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グラウカ  作者: 日下アラタ
STORY:26
229/231

12・たとえ死んでも

 東京都乙女おとめ区。

 まもなく午後3時40分になろうとする時刻、グラウカ収監施設『クストス』の北側にある内階段で、反人間組織『イマゴ』のリーダーの穂刈潤と、思想犯として収監中の韮江光彦は、3人の刑務官を殺害して息を吐いた。

「……韮江先生。顔色が優れませんね。今、ここには誰もいないので、少し休みましょうか?」

 壁のプレートに“3F”と表示された踊り場に立つ穂刈が、韮江を見やって言う。

 グラウカ特有の重篤な病である『アンゲルス毒素症』におかされている韮江は、青白い顔で「ああ。すまないな」と謝罪して床に座り込んだ。

「いいんですよ。でも、うちの構成員がインクルシオ対策官や刑務官と交戦している間に、外に出なければなりません。1分程休んだら、下に向かいましょう」

 穂刈は韮江の隣に腰を下ろして、優しく微笑みかける。

 韮江は「わかった」とうなずいて、喉から掠れた声を出した。

「……潤……。俺がここに収監されてから、ずっと新聞やテレビのニュースで『イマゴ』の活躍を見てきたよ。お前は、本当に良い組織を作ったな」

「……いえ。先生にそう言ってもらえて嬉しいですが、これまでの道のりは決して楽ではありませんでした。今は詳しい説明は省きますが、僕は“ある人物”と手を組んで『イマゴ』を結成しました。だけど、その人はグラウカの“特異体”に、ちょっと異常とも言える程に執着をしていて……」

 穂刈が壁に背をもたせて返すと、韮江が「ほう?」と反応した。

「そういう事情もあって、僕らは人間だけではなく、“特異体”を探す為に同族であるグラウカも殺してきました。その仕事は主にエイジに任せていましたが、正直、余計な手間でしたよ」

「そうだったのか。お前が手を組んだんだから、その人は組織にとっては有益な人物なのだろうが……。それにしても、“特異体”かぁ。実は俺、インクルシオにいる雨瀬眞白君が、アヤシイと思っているんだがな」

 韮江が漏らした一言に、穂刈が「え? 雨瀬君?」と聞き返す。

 その時、内階段を駆け上がる足音が響き、癖のついた白髪を揺らした人物──インクルシオ東京本部の南班に所属する新人対策官の雨瀬眞白が姿を現した。

「……っ!!! あ、貴方は、穂刈さん……っ!?」

 雨瀬は階段の途中で足を止め、見知った顔を見上げて驚愕する。

 穂刈は床からゆらりと立ち上がり、丸メガネをかけ直して低く言った。

「……韮江先生。話の続きは後にしましょう。先生は3階の別のルートから1階に下り、裏門に向かって下さい。僕はここを片付けて、すぐに後を追います」


 韮江が踊り場から立ち去った後、穂刈はおもむろに雨瀬に向き直った。

「……やぁ。こんにちは。雨瀬君」

「ほ、穂刈さん……!! 貴方は『イマゴ』の一員だったんですか……!?」

「あはは。一員と言うか、リーダーさ。『イマゴ』は、僕が作った組織なんだ」

「──……っ!!!」

 穂刈のあっけらかんとした告白を聞き、雨瀬は言葉を失う。

 インクルシオ東京本部の1階に入る『カフェスペース・いこい』のアルバイト従業員である穂刈は、雨瀬や「童子班」の面々はもちろん、多くの対策官にとって、いつも穏やかで親しみの持てる好青年であった。

「あ、貴方は、インクルシオのカフェで働きながら、ずっと僕らを騙していたんですか……!!」

「うん。そうだよ。あ、悪いけど、悠長にお喋りをしている時間はないんだ。君の「童子班」のお仲間がここに来たら面倒だし、さっさと決着をつけようか」

 そう言った途端、穂刈はナイフを手にして床を蹴った。

 雨瀬はバタフライナイフを強く握り、立ち止まっていた階段を上り切って、平らな踊り場で交戦を開始する。

 穂刈はナイフを繰り出して雨瀬の左頬を斬り、その傷口がまたたく間に塞がった様子見て、「……君は、本当に……」と小さく言いかけた。

 すると、突然、二人の間に別の人影が割って入った。

「穂刈!! ここにいたのか!! 韮江光彦はどうしたんだ!!」

 雨瀬と同じく黒のツナギ服を纏った人物──東京本部の西班に所属する特別対策官の真伏隼人が荒い息を上げて訊き、雨瀬が「真伏さん!」と声をあげる。

 穂刈は真伏を一瞥して、冷たい声音で言った。

「……ああ。真伏君か。韮江先生は、先に行ってもらったよ」

「……!! やはり、とっくに韮江を探し出していたんだな!! 最初の計画では、奴を見つけ次第、セキュリティ室にいる俺に連絡が入るはずだった!! まさか、俺に知らせずに、乾と3人で逃走するつもりだったのか!?」

