02・親切と痺れと見逃し
東京都木賊区。
空に薄い雲が広がるこの日、インクルシオ東京本部の南班に所属する「童子班」の高校生4人は、木賊第一高校の昼休みを迎えていた。
学生食堂でB定食のガパオライスを食べ終えた塩田渉は、口笛を吹きながら向かいの西校舎に移動し、自動販売機に足を進める。
すると、自動販売機の横に設置された長椅子に、見知った顔を見かけた。
「おー! 半井じゃん! もしかして、アレ飲んでんの?」
「………………」
紺色のブレザーを着た黒髪の人物──1年A組のクラスメイトである半井蛍が、塩田を一瞥して視線を前に戻す。
「やっぱ、冬はホットマンゴードリンクだよな! 雨瀬も、鷹村も、最上ちゃんも、これは甘過ぎるって敬遠してるけどさ、その甘さがいーんだよなー!」
塩田は半井の無反応には慣れた様子で、目の前のボタンを押した。
廊下にガコンと音が響き、商品を取り出して、「よいせ」と長椅子に腰掛ける。
「そーだ。5限目の体育、野球だってさ。キャッチボールは俺と組もうぜ」
塩田は甘ったるいドリンクを一口飲んで、さりげない口調で誘った。
半井はマンゴーのイラストが入った缶に目を落として、口を開く。
「……お前はいつも人の輪の外にいるグラウカを放っておけず、どれだけ邪険にされても親切に話しかける。それは、インクルシオ対策官としての性分か?」
「え? いや、俺は別に……」
唐突に投げかけられた言葉に、塩田は自身が対策官だから関わっているわけではないと言おうとしたが、半井は手にしたドリンクを飲み干して、長椅子から立ち上がった。
「だが、インクルシオ対策官の全員が、そんな風に“善良”だとは限らない。どす黒い本性を隠し持つ奴は、どんな組織にもいる。……お前だって、本当の中身はわからない」
半井は低く吐き捨てると、空き缶をゴミ箱に投げ入れる。
それ以上の会話を拒むように歩き出した背中を、塩田は無言のまま、じっと見つめた。
午後2時半。
木賊第一高校からの下校途中、「童子班」の高校生4人は“木賊サンサン商店街”にある書店に立ち寄った。
胸元に赤色のリボンタイを付けた最上七葉は、他の3人と店内で別れ、高校の参考書が並ぶ棚の前に立つ。
英語の参考書を一冊選んで手に取ると、背後から声がかかった。
「あれ? 貴方は、インクルシオ対策官の最上さん……?」
「……か、茅入さん!?」
聞き覚えのある声に振り返った最上は、艶のあるロングヘアを靡かせた少女──人気読者モデルの茅入姫己を見て、大きく目を見開いた。
「わぁ。久しぶりですね。お元気でしたか?」
「え、ええ。何とか元気にやっています。……あ。音楽ユニット『ドゥルケ』の解散は残念でした。今後の活動を楽しみにしていたので……」
「あら。それはごめんなさい。ユニットを組んだ3人の仲がサイアクで、あっという間に解散になっちゃいました。表向きの理由は学業とモデル業に専念なので、これはナイショの話ですけどね」
顔に白いマスクを付けた茅入が、いたずらっぽく目を細めて言う。
最上が「女の子3人だと、色々と大変かもですね」と気遣うと、茅入が「そうそう。競争心と嫉妬でドロドロですよ」と返し、二人は小さく笑い合った。
「あ。もう行かなきゃ。これから、近くのスタジオで雑誌の撮影なんです。短い時間でしたけど、最上さんと話せて楽しかったです」
「ええ。私も。撮影、頑張って下さいね。一ファンとして応援しています」
茅入が軽やかな動作で右手を差し出し、最上が同様に右手を出して、互いに握手を交わす。
