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グラウカ  作者: 日下アラタ
STORY:26
231/231

14・父親と息子

 ──澄んだ青空が広がる、ある日のこと。


 長い通路の途中で那智本部長に呼び止められ、「お前の息子が正式な対策官になったぞ。彼はうちの西班への配属を熱望している。希望通りにしようと思うが、問題はないか?」と訊かれた。

 俺は「はい」と答えたが、まだ中学生のはずの息子が、わざわざインクルシオ対策官という危険な職務に身を投じた理由がわからず、少し首を傾げた。


 それから数日後、新人対策官の配属初日を迎えた。

 執務室のドアが開き、妻と離婚をしてから8年振りの再会となる息子が現れる。

「──お久しぶりです! お父さん! 息子の隼人です!」

 幼少期の頃と比べて身長が伸び、声変わりをし、目鼻立ちがしっかりと整った息子を見て、俺の心の中に何か“感想めいたもの”が浮かんだが、それを上手く表現することはできなかった。

 頬を紅潮させ、溌剌はつらつとした息子は、しかしまだ社会というものを知らない。

 俺が「お父さん」と職場で呼んだことをたしなめると、息子は酷く傷付いた顔をして、慌てて執務室から退室していった。

 ドアがパタンと閉まった途端、先程感じた“感想めいたもの”が、急速に曖昧あいまいだった輪郭を形成する。

(……ああ。そうか……)

 俺はノートパソコンに落としていた視線を上げて、密やかに納得した。

 大きく育った息子の意志の強そうな容貌、鋭い眼光、凛とした佇まい。

 ──大空を舞うハヤブサに似ている、と思ったのだ。

 

 東京都月白げっぱく区。

 インクルシオ東京本部の地下2階にある留置室で、西班に所属する特別対策官の真伏隼人は、冷たく硬い感触のパイプ椅子に座っていた。

 窓のない部屋はしんと静まっており、自身の浅い息遣いだけが耳に届く。 

 すると、ピーという電子音と共にドアが開き、黒のジャンパーを羽織った西班チーフの路木怜司が入室した。

 黒のツナギ服を纏った真伏は、緊張した面持ちで即座に椅子を立った。

「路木チーフ。この2年間、何のご相談やご報告もせずに、己の勝手な判断のみで反人間組織『イマゴ』に潜入していたこと、誠に申し訳ありませんでした」

 深々と頭を下げて謝罪した真伏を、路木は能面のような無表情で見やって、「真伏。椅子に座れ」と言う。

 真伏がぎこちのない動作で指示に従うと、机を挟んで対面に座った路木が、薄い唇を開いた。

「お前のその間違った行動の原因は、俺か?」

「──っ!!」

 路木が抑揚のない声音で問い、真伏が目をみはる。

 路木は真伏の隠し切れない狼狽ろうばいをじっと眺めて、言葉を続けた。

「おそらく、お前は私的な感情を最優先にして、『イマゴ』に潜入したんだろう。組織の一員として取るべき正しい行動を誤らせる程、その“感情”はお前をさいなみ、追い詰めていたとも考えられる。だが、もし、お前が2年前に『イマゴ』と接触した時点で、その事実をこちらに知らせていれば、壊滅に向けてのより戦略的で有用な手段を講じることができたはずだ。それを、お前は一人きりで成果を上げようとして秘匿した。このことは、全くもって、愚かとしか言いようがない」

 路木が淡々とした口調で断じ、真伏は口を真一文字に結んでうつむく。

「たとえどのような理由があろうとも、お前が非難に値する重い罪を犯したことには変わりがない。インクルシオは特別対策官の任を解いて懲戒解雇となり、数年間は刑務所に入ることになる」

「……はい。厳しい処罰は、覚悟しています」

「それと、俺もインクルシオを辞職する」

「……えっ!?」

 路木が唐突に告げ、真伏は弾かれるように反応した。

「お前の直属の上司、そして父親として、今回の件の責任を取る」

「そ、そんな……っ!! と……、路木チーフは何も……!!」

「もう決めたことだ。先程、阿諏訪総長と那智本部長がいる場で、その意向を伝えた」

「……あ、あの、待って下さい……!! そ、それは……!!」

 路木が怜悧な眼差しで言い、真伏は額に汗をにじませて激しく動揺する。

 白々(しらじら)とした人工的な光が照らす二人きりの空間で、路木は机の上に両手を置き、ゆっくりと指を組み合わせた。

「真伏。俺は、両親からの愛情を受けずに育った」

「……!」

 路木がにわかに声のトーンを落とし、真伏はおたおたとした身動きを止めた。

「俺の父親は、重工業業界の大手企業の重役だ。創業者一族の家系に生まれ、若い頃からエリート街道をひた走ってきた。母親は、都市銀行の頭取の3姉妹の長女。二人は、互いの両親が決めた見合いで結婚した。当然のことながら、父親と母親の間に愛はなく、それは子供に対しても同じだった」

「………………」

「俺は物心ついた時から、衣食住に関しては何一つ不自由をしたことがない。しかし、幼い子供が本能的に求めるものは、金銭的・物質的に恵まれた環境ではなく、両親からの笑顔、抱擁、庇護だ。俺は、それらをほんの一欠片ひとかけらも得ることなく、成人した。その結果、“愛情”とは何かを知らず、それゆえに、他者に“愛情”を与えられない人間となった」

「………………」

 路木はわずかに目を伏せて、小さく息を吐く。

 室内に沈黙が流れ、真伏が何かを言おうと言葉を探すと、向かい側からぽつりと細い声が漏れた。

「俺には、人間としての大事な感情が備わっていない。どれだけ期待や渇望をされても、心のどこにも“それ”は存在しない。だが、こんな俺でも、“側にいること”ならできる」

「……え?」

 真伏がきょとんとした顔で聞き返し、路木は視線を戻して言った。

「お前が刑務所に入ったら、その刑期が終わるまで、毎週でも面会に行く。何も話さず、ただ向かい合って座っているだけかもしれないが、それでも、面会時間いっぱいまでお前の側にいる。自分の中に“愛情”を持たない俺は、こんなやり方しかできない。だが、お前の罪を、お前の側で、一緒に償いたいと思う」

「………………」

 真伏は路木の話をすぐには理解できず、しばし黙った。

 やがて、その言葉の意味が、真っ黒なおりが堆積した心の底にみ込んで、喉の奥に熱いものが込み上げてきた。

「……あ、ありがとうございます……っ、路木チーフ……っ」

「お前との話が済んだら、俺はチーフではなくなる。それに、ここには二人しかいないから、もう“父さん”でいいぞ。隼人」

「……っ!!! と、父さん……っ!!!」

 真伏の見開いた双眸から、止めのない涙が溢れ出る。

 全身を震わせて嗚咽を漏らす真伏を見つめて、路木はふと顔を上げた。


 ──窓がないはずの部屋の壁に、長方形の枠が出現する。

 その向こうには、晴れ渡った空が広がり、一羽のハヤブサが群青の中を自由に飛び回る姿が見えた。





<STORY:26 END>

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