06・志と実力
午後11時。東京都木賊区。
ネオンが煌く繁華街の一角にあるショットバー『エゴ』で、反人間組織『マグナ・イラ』のリーダーの滝口元気は、スマホをテーブルに差し出した。
滝口の向かいの席に座る樽井竜二が片眉を上げる。
「ん? この画像に写ってる連中は誰だ?」
「うちの高校のインクルシオ対策官だよ。こないだの2人とは別の奴らだ」
「まだ4人もいるのか。インクルシオはガキが多いんだな」
「……高校生の対策官は全国でも稀だよ。インクルシオは13歳から訓練施設に入れるけど、実際に対策官になれるのは大人ばかりで、その数も少ない」
滝口は木賊第一高校の校内で盗撮した画像を見ながら言った。
そこには、学食のテーブルで談笑する鷹村哲、雨瀬眞白、塩田渉、最上七葉の姿が写っていた。
樽井は「ふぅん」と言って頬杖をつく。
「……で? 今度は、こいつらを襲撃すればいいのか?」
「そうだ。4人でまとまってると難しいだろうから、こいつらがバラけて下校する時に連絡する。非番の日なんかはそれぞれに分かれて買い物に行ったり、飲食店に寄って帰ってるみたいだからな」
「よく観察してるねぇ〜」
外国産の瓶ビールを呷って、樽井が笑った。
滝口は「憎い相手ほど目が行くものさ」と抑揚のない声音で返す。
樽井は皿に盛ったカシューナッツを一粒つまんで言った。
「“人間”であるあんたが、人間を殺せと言う。学業の成績が優秀なあんたは、普通に生きていれば十分にエリートだろうに。まぁ、そこが面白くてここまでついてきたんだけどな」
「………………」
滝口は暫く黙った。
薄暗い照明の店内に、ボリュームを落としたロック音楽が流れている。
やがて、滝口は静かに口を開いた。
「自分がなりたいものになれないのなら、その人生はクソと同じだよ」
──その時。
『CLOSED』の札を下げたショットバー『エゴ』のドアが、大きな音を立てて開いた。
「!!」
滝口と樽井、他のテーブルにいた『マグナ・イラ』の構成員が一斉に振り向く。
ドアを蹴破って店に足を踏み入れたのは、インクルシオ東京本部の南班に所属する特別対策官の童子将也だった。
童子は素早く店内を見回して言った。
「反人間組織『マグナ・イラ』の樽井竜二、才谷慧、蜂須洸太、柿本翔陽、蔵田慎介、そして──滝口元気。リーダー1名と構成員5名を確認。この場で壊滅する」
「イ、インクルシオか!!!」
樽井が怒鳴って椅子から立ち上がる。
童子の背後で4人の対策官がドアを塞ぐように立ちはだかり、滝口が口角を上げた。
「よく、ここがわかったね。君たち」
「………………」
黒のツナギ服を纏った鷹村、雨瀬、塩田、最上が無言で滝口を睨む。
滝口は「樽井。ここは頼んだよ」と言うと、対策官たちに背を向けて走り出した。
カウンターの横にあるドアを開け、店の奥に消えていく。
その様子を目で追った童子は、前を見据えたまま言った。
「滝口はお前らに任せる。行ってこい」
童子の指示を聞いた新人対策官たちは、「はい!」と返事をして床を蹴る。
脇目も振らずに『マグナ・イラ』の構成員5人の脇を走り過ぎていった高校生たちに、樽井は目を吊り上げた。
「……コ、コラァァッ!!! 随分とナメた真似をしてくれるじゃねぇか!!! 人間風情が調子コキやがって!!! 返り討ちにしてやる!!!」
「黙れや」
童子が低い声音で言い、樽井はびくりと肩を震わせる。
両腿に2本のサバイバルナイフを装備した童子は、右脚のホルダーからインクルシオの刻印の入った黒の刃を抜いた。
「その“人間風情”に乗せられて、お前らは何をしたんや? ただのチンピラ集団でおればまだしも、反人間組織を名乗って人間の命に手ぇ出した代償は、とてつもなく高くつくで。……覚悟しろや」
童子の手中にあるサバイバルナイフが、照明の光を鋭く反射する。
『マグナ・イラ』の構成員たちは、身じろぎもできずに額に汗を滲ませた。
ショットバー『エゴ』の店の奥には、8畳ほどの広さの物置部屋があった。
滝口はビールケースや段ボールが雑然と積まれた物置部屋に入り、屋外に通じる換気口に辿り着いた。
緊急時の脱出用に、予め緩めておいた四隅のネジを急いで外す。
「無駄ですよ。換気口の外側には、多くの対策官がいます」
真っ暗な物置部屋の電気を点けて、鷹村が忠告した。
屈んでいた姿勢を戻した滝口は、ゆっくりとドアに目を向ける。
そこには、木賊第一高校の4人の後輩が立っていた。
「……突入の際には、建物の全ての出入り口を固める。訓練生の時に習った、“基本中の基本”だな」
滝口が可笑しそうに笑い、塩田が表情を怒りに染めた。
