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グラウカ  作者: 日下アラタ
STORY:04
23/231

01・“大いなる怒り”

 午前3時。東京都木賊とくさ区。

 小雨の降る路地の突き当たりで、スーツ姿のサラリーマンが懇願した。

「さ、財布なら渡す! カードの暗証番号も教える! だから、命だけは……!」

「財布は貰うし、カードの暗唱番号も聞く。そんで、命も奪う」

「そんな……っ!!!」

 コンクリートの高い塀に背中をつけたサラリーマンは、絶望に顔を引きらせた。

 サラリーマンの前に立つ若い男は、ガムをくちゃくちゃと噛んでいる。

 男の背後には4人の仲間の姿があり、彼らは『マグナ・イラ』という反人間組織だとサラリーマンに名乗っていた。

 ビジネスバッグを胸に抱えたサラリーマンの視界が、涙と恐怖でゆがむ。

 すると、薄暗い路地の向こうに一つの人影が現れた。

「……っ! そこの学生服の君っ! 助けてくれっ!」

 サラリーマンは震える声を絞り出して必死に叫んだ。

「インクルシオを! インクルシオ対策官を呼んでくれっ! 早くっ!!!」

 数メートル離れた場所に立つ『学生服』の人物がこちらを見やる。

 その表情を見たサラリーマンは、瞬時に顔を強張こわばらせた。


 ──『学生服』の人物は、愉快そうに笑っていた。




 6月下旬。東京都月白げっぱく区。

 『厚生省特殊外郭機関インクルシオ』東京本部の隣に建つインクルシオ寮で、「童子班」の高校生たちはタブレットPCを操作していた。

 時刻は午後10時を少し回ったところで、私服姿の4人は1階にある休憩スペースのソファに座っている。

 壁際に飲料の自動販売機が並び、複数のソファセットとテーブルが置かれた休憩スペースは、食後や風呂上がりに訪れる対策官でいつも賑わっていた。

「書けた」

 鷹村哲たかむらてつがタブレットPCから顔を上げて言う。

 続いて最上七葉もがみななはが「私も」と軽く息をつき、雨瀬眞白あませましろが「僕も」と操作を終えたタブレットPCを膝に置いた。

 塩田渉しおたわたるが真剣な表情で「うーん」と唸る。

「どうしたんだよ? 塩田?」

 塩田の向かいの鷹村が訊いた。

「いやぁー。日報は書けたんだけどさ、『その他』欄がさぁー」

「……『その他』欄?」

 2週間ほど前に反人間組織『コルニクス』の壊滅に尽力した「童子班」の高校生たちは、その後、6月の梅雨空の下で任務と鍛錬に勤しむ日々を送っていた。

 そんな中、新人対策官に義務付けられている業務の一つに、『日報』の提出があった。

 『日報』は一日の行動記録を電子フォームに記入し、当日の午後11時までに担当者に送信するものである。

 高校生たちの『日報』の提出先は、指導担当につく特別対策官の童子将也どうじしょうやであった。

「『その他』欄て、何か書くことあるか? 別に空欄でいいだろ?」

 緑茶の入ったペットボトルを手にした鷹村が、疑問を口にする。

 Tシャツにハーフパンツ姿の塩田がニヤリと笑った。

「俺さ、『その他』欄に色々書いてんだ」

「色々って?」

「自作のなぞなぞとか、俳句とか、ポエムとか……」

「え!? マジで!?」

 塩田の珍妙な回答に、鷹村が思わず大きな声を出す。

 雨瀬が「本当に?」と目を丸くし、最上が「バカね」と呆れた。

 塩田はテーブルに置いた缶入りのアイスココアを手に取って言った。

「最初はさ。悩みの相談をちょこちょこと書いてたんだよ。ニキビをキレイに治すのはどうしたらいいですかとか、寝癖を早く整える方法はないですかとか」

 鷹村は眉間を寄せて「くっだらねぇー」と苦笑し、緑茶を一口飲んで訊いた。

「それで、童子さんは何て? そんなの書いて怒られないのか?」

「いいや。怒られたことはないぜ。なぞなぞなら答えてくれるし、俳句やポエムならちゃんと感想を書いてくれる。だから、毎回『その他』欄のネタを考えるのに時間がかかってさー」

