06・襲撃開始
東京都乙女区。
正午を過ぎた時刻、グラウカ収監施設『クストス』の1階にある食堂で、反人間組織『コルニクス』の元構成員の吉窪由人は昼食を取っていた。
広い食堂内に整然と並ぶテーブルは、オレンジ色の舎房衣を着た収監者で埋め尽くされており、それぞれが黙々と食事を口に運ぶ。
「……由人。これを食え」
青色の制服を着た刑務官が監視する中、『コルニクス』の元リーダーの烏野瑛士が、メンチカツの半分を隣に座る吉窪の皿に置いた。
烏野が油物を好まないことを知っている吉窪は、「あ。遠慮なく頂きます。じゃあ、お返しにこれを」と言って、箸を付けていない白和えの小鉢を渡す。
その後、食事を終えた二人は、他の収監者の流れに混じって食堂を出た。
すると、一人の刑務官が「そこの二人。ちょっと待ちなさい」と声をかけ、吉窪と烏野の前に立った。
「先程、お前たちは規則違反をした。食堂内では、飲食物の交換は禁止だ」
「え? そんな規則、今まで聞いたことが……」
刑務官の指摘に、吉窪が驚いて返し、烏野が「これまでも何度か同じことをしたが、何も言われなかったぞ」と眉根を寄せる。
しかし、刑務官は取り合うことなく「お前たちは、独居房行きだ。大人しく従わなければ、刑期が延びるぞ」と告げ、吉窪と烏野は戸惑いの表情を浮かべたまま連行されていった。
「──そうか。あの二人を、独居房に入れたか。ご苦労だった」
ブラインドを上げた窓から太陽光が差し込む部屋で、『クストス』の所長である益川誠は、スマホの通話を切って口角を上げた。
「……烏野瑛士と吉窪由人がグラウカの“特異体”でなければ、二人は今夜、“病死”することになる。死因は、心臓発作がいいだろう」
益川は密やかな声で呟くと、「さてと。仕事にかかるか」と銀フレームのメガネをかけ直して、午後の業務を開始した。
午後3時。
インクルシオ東京本部の西班に所属する特別対策官の真伏隼人は、黒のツナギ服を纏い、腰に1本のブレードを装備した姿で、『クストス』の正門に入った。
アプローチからエントランスに進み、事務受付の窓口で凶悪犯のグラウカの面会許可証を提出すると、武器を外して預ける。
まもなく細身の刑務官が現れて、真伏を面会室に案内した。
「いやぁ。今日は一段と冷えますね。春が待ち遠しいですが、まだ先ですかね」
真伏を先導する刑務官が、コツコツと靴音を響かせて愛想よく話す。
『クストス』はロの字型をした5階建ての施設で、各階の大まかな配置は、1階が所長室・事務室等がある管理エリア及び収監者用の食堂・浴場、2階が娯楽・学習エリア、3〜5階が収容エリアとなっていた。
長い通路を曲がったところで、真伏は前を歩く刑務官との距離を詰めた。
「……おい。このまま何事もないように進んで、セキュリティ室に向かえ」
真伏が背後から低く命令し、刑務官が「え?」と振り返る。
「俺は武器がなくとも、素手でお前を殺せる。それも、一瞬でだ。この場で死にたくなければ、言う通りに動け」
「……っ!」
細身の刑務官は目を見開いて、咄嗟に腰元のホルダーに入ったナイフに手を掛けたが、真伏の「それ以上動いたら、今すぐに殺す」という警告に怯んだ。
そして、二人は面会室が並ぶ通路を通り過ぎて、管理エリアに入る為の扉を刑務官のカードキーで抜けると、セキュリティ室の前に辿り着いた。
ドアが開いた途端、真伏は刑務官を中に押し込んで声をあげた。
「ここの責任者はいるか? 今すぐ、この施設内の全ての出入り口の電子ロックを解除しろ。正門と裏門もだ。さもなくば、お前たち全員の命はないぞ」
「……!! あ、貴方は、インクルシオの真伏特別対策官……!?」
室内にいた15人の職員が仕事の手を止めて、大きく驚愕する。
真伏はドアを背にして、近くのデスクの物入れからハサミを手に取った。