 真伏が気色ばんで穂刈の胸倉を掴むと、薄い唇が弧を描いた。

「ああ。そうさ。君は、ただの“捨て駒”だからね」

「何だと……っ!! ならば、この襲撃計画が成功したら、俺を『イマゴ』の大ボスに会わせるというのは……!!」

「ははっ。それを信じていたんだ。そんなの、真っ赤な嘘なのに」

 穂刈が肩を揺らして笑うと同時に、真伏は掴んだ体を床に叩きつけた。

 仰向けに倒れた穂刈が苦しげにうめき、その衝撃で手からナイフが離れる。

 真伏はすぐさまに穂刈に馬乗りになって、大きく叫んだ。

「穂刈っ!!! 今すぐに、『イマゴ』の大ボスの正体を言えっ!!!」

「……ゲホッ。嫌だね。僕は、人間なんかの命令は聞かない」

「俺に、殺されそうな状況でもかっ!!!」

 真伏は床に滑ったナイフを鷲掴むと、穂刈の眉間に鋭い切っ先を押し付ける。

 穂刈は不敵な笑みを浮かべて、眼前に迫る真伏を睨んだ。

「僕の目的は、命が残り少ない韮江先生を自由にすることだ。それさえ叶えば、あとはどうでもいい。だから、たとえ死んでも、この口は割らない」

「……お、お前という奴は……っ!!!」

「さぁ。やれよ、“人間”」

 穂刈が囁くように挑発し、真伏の忍耐と理性が消し飛ぶ。

 その直後、怒りに任せたナイフが眉間を貫き、脳下垂体を破壊した。

「……ま、真伏さんっ!!」

 雨瀬が血相を変えて、二人の側に走り寄る。

 真伏はナイフを突き刺した姿勢のまま、放心したような表情で、穂刈の亡骸を見下ろした。


 オレンジ色の舎房衣を着た韮江は、インクルシオ対策官や刑務官の目を盗みつつ3階を移動し、南側の内階段を使って1階に下りた。

 裏門に一番近い位置にあるドアを目指して、通路を走る。

 しかし、ロの字型をした建物の角を曲がると、屋外に繋がる目当てのドアの前には、10人程の対策官が立ちはだかっていた。

「おい! そこの収監者! 止まれ! もう、施設内の全てのドアの電子ロックは復旧した! 脱走をしようとしても無駄だぞ!」

 一人の対策官が大声で事実を告げ、韮江は走っていた足を止めて、天を仰いだ。

(……ああ。ここまでか……)

 無理を押して動いた病体が一気に熱を上げて、嘔吐感とめまいが襲う。

(……潤は、まだ俺を追い掛けてこない……。エイジも、5階で別れて、それきりだ……。もしかしたら、あの二人は、もう……)

 通路にぽつんと佇んだ韮江は、一つため息を吐いて、片手を動かした。

 数メートル先にいる対策官たちが、「お前、何を……!」と慌てて走り出す。

 韮江は鈍く光るナイフをゆっくりと持ち上げ、自身の顎下に当てた。

「……このまま牢獄で死を待つよりは、こっちの方がマシか。……潤。エイジ。『イマゴ』の構成員たち。皆に進むべき『道』を説いた者として、俺は満足な気持ちで生涯を閉じられるよ。ありがとう。じゃあな」


 ──ほどなくして、血にまみれた未曾有の事態は収束した。

 『クストス』を襲撃した『イマゴ』はリーダーの穂刈、No.2の乾エイジ、元西班の対策官であったリリーこと玉井理比人を始め、幹部5人、構成員80人の全員が死亡した。

 また、館内で暴動を起こした収監者は韮江を含めて172人が死亡、刑務官は43人の犠牲者を出したが、屋外への脱走者は0人に食い止める結果となった。




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