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グラウカ  作者: 日下アラタ
STORY:26
221/231

04・冗談と傷口

 午後3時半。東京都乙女おとめ区。

 高い塀が四方にそびえ立つグラウカ収監施設『クストス』は、反人間組織の構成員や重犯罪者のグラウカを収容する施設である。

 この日の自由時間、反人間組織『コルニクス』の元構成員の吉窪由人よしくぼよしとは、太陽光が照らす中庭でバスケットボールに興じていた。

 ドリブルでディフェンスの間をくぐり抜け、レイアップシュートを決めた吉窪は、他の収監者と交代してコートを出る。

「ふぅ。久しぶりに運動した。烏野さんも、バスケどうですか?」

「俺は汗をかきたくないから、やらん」

 上がった息を吐いた吉窪が花壇の前のベンチに歩み寄ると、足を組んで座っていた『コルニクス』の元リーダーの烏野瑛士からすのえいしが、首を横に振った。

 烏野は「それにしても、外は寒いな」と肩をすくめ、吉窪が「そこでじっとしているからですよ。中に入って、温かいコーヒーでも飲みましょう」と笑う。

 オレンジ色の舎房衣を着た二人は連れ立って中庭を去り、その様子を、銀フレームのメガネをかけた人物──『クストス』の所長である益川誠ますかわまことが目で追った。

「……阿諏訪さんは、『キルクルス』の乙黒阿鼻だけではなく、より多くの“特異体”の確保を望んでいる。“彼女”の能力を完全に取り戻す為にも、我々も“特異体”探しに協力せねばな」

 小柄な体躯の益川は、所長室の窓辺に立って独りごちる。

 次いで室内側にくるりと振り返り、ドアの前に立つ刑務官に指示をした。

「君。確か、烏野瑛士と吉窪由人は、“身寄りのない収監者”だったな。明日にでも、何か適当な規則違反を言い渡して、あの二人を独居房に入れなさい」

「──はい。承知しました」

 青色の制服を着た刑務官が、低い声で返事をする。

 益川は再び窓に顔を向け、皺の寄った口角をにやりと上げた。


 午後5時。東京都月白げっぱく区。

 築30年の古びた木造アパートの一室で、反人間組織『イマゴ』のリーダーの穂刈潤は、マグカップに淹れたカフェオレを一口飲んだ。

 6畳間の和室に置いたテーブルの向かいには、『イマゴ』のNo.2である乾エイジが、長い脚で胡座あぐらをかいて座っている。

 乾は甘いカフェオレを啜って、穂刈に訊ねた。

「潤。『クストス』襲撃の件は、うちの大ボスには話したのか? 彼の立場からしたら、簡単には賛成できないと思うが……」

「いや。何も言っていない。もう、彼とは手を切るつもりだ」

 穂刈はマグカップを持ったまま返答し、自身の心積もりを乾に明かした。

「韮江先生を『クストス』から出したら、『イマゴ』の活動は休止する。もちろん、僕はインクルシオのカフェ従業員も辞める。それで、地下にもぐって世間から身を隠しつつ、病におかされた先生のお世話をするよ」

 そう言って、穂刈は文机の上にある写真立てに目をやった。

 そこには、グラウカ支援施設「ひまわり苑」の元職員である韮江光彦と、幼い頃の穂刈と乾が笑顔で写っている。

 乾はくすんだシルバーブルーに染めた短髪を手で掻いて、小さく言った。

「……先生が亡くなった後は、どうする?」

「………………」

 乾の質問に、穂刈はしばし沈黙する。

 やがて、形のいい唇から、静かなトーンの言葉が漏れ出た。

「う〜ん。そうだなぁ。正直、韮江先生がこの世からいなくなったら、何を支えに生きていけばいいのかわからない。だから、僕も死のうかな?」

 穂刈の発言を聞き、乾は切れ長の目を見開く。

 穂刈はすぐに表情を明るくして、「……なんて、冗談だよ。それくらいに悲しいから、先のことはまだ決められないって話さ」と笑った。

「……おいおい。潤。心臓に悪い冗談はやめてくれよ。本当に……」

 乾はテーブルに視線を落として、たしなめるように言葉を押し出す。

 カラカラに乾いて引きった喉は、カフェオレの残りを飲み干しても、潤うことはなかった。


 午後9時。東京都木賊とくさ区。

 繁華街の路地裏に佇むグラウカ限定入店の『BARロサエ』は、スチール製のドアに「本日臨時休業」のプレートを下げていた。

 客のいない1階のフロアには、『イマゴ』の主要メンバーである穂刈、乾、リリーを始め、『クストス』襲撃計画の為に全国各地から上京した幹部5人──赤枝真矢、友田太、土居佳成、早乙女京、玉井礼央の姿があった。