「これは何かの訓練でも、ただの冗談でもない。俺は本気だから、早くしろ」
「……わ、私が、このセキュリティ室の責任者だ。で、電子ロックを解除すれば、『クストス』内の刑務官だけではなく、インクルシオ東京本部にも同時に緊急アラームが届く仕組みとなっている。そうしたら、多くのインクルシオ対策官がここに駆け付ける。な、何が目的かは知らないが、君は直ちに捕まるぞ」
40代くらいの白髪混じりの職員がデスクの椅子を立ち、真伏を睨んで言う。
真伏は一つ息を吐いて、鋭い眼光で見返した。
「……構わない。やるんだ」
同刻。
『クストス』の正門前の片側3車線の道路の路肩に、『東京ハッピーツアー御一行様』とフロントガラスに掲示した2台の観光バスが停車していた。
バスの最前列の座席に座った反人間組織『イマゴ』のリーダーの穂刈潤が、スマホに届いたメッセージを見て叫んだ。
「──『クストス』の正門が開いたぞ!! 全員、襲撃開始だ!!」
穂刈の合図を聞き、『イマゴ』のNo.2である乾エイジを始め、幹部の赤枝真矢、友田太、土居佳成、早乙女京、玉井礼央が弾かれたように立ち上がる。
次いで、2台のバスに分乗した『イマゴ』の構成員80人──普段は“裏の顔”を隠して善良な一般市民として暮らす、主婦、サラリーマン、公務員、フリーター等の男女が、続々とステップを踏んで外に飛び出した。
「僕とエイジは、韮江先生を探す!! 他のみんなは、刑務官をどんどん殺してくれ!! それと、通報を受けたインクルシオ対策官が来るから、そいつらの相手も頼むよ!!」
穂刈が緩いウェーブのかかった黒髪を揺らして走りながら、大声で指示をする。
『イマゴ』の構成員たちは「おおお!!!」と雄叫びを上げて、電子ロックが解除された『クストス』の正門に突入した。
同刻。東京都木賊区。
繁華街の路地裏に佇むグラウカ限定入店の『BARロサエ』で、東京本部の南班に所属する特別対策官の童子将也は、裏口のドアの鍵をピッキングで開けて内部に侵入した。
黒のツナギ服を纏い、両腿に2本のサバイバルナイフを装備した童子の後方には、同班の雨瀬眞白、鷹村哲、塩田渉、最上七葉がおり、5人は薄暗い建物内を慎重な足取りで進む。
1階にあるスタッフルームのドアを開けると、手足をロープで縛られ、口をガムテープで塞がれた店のオネエのママのリリー──元西班の対策官である玉井理比人が床に横たわっていた。
「玉井さん、無事ですか? すぐに拘束を外します」
童子が室内に踏み込んで玉井に駆け寄り、右脚のホルダーからサバイバルナイフを抜いて、固く縛られたロープを切る。
その間に、高校生たちは「せーの!」と言ってドア横の姿見を割り、玉井が鏡の破片を使って自ら拘束を解いたと見せかける細工をした。
「……ど、どうして、貴方たちがここに!?」
「真伏さんから、話を聞きました。元対策官の貴方が、『イマゴ』にいる事情も」
口のガムテープを剥がした玉井が開口一番に訊ね、童子が簡潔に答える。
玉井は壁に掛かった時計を見上げると、厚化粧を塗った顔面を歪めた。
「こ、こうしちゃいられない! 今頃、『イマゴ』は全構成員を集めて『クストス』を襲撃している! 真伏は、その計画に加担しているんだ!」
玉井の言葉を聞いた高校生4人が、「え!? 『クストス』襲撃!?」「ま、真伏さんは、大した用事じゃないって……!」と大きく目を瞠る。
童子はサバイバルナイフをホルダーに戻して、低い声で言った。
「……やはり、昨夜に抱いた疑念が当たってしもたか。一つ手は打っておいたが、緊急事態や。俺らも、『クストス』に急行するで」
「は、はいっ!!!」
童子が踵を返し、高校生4人が慌ててドアに向かう。
玉井が「俺も現場に連れていってくれ。決して、お前たちの悪いようにはしない」と言って後を追い、6人は裏口を走り出ると、黒のジープに飛び乗った。




