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グラウカ  作者: 日下アラタ
STORY:05
30/224

01・キルクルス-I

 ──あれは、中学校に入ってすぐのことだった。


 たまたま覗いたインターネットの掲示板で、ある“存在”が話題になっていた。

 僕はその“存在”を知った途端に強い興奮を覚え、急いでナイフを用意し、思いきり自分の額に突き刺した。

 

 だけど、なかなか思うように深く刺さらなかったので、ナイフを眉間に当てて壁に頭突きをしてみたけれど、痛みと眩暈めまいが酷くて途中で断念した。

 結局、インターネットの掲示板で募集をかけて、素性も知らない誰かに刺してもらい、僕の高まりきった興奮は暗転と共にようやしずまった。


 そして、ぱちりと目が覚めた時、僕は腹を抱えて笑った。

 笑いすぎて何度も嘔吐えずいた。

 顔中が血と涙とよだれまみれていたけれど、そんなことは全く気にせずに笑い続けた。


 恍惚とした理想と空想が現実になった。

 僕は生まれて初めて、この上ない幸せを感じた。




 7月上旬。東京都蘇芳すおう区。

 澄み渡った青空が広がる快晴の日曜日。『厚生省特殊外郭機関インクルシオ』東京本部の南班に所属する「童子班」の5人は、“若者の街”として有名なスポットに遊びに来ていた。

