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グラウカ  作者: 日下アラタ
STORY:26
220/231

03・求める者と拒む者

 ──俺は、記憶にある限り、父さんに名前で呼ばれたことがない。

 ましてや、笑顔を向けられたり、抱き締められたこともない。

 

 一方、母さんはそれとは正反対で、俺が欲するものを全て与えてくれた。

 いつだって笑顔を向け、名前を呼び、温かな腕で抱擁した。

 だからこそ、俺は余計に父さんからの愛情の欠乏感に苦しみ、どうしてもそれが欲しいと、強く強くこいねがうようになった。


 俺が小学校に上がる時、父さんと母さんが離婚した。

 それまでの苗字の「路木」から「真伏」になった俺は、心の中で父さんへの思慕をますます深めた。

 当時、すでに父さんはインクルシオ東京本部に勤務しており、俺は中学生になるや否や、埼玉県にあるインクルシオ訓練施設に入った。

 年上ばかりの訓練生の中で、トップの成績を取り、2年後に正式なインクルシオ対策官となる資格をもぎ取った。

 配属先は父さんがチーフを務める東京本部の西班を希望し、運良くそれが叶った。

 配属初日、真新しい黒のツナギ服に身を包んだ俺は、数年振りに父さんに会えることが嬉しくて、ドキドキと胸を高鳴らせて執務室のドアを開けた。

「──お久しぶりです! お父さん! 息子の隼人です!」

 頬を紅潮させて挨拶をした俺を、執務机についた父さんは無表情で見やった。

 そのまま、すぐにノートパソコンに視線を落とす。

「今日から任務につく、新人対策官の真伏か。指導担当をつけるから、なるべく早く仕事の内容を覚えるように」

「……は、はいっ!」

「それと、ここは職場だ。個人的な間柄は関係がない。わかったな」

 父さんはキーボードを叩いて抑揚のない声で言い、俺は「……あ、し、失礼しました! 以後、気を付けます!」と慌てて返事をした。

 途端にいたたまれない気持ちが湧き、ぎこちのない動きで執務室を辞する。

 退出の際にちらりと盗み見た父さんは、ドアが閉じ切る最後まで、冷たく静かな表情を崩すことはなかった。


 正午。東京都月白げっぱく区。

 インクルシオ東京本部の1階のエントランスホールで、西班に所属する特別対策官の真伏隼人は、ふと顔を上げて声を発した。

「路木チーフ。お疲れ様です。これから、昼食ですか?」

 偶然に真伏の前を歩いていた西班チーフの路木怜司ろきれいじが立ち止まり、振り向いて「ああ」と答える。

 外部からの訪問客や職員が出入りする場所で、真伏は路木の側に歩み寄った。

「俺も、昼食に出ようとしていたところなんです。今朝は食欲がなくて朝食を取らなかったんですが、さすがにこの時間になると腹が減ってしまって」

「そうか」

 路木の能面のような容貌を見ながら、真伏が懸命に話しかける。

 すると、二人の後方から、よく知る複数人の声が聞こえた。

「俺、今日はコンビニ弁当にするわ。何か甘いデザートも付けちゃおうかな」

「僕もそうしよう。ミートドリアとサラダと飲み物と……」

「俺は、いつもの立ち食いそば店に。かき揚げ天のサービス券があるから、これを使って豪勢にしよう」

 真伏が目を向けると、黒色のジャンパーを羽織った東班チーフの望月剛志もちづきつよし、中央班チーフの津之江学つのえまなぶ、南班チーフの大貫武士おおぬきたけしが、ぞろぞろと歩いてくる。