「マジかよ……。童子さん、甘すぎじゃないのか……?」

 鷹村が半ば呆然としていると、風呂上がりの童子が休憩スペースに入ってきた。

 童子はソファに座る高校生たちを見つけて声をかける。

「お前ら、日報は11時までやぞ。提出忘れんなや」

 塩田が「はい!」と元気よく返し、鷹村、雨瀬、最上は黙って童子を見上げた。

「……? どないした?」

 ラフなジャージ姿の童子が3人を見返す。

 鷹村が「……俺も、何かネタを探そうかな……」と目を逸らしてため息を吐き、童子は「なんや?」と不思議そうに首を傾げた。


 翌日。午前9時。

 インクルシオ東京本部の最上階の会議室で、定例の幹部会議が開かれた。

 東班チーフの望月剛志もちづきつよし、北班チーフの芥澤丈一あくたざわじょういち、南班チーフの大貫武士おおぬきたけし、西班チーフの路木怜司ろきれいじ、中央班チーフの津之江学つのえまなぶが次々と席につく。

 最後にインクルシオ総長の阿諏訪征一郎あすわせいいちろうが着席し、本部長の那智明なちあきらが議題を進めた。

 各班の反人間組織に関する捜査報告が一通り終了し、那智は手元の資料をトントンと整理して言う。

「ここ最近、『マグナ・イラ』の動きが目立つな。キルリストに載る反人間組織のような派手さはないが、木賊とくさ区を中心に殺人事件を起こしている」

 那智の言葉に、芥澤が反応した。

「ああ。確かにな。そういや、『マグナ・イラ』って、以前は窃盗や恐喝ばかりのチンケなクソ集団だったよな? ここ2年ほどで、殺しが増えたな」

 望月が紙コップに入ったコーヒーに手を伸ばして言う。

「構成員はリーダーを含めて5〜6人だっけ? 『マグナ・イラ』という組織名を名乗り始めたのも、2年くらい前からだったような……」

 インクルシオの黒のジャンパーを着た津之江が「そうそう」とうなずいた。

 路木がボールペンを指でくるりと回して言う。

「以前はただのチンピラグループだったのが、リーダーとなる人物が加入して変わったという話を聞きますね」

 チーフたちが口々に話し、大貫が手を上げた。

「今話題に上がった『マグナ・イラ』は、かねてより南班の捜査対象となっている反人間組織です。しかし、少人数の組織でかえって足跡が追いづらく、リーダーもいまだに不明です。捜査に尽力はしていますが、なかなかその尻尾を掴めていないのが現状です」

 芥澤が「チンピラ上がりのクソ組織のくせに、意外と厄介だな」と口を挟む。

 大貫は「ああ」と返して、言葉を続けた。

「とは言え、近年『マグナ・イラ』が関与する殺人事件が増えているのは事実です。一刻も早く『マグナ・イラ』を壊滅できるよう、今後の捜査に注力していきます」

 那智が「頼んだぞ」と言い、阿諏訪も「うむ」と腕を組む。

 那智は一つ息をつくと、「最後に」とチーフたちを見渡した。

「広報から連絡が行っていると思うが、木賊とくさ第一高校が開催する『安全を考えるイベント』の件はどうなった? うちの特別対策官に参加依頼が来ていたが、誰が行くのか決まったのか?」

「その件は、特別対策官5人に任せていますよ」

 那智の質問に、津之江が答える。

 紙コップに入ったコーヒーを啜った芥澤が訊いた。

「それって、何だったっけ? メールは時任に転送した覚えがあるが、クソ忙しくて中身は流し読みしかしてねぇや」

「『安全を考えるイベント』は、木賊とくさ第一高校の生徒会が主催する特別授業だよ。反人間組織に関する基本的な知識や、犯罪に巻き込まれない為の行動・心がけなんかをレクチャーするらしい。そのゲストとして、うちの特別対策官たちに声がかかったんだ」

 大貫が隣に座る芥澤に説明する。

 望月が手を頭の後ろで組んで言った。

「イベントは来週だったよな。特別対策官たちで都合を話し合って、2、3人が行くって言ってたよ。木賊とくさ第一高校はうちの高校生たちが通ってるから、無下にはできないしな」

 チーフたちの話を聞いた那智が「そうか」と返す。

 阿諏訪がおもむろに口を開いた。

「『マグナ・イラ』による殺人事件が身近で起きている今、木賊とくさ第一高校の『安全を考えるイベント』は、一般の高校生たちが犯罪と安全について学ぶいい機会となるだろう。特別対策官は多忙な身だとは思うが、なるべく時間を融通して参加してやって欲しい」

 そう言うと、阿諏訪は穏やかな笑みを浮かべた。

 各班のチーフたちに異論はなく、定例の幹部会議はとどこおりなく終了した。




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