「うわぁ〜! 竹ノ子通りは相変わらず人でごった返してるなぁ!」

 ボーダー柄のTシャツに7分丈のカーゴパンツを履いた塩田渉しおたわたるが、狭い通りにひしめく人混みを見渡して驚嘆する。

 鷹村哲たかむらてつ雨瀬眞白あませましろ最上七葉もがみななはも、予想以上の人の多さに目を丸くした。

 10日ほど前、反人間組織『マグナ・イラ』の壊滅に尽力した高校生たちは、いまだに続くマスコミの取材攻勢に辟易しつつも、日々の任務に励んでいた。

 そんな中、4人の指導担当である特別対策官の童子将也どうじしょうやが「たまには、息抜きに遊びに行こか」と提案し、非番のこの日に全員で蘇芳すおう区にやってきた。

 トレンドの最先端を行く街は、明るくまぶしい活気に満ちている。

 最初は人出のすさまじさに面を食らっていた新人対策官たちは、色とりどりの通りを歩いているうちに自然に笑顔を浮かべた。

「このベビーピンクのスニーカー、可愛い」

「眞白ー。どっちのシャツがいいと思う?」

「どっちも似合ってる」

「このカバン欲しい! こっちの財布も! あそこのジーンズも!」

「虎がプリントされた服は、どこにあるんや?」

 あちこちのショップを見て回った「童子班」の面々は、小腹が空いたところで“竹ノ子通り名物”のクレープを購入した。

 歩道に設置されたガードレールに腰掛けて、童子と鷹村が話す。

「甘いモンもええけど、たこ焼きとか食いたいな」

「ああ。たこ焼きもいいですね。この辺に売ってるのかな?」

 童子の隣で、チョコバナナクレープを齧っていた雨瀬がぽつりと呟いた。

「……たこ焼きは、童子さんが作るのが一番美味しいです」

「なんや、雨瀬? 持ち上げても何も出ぇへんぞ?」

 童子が片手を伸ばして、雨瀬の癖のついた白髪をくしゃくしゃと掻き回す。

 雨瀬は体を揺らして「本当です」と小さく言った。

 木製のベンチに座った最上が、前方の建物をじっと見つめる。

 そこには、中高生に人気の高いプリントシール専門店があった。

 最上の眼差しに気付いた塩田が「みんなで、プリ撮ろうぜ!」と言って、ベンチから立ち上がる。

 クレープを食べ終えた5人は、ファンシーな外観の専門店に足を踏み入れた。

「こういうの、初めて撮るな」

「うん。なんだか、緊張する……」

「カメラ位置が自由に動かせるのね。背景はどれを使おうかしら。撮影が終わったら、落書きブースの加工で盛れるだけ盛って……」

「童子さん! 変身ヒーローのポーズしましょうよ!」

「ええで。手をクロスさせよか」

 最新のプリントシール機でワイワイと撮影し、数分後にシールが出来上がった。

 「童子班」の全員で写ったシールを手にした最上は、嬉しそうに顔を綻ばせた。

 その後、5人はファッションビルや雑貨店等を回り、大通りにあるハンバーガーショップで遅い昼食をとった。

 ハンバーガーショップを出ると、通りの先の人だかりが目に入った。

 大勢の人々が集まった場所では何かの撮影をしている様子で、カメラマンの指示を聞く少女が見える。

「……あれ、茅入姫己かやいりひめきじゃね?」

 額に手をかざして、塩田が言った。

 鷹村が「誰?」と訊くと、最上が「今人気の読者モデルよ。確か、中学2年生くらいの子」と答えた。

 撮影は短時間で終了し、さらさらとしたロングヘアが印象的な少女は、関係者に連れられて白のバンに乗り込んだ。

「なんだ。もう終わりかぁ」

 爪先立ちをして見ていた塩田が、残念そうな声を出す。

 童子がスマホの時計に目をやって、「そろそろ帰ろか」と高校生たちに告げた。

「童子さん。寮に戻ったら、トレーニング棟で近接格闘の練習相手をしてもらえませんか?」

 童子の横に並んで申し出た鷹村に、塩田が「あ! 俺も俺もー!」と便乗する。

「ええで。お前らがヘトヘトになるまで相手したるわ」

 童子が穏やかに笑って了承すると、5人は駅に向かって歩き出した。

 ふと、雨瀬は後ろを振り返った。

 白のバンのスモークガラス越しに、先ほどの少女──茅入姫己と目が合った気がした。


 午後11時。埼玉県所沢市。

 獅戸安悟しどあんごの足元に、頭部の潰れたサラリーマンが崩れ落ちた。

 獅戸は五指に付着した血を払い、薄暗い公園の柵に背をもたせる。

 節ばった指を折って、ゆっくりと数を数えた。

「神奈川で7人。千葉で5人。埼玉で8人。今日一日で、けっこうやったな」

 公園の道路脇に停めた愛車のオートバイに目をやり、獅戸は満足げに言う。

 ジーンズの尻ポケットに手を伸ばして、スマホを取り出した。

「そろそろ腹が減ったな。どっかでラーメンでも食って帰るか。この近くに、旨い店はあるかな」

 そう独りごちると、獅戸は赤黒い血溜まりの中で、鼻歌交じりにグルメサイトの検索ボタンをタップした。

 

 同刻。東京都立川市。

 半井蛍なからいけいは、鈍く光るナイフをデイパックにしまった。

 半井の目の前には、黒のツナギ服を着たインクルシオ対策官が血を流して倒れている。

 地面に落ちていた黒革製の対策官証を拾い上げると、そこには『インクルシオ立川支部』と記載されていた。

(………………)

 半井は何の感慨もなく、対策官証を地面に戻した。

 肩に掛けたデイパックには、昼間に指定店で購入したばかりの、明日から通う新しい高校の制服が入っている。

(……明日は早めに登校するんだった。もう帰ろう)

 半井はナイフと制服で膨らんだデイパックを肩にかつぎ直すと、ひと気のない商店街の裏通りを後にした。

 

 同刻。東京都蘇芳すおう区。

 茅入姫己は、シャワーを浴びて服を着た。

 所属するモデル事務所を出た時に、茅入の熱烈なファンだという男性が声をかけてきた。

 しつこく付きまとわれたので、茅入が誘って近くのホテルに入った。

 20代後半と思われる男性は、華奢な両手で頚椎を握り潰すと、あっという間に事切れた。

 茅入は骨の折れる音が好きで、男性が絶命した後も身体中の骨を折り続けてその音色をたのしんだ。

「じゃあね。バイバイ」

 キャンバス生地のトートバッグの中から、マスクを取り出して耳にかける。

 茅入は美しいロングヘアをなびかせて、悠々と部屋を出た。

 

 午前2時。東京都不言いわぬ区。

 児童養護施設「むささび園」の門柱には、『閉園』のプレートが掛かっていた。

 施設長の高齢による体力の衰えと、資金繰りの困難さで1年半前に閉園した施設の建物は、ひっそりと静まり返っている。

 その地下にある物置部屋で、乙黒阿鼻おとぐろあびはスマホをスクロールした。

 ニュースサイトに続々と殺人事件の報道が掲載される。

 不意に電子音が響き、スマホの画面にメッセージが表示された。

『ニュース見た? みんな、派手にやってるね』

『そうだね。ところで、彼は元気かい?』

『ああ。彼の体調はいいよ。とても安定してる』

 乙黒は目を細めると、『それはいいね。じゃあ、近々みんなで集まろうか』とメッセージを送った。

 数秒と経たないうちに、相手から『オーケー』と返事が届く。

 乙黒のいる物置部屋に窓はなく、細い月明かりさえ届かない。

 吸い込まれそうな常闇の中で、乙黒はゆったりと口角を上げた。




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