 スラックスのポケットに両手を入れた北班チーフの芥澤丈一あくたざわじょういちが、エントランスホールに立つ路木と真伏に気付いて声をかけた。

「よう。お二人さん。たまには、親子で一緒にランチしてきたらどーだ?」

 芥澤が口にした“親子”というワードに、真伏は内心でどきりとする。

 チーフ4人は「じゃあ、お先にー」と二人の脇を通り過ぎ、真伏は乾いた唇を湿らせて、思い切るように路木に向き直った。

「路木チーフ。よかったら、昼食をご一緒してもいいですか?」

「……いや。今日は、一人で食べたい」

 しかし、路木はにべもなく断り、真伏は「そ、そうですか……」と落胆した。

 顔をうつむけた真伏を見やって、路木が薄い唇を開いた。

「真伏。以前にも言ったが、俺に父親としての“何か”を求めるのはやめろ。お前がどんなに期待しても、俺は“それ”を与えることはできない」

「……い、いえ。俺は、ただ……その……」

 真伏は返事にきゅうして、歯切れ悪く口ごもる。

 路木は真伏からすっと視線を外し、背中を向けると、外光が差し込むエントランスを出ていった。


 午後5時半。

 東京本部の3階にある対策官用のオフィスで、南班に所属する「童子班」の5人は、有名パティシエの店舗のロゴが入ったチョコレートを口に入れた。

「おお。すげぇ。一粒は小さいのに、口の中でぶわっと旨味が広がる」

「本当ね。カカオの風味とコクがすごいわ。やっぱり、有名店の物は違うわね」

「こんな高そうなチョコ、初めて食べた……。美味しい……」

「うん! マジで旨い! でも、こないだの最上ちゃんのガトーショコラは、これに負けないくらいに絶品だったよ!」

 各々のデスクの椅子に座った高校生4人──鷹村哲、最上七葉、雨瀬眞白、塩田渉が順に感想を述べ、黒のツナギ服を纏った特別対策官の童子将也が「ご馳走さんでした。旨かったです」と言う。

 「童子班」の面々の前には、中央班に所属する特別対策官の影下一平かげしたいっぺいがおり、目の下に浮かぶくまを指先で掻いた。

「みんなに喜んでもらえて、よかったよぉ。このチョコは、俺のバイト先の店長の奥さんがくれたんだけど、一人で食べるのは勿体ないからねぇ」

「え? その奥さん、もしかして影下さんにホの字っスか??」

 塩田が興味津々の顔で訊き、影下が「いやいや〜。毎年、バレンタインの時期に、従業員全員に配ってるんだってぇ〜」と笑って返す。

 わいわいと明るい雰囲気の中、影下は別の方向に目をやった。

「あのぉ〜。真伏さんも、お一ついかがですかぁ?」

 そう言って、影下が「童子班」のデスクを離れ、オフィスの一角でノートパソコンを睨んでいる真伏に近付く。

 真伏は画面に表示したグラウカ収監施設『クストス』の平面図を閉じて、「いらん」とそっけなく返した。

「ええ〜。とっても美味しいですよぉ? そんな、遠慮せずにぃ〜」

「いらんと言っているだろう。仕事に集中したいから、あっちに行け」

 影下がチョコレートの箱を差し出すと、真伏が片手を振って追い払う。

 アルバイト帰りで私服姿の影下は、「ちぇ〜。わかりましたよぉ」と渋々ながらにその場を退散した。

 その時、真伏のデスクに置いたスマホが鳴った。

 真伏がスマホを手に取ると、『BARロサエ』のオネエのママであるリリー──元西班の対策官の玉井理比人たまいりひとからのメッセージが着信していた。

『真伏。本当に、『クストス』襲撃計画に関わるつもりなのか? そんなことをすれば、お前はただちにインクルシオの特別対策官という立場と職を失う。それだけではなく、もし捕まったら、間違いなく刑務所行きだぞ。それでもいいのか?』

 普段のオネエ言葉から男口調に戻った玉井のメッセージを読み、真伏はしばし手中のスマホを見つめる。

 ゆっくりと指を動かして、返信を打った。

『今回の襲撃計画が成功すれば、俺は穂刈にとって最大の功労者となる。穂刈が言った通り、奴は俺を『イマゴ』の幹部にし、大ボスに会わせるだろう。『イマゴ』の黒幕である大ボスの正体さえ掴めれば、奴らを完全壊滅に追い込める。この最大のチャンスをのがすわけにはいかない』

 メッセージの送信ボタンを押して、真伏は目を閉じた。

 少し離れた場所で、「童子班」の5人と影下が雑談をして笑い合う。

 真伏は目を開くと、ノートパソコンを操作し、再び画面に『クストス』の平面図を表示した。




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