その刹那、華奢な手を通じて強い力が加わり、最上が思わず眉を寄せると、茅入はパッと手を離して「じゃあ」とその場を立ち去った。
最上はすぐに笑顔を作って見送ったが、茅入の姿が書店の外に消えた後、微かな痺れが残る右手をそっと見やった。
東京都月白区。
午後9時半を少し回った時刻、厚手の上着を羽織った雨瀬眞白と鷹村哲は、冷たい夜風が吹き抜ける歩道を並んで歩いていた。
「あー。まだまだ寒いな。こんな夜には、やっぱり熱々のカップ麺が一番だ」
「哲が夜食によく食べるネギ大盛りのカップ麺、僕も好きだけど、近くのコンビニには置いてないよね……」
鷹村が白い息を吐いて言い、雨瀬が両手を擦り合わせて返す。
二人はインクルシオ寮の最寄りのコンビニエンスストアを通り過ぎ、街灯の下をてくてくと進んで、別の店舗に到着した。
鷹村は入店して早々に好物のカップ麺を購入し、雨瀬はついでにと他の商品を見て回る。
ビニール袋を手に下げた鷹村は、一足先に自動ドアを出て軒先に立った。
その時、片側2車線の道路の向かい側に、一人の男性が見えた。
「……え? まさか、あの男は獅戸安悟……?」
鷹村は声を漏らすと同時に走り出し、夜間故の見間違いである可能性を考慮に入れつつ、青信号が点滅する横断歩道を渡った。
黒革のライダースジャケットにダメージジーンズ姿の男は、ビルとビルの間の路地にすっと入り、鷹村も後を追って走り込む。
しかし、薄暗がりの向こうには誰もおらず、キョロキョロと辺りを見回した──次の瞬間。
「……ぐふぅっ!!!」
いつの間にか後ろにいた男が鷹村の脇腹を蹴り、体ごとビルの壁に吹き飛んだ。
間髪入れずに拳が右左に往復して顔面を殴打し、口内が切れて宙に血が散る。
鷹村は体を折り曲げて苦悶に呻きながらも、視線を上げて男の顔を確認した。
(……やっぱり、獅戸か……!!)
そのどこか肉食獣を思わせる鋭い容貌は、確かに反人間組織『キルクルス』のメンバーの一人であり、インクルシオのキルリストの個人2位に載る獅戸安悟で、鷹村は額にどっと汗を滲ませた。
「おい。テメェ。何故、俺を追ってきた? 何者だ?」
獅戸は獰猛に双眸を光らせて、低く訊く。
鷹村は何か武器はないかと周囲に目をやったが、鈍色の地面に転がっているのは、カップ麺の容器とビニール袋だけであった。
すると、獅戸が不意に「ん?」と声を出した。
「あー。何だよ。よく見たら、お前はうちのリーダーの幼馴染の一人じゃねぇか。なるほど、インクルシオ対策官だから、俺を見かけて追ってきたんだな。あいつの幼馴染でなければ殺しているところだが、しゃーねぇ。今回は見逃してやる」
「……っ!!」
そう言うと、獅戸はくるりと踵を返す。
鷹村は「待て……っ!!」と掠れた声をあげたが、グラウカの重犯罪者は、瞬く間に闇に消えていった。
その直後、鷹村を探していた雨瀬が路地に現れ、獅戸との一件を聞いて、南班チーフの大貫武士と特別対策官の童子将也に緊急連絡を入れた。
雨瀬からの一報を受けた大貫は、即座に中央班チーフの津之江学に伝え、月白区を管轄する中央班の対策官が総動員で獅戸の行方を探した。
また、ランニングに出ていた童子はすぐさまに引き返し、鷹村と雨瀬がいる路地に駆け付けた。
「……獅戸は、俺を見逃すと言いました。俺が、阿鼻の幼馴染だから……」
鷹村が血の付いた唇で報告し、童子は何も言わずに聞く。
鷹村は「次は……、次に獅戸に会った時は、必ず……」と悔しさに肩を震わせ、雨瀬に体を支えられて、ひっそりと静まる路地を後にした。




