策官に任命されたんだってね。おめでとう」

「……これは、どういうことですか?」

 大峰は目の前のソファセットをちらりと見やって言った。

 血の飛び散った床には、『エレミタ』のリーダーと5人の側近が仰向けで事切れている。

 鳴神は穏やかな声音で答えた。

「まぁ、“試運転”みたいなものかな。完全に本調子というわけではないけど、手応えはいいよ」

 鳴神はシャツの胸ポケットに手を伸ばすと、1本のアンプル剤を取り出した。

 小さなガラス容器の首を指で弾いて、中身を飲む。

「……!?」

 大峰は咄嗟とっさに片足を引いて警戒した。

 鳴神は空になったアンプルを手に下げて、慈しむような眼差しで言った。

「君は古巣の後輩だ。なるべく、加減するよ」


 反人間組織『キルクルス』のリーダーである乙黒阿鼻は、目を覚ました。

 つい数分前、青壁の倉庫の一角でインクルシオ横浜支部の対策官と交戦して、すぐにブレードで脳下垂体を貫かれた。

 急激に視界が暗転して、コンクリートの床に後頭部から倒れたのを覚えている。

「あ。阿鼻君が起きた」

「……大丈夫か?」

 Tシャツにピンク色のジャージを履いた茅入姫己が、乙黒の顔を覗き込んだ。

 半井蛍がナイフをジーンズの腰に差し込んで歩み寄る。

 乙黒と共に交戦していた二人の背後には、すでに絶命した17人のインクルシオ対策官が横たわっていた。

 乙黒はむくりと上半身を起こすと、乾きかけた額の血を手で拭った。

「……僕、どのくらい寝てた?」

「んー。5分くらいかな」

 乙黒の問いに、ロングヘアをツインテールに結った茅入が答える。

「そっかー。どうにも、僕は戦闘には向いてないなぁ」

 乙黒はため息をつくと、パーカーの埃をはたいて立ち上がった。

 そこに、黒のタンクトップ姿の獅戸安悟が、倉庫の扉を開けてやってきた。

「おーい。あっちは終わったぜ。……なんだ乙黒、血だらけじゃねぇか。もしかして、殺されたのか?」

「うん。殺されたよ。戦闘開始から、ほんの数分でね」

「ははは。弱ぇなぁ。今後の為に、少しは戦闘の腕を上げるべきだな」

 獅戸が笑い、乙黒が「うん」と素直にうなずく。

 乙黒は手の甲にべとりと付いた血を見て言った。

「死んで生き返るのは、けっこう疲れるしね。やっぱり、“特異体”にかまけてたらダメだな」


 東京都月白げっぱく区。

 インクルシオ東京本部の本部長の那智明は、しばし言葉を失った。

 午後11時半を回った時刻、インクルシオ横浜支部の支部長から凶報が入った。

 横浜市瑠璃るり区に拠点を構える『エレミタ』の摘発に臨んだ横浜支部の対策官35人が全滅し、その中には特別対策官の大峰が含まれていた。

 大峰は摘発現場である水産会社の倉庫の事務室で、頭部がコンクリートの壁に押し潰された状態で見つかり、心臓には1本のナイフが突き立てられていた。

 また、現場の3棟の倉庫では、『エレミタ』のリーダーと構成員全員の死体が確認された。

 そして、血が飛び散った倉庫の床には、サインペンで『キルクルス』と書かれていた。




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