「なんで……! なんで反人間組織なんか作ったんですか! 一度はインクルシオ対策官を目指しておきながら……!」
塩田が叫んだ言葉に、滝口は浮かべていた笑みをすっと消した。
蛍光灯の明かりが照らす物置部屋に立ち、能面のような無表情な顔で言う。
「君たちには、想像すらできないだろうね。俺の味わった絶望と怒りは」
最上が歯噛みをして低く言った。
「たとえインクルシオ対策官になれなくても、別の道で人の力になったり助けたりすることはできるわ。挫折を糧にできなかったのは、あなたの甘えと狭量さのせいじゃない……!」
「おい。“なれた者”が偉そうに言うなよ。逆なでって言葉を知らないのか?」
滝口は苛立ちを声に滲ませると、右手を体の後ろに回した。
塩田と最上がすかさずブレードの柄に手をかけ、雨瀬が重心を低くして跳躍の動作に備える。
鷹村が静かな眼差しで言った。
「あんたは、インクルシオ対策官になりたかったんじゃない」
「……なんだと……?」
滝口がぴくりと眉を動かす。
鷹村は滝口をまっすぐに見やって、言葉を続けた。
「あんたは命がけで人を助けるんじゃなくて、ただ周囲からチヤホヤされたかった。すごいすごいと羨望の目で見られたかった。それに一番近い存在が、インクルシオ対策官だったってだけだ。そして、対策官になることが叶わなかったから、簡単に人殺しをする側に立てた。……違うか? 滝口先輩?」
「……お前……!!!」
滝口は目を見開いて気色ばんだ。
鷹村は声音を尖らせて、なおも言い募った。
「あんたは知らないだろうよ。インクルシオ対策官が反人間組織と交戦して、あっけなく死んでいく現実を。昨日いた仲間が今日はいない現実を。最前線で戦うということが、どれほどの覚悟と犠牲を伴うかを。あんたは甘すぎる想像だけで、本当の現実を何一つ知らないんだ!」
「……お前ぇぇぇっ!!! 偉そうに言うなって言っただろぉぉぉ!!!」
3つのホクロが並ぶこめかみに青筋を立てた滝口が、学生ズボンの尻ポケットから折畳みナイフを取り出す。
滝口は鈍く光るナイフを握り締めて、新人対策官たちに向かって突進した。
塩田が黒革製の鞘からブレードを引き抜き、滝口が振り上げたナイフをキンと弾き飛ばす。
「………………あれ?」
あっという間にナイフを失った滝口は、キョロキョロと辺りを見回した。
ブレードの切っ先を滝口に突き付けて、塩田が言う。
「攻撃が単純で大振りだし、相手の動きも全く見えていない。……それじゃあ、インクルシオに入ってもすぐに命を落としますよ。滝口先輩」
鷹村と最上はブレードを抜いて構えており、雨瀬は床に転がった折畳みナイフを拾い上げて刃を折った。
滝口は4人の対策官たちを呆然と見つめると、がくりと膝を折って床に崩れ落ちた。
午後11時半。
『マグナ・イラ』の拠点であるショットバー『エゴ』の突入は、樽井を始めとするグラウカ5人の死亡、リーダーの滝口の身柄の確保で幕を閉じた。
事後処理で店に出入りする南班の対策官を見ながら、塩田がぽつりと呟く。
「……俺、滝口先輩のこと、けっこう好きだったんだ」
「……うん。俺も好感持ってた。裏の顔なんて、知りたくなかった」
鷹村がアスファルトの上に佇んで返した。
最上は黙ったまま目を伏せ、雨瀬は白髪を揺らしてうつむく。
そこに、南班チーフの大貫武士に電話での報告を終えた童子がやってきた。
「お前ら。なんや小腹が減ったし、遅い時間やけどファミレスでも行こか」
「え……? でも、まだやることが……」
塩田が顔を上げ、童子が4人の前に立って言う。
「この後の仕事は、薮内さんたちに頼んできた。俺がおごったるから、何でも食うてええぞ」
童子の言葉に、黒のツナギ服を着た高校生たちは顔を見合わせた。
「童子さん。もしかして、俺らをなぐさめ……」
鷹村が言いかけると、童子は「そんなんちゃうわ」と言って鷹村の頭を手で掻き回した。
「ほら。早う来い。置いてくで」
童子が背を向けてすたすたと歩き出す。
高校生たちは笑顔を浮かべると、「……はい!」と声を揃えてその背中を追いかけた。
「……なんか面白い人間だったけど。がっかりな結末だね」
立ち入り禁止の標識テープが張られたショットバー『エゴ』を眺めて、黒のパーカーを着た人物がため息を吐く。
パーカーのフードを目深に被った人物──乙黒阿鼻は、くるりと踵を返した。
「やっぱり、“面白いこと”は自分で作らなきゃダメかぁ」
繁華街を往来する人々は多く、明るく賑やかな喧騒が耳に届く。
乙黒はのんびりと伸びをすると、夜の街に紛れていった。