 また、インクルシオ東京本部の西班に所属する特別対策官の真伏隼人が、フロア中央のテーブルの前に立っており、その場につどった全員が『クストス』の平面図を見下ろしていた。

「……『クストス』は、ロの字型をした5階建ての施設で、ここが収容棟と管理棟となっている。建物の東側に渡り廊下で繋がった別棟があるが、こっちは作業棟だ。収監者の数は一般的な人間の刑務所よりも少なく、約600人。刑務官は100人程がいる。正門から突入する場合、まずはまっすぐにアプローチを進んでエントランスに入り、事務受付の窓口があるロビーを抜けて……」

 私服のジャケットに細身のスラックスを履いた真伏が説明し、『イマゴ』の面々がうなずく。

 その途中で、リリーが「あ。ごめんなさい。お湯が沸いちゃったわ。みんなにコーヒーを淹れてくるわね。真伏君は説明を続けていて」と言ってテーブルを離れ、カウンターの中に入った。

 リリーはコンロの火を止めてふと思い付き、「そうだ。こないだ常連のお客様に頂いた羊羹があったわ。ついでに切ろうかしら?」と棚の紙袋に手を伸ばす。

 中から商品を取り出して包装を外すと、木製のカッティングボードに乗せてペティナイフで切り分けた。

「リリー。食べ物はいいよ。コーヒーだけで」

 穂刈が振り返って声をかけ、リリーが「ええ。でも、これ、老舗和菓子店の商品でとても美味しいと評判なのよ。すぐに切るから」と手元から目を離して返す。

 すると、ナイフの刃が、左手の人差し指を浅く切った。

「……痛っ」

 リリーは顔をゆがめ、小さく声を出す。

 その時、リリーを手伝おうとカウンターに近付いた礼央が、大きく叫んだ。

「あんた、人間だったのか!? 傷口から白い蒸気が出ていないぞ!!」

「──っ!!!」

 突然、店内に響き渡った声に、リリーが息を飲み、真伏が顔を上げ、穂刈が「え!? 何だって!?」と鋭く聞き返す。

 礼央はカウンターの中に走り込み、リリーの体を取り押さえると、無理矢理にフロア側に引きり出した。

「……リリー。これは、一体どういうことだ?」

 血が滲んだままのリリーの左手を見て、乾が驚いた顔で訊く。

 穂刈は丸メガネの奥の双眸を、ふつふつと湧き上がる怒りに揺らした。

「……どうやら、君の「山田滋やまだしげる」という名前も、グラウカ登録証も、全てが嘘だったようだね。ここはグラウカ限定入店のバーだから、ママの君が人間だとは夢にも思わなかったよ。僕らは、まんまと騙されていたわけだ。……ところで、このことは、真伏君は知っていたの?」

 穂刈が急に視線を向けて訊ね、真伏は内心で動揺したが、努めて平静な表情で「いや。今、初めて知った」と答える。

 穂刈は「そう」と言うと、リリーの顔を覗き込んだ。

「残念ながら、明日は『クストス』襲撃計画の決行日だ。この大仕事が終わるまでは、ひとまず“他の問題”は置いておく。全てが無事に済んだら、君の正体と『イマゴ』に関わった目的を吐かせる。……そして、殺すよ」

「……………………」

 顔面に濃い化粧を施したリリーは、穂刈を無言で見返した。

 礼央が「こいつは、スタッフルームに監禁しておきましょう」と提案し、他の幹部たちが「ロープはあるか?」「口に貼るガムテープも必要よ」と話す。

 周囲がバタバタと動き出す中、真伏は顔をうつむけて唇を噛むリリー──元西班の先輩対策官である玉井理比人を見やって、こめかみに一筋の汗を流した。




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