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グラウカ  作者: 日下アラタ
STORY:03
22/231

08・未来への願い

 午前9時。東京都月白げっぱく区。

 インクルシオ東京本部の1階にある大ホールに、全対策官が招集された。

 広いホールの壇上には、インクルシオ総長の阿諏訪征一郎が立っている。

 演台に手をついた阿諏訪は、200名近くの対策官を見やって言った。

「この度、ここにいる諸君の誠心誠意の尽力により、私の娘の灰根は無事に見つかった。この場で心からの礼を言わせてもらう。本当に有難う」

 阿諏訪の言葉に、ホールのどこかから拍手が上がり、全体へと広がる。

 しばらく暖かな拍手の音を聞いていた阿諏訪は、再び口を開いた。

「また、灰根を始め児童8人を監禁していた反人間組織『コルニクス』について、厳しい状況下で拠点の特定・突入作戦を成功させた南班には特に謝意を表したい。その中でも、身の危険をかえりみず、勇敢に敵陣に潜入した雨瀬眞白対策官。君のおかげで灰根や他の児童が助かった。本当によくやってくれた」

 そう言うと、阿諏訪は前から3列目の席に座る雨瀬眞白に目を向けた。

 普段の厳格さが消えた柔和な眼差しに、雨瀬は思わず白髪を揺らしてうつむく。

 雨瀬の隣に座る塩田渉が「総長に褒められたじゃん!」と小声で言い、鷹村哲と最上七葉が穏やかな笑みを浮かべ、腕を組んだ童子将也が一つうなずいた。

 阿諏訪は雨瀬からホール全体に視線を戻して言った。

「さて。ここでもう一つ。灰根が諸君に礼を言いたいそうだ。……灰根」

 阿諏訪が促すと、本部長の那智明に手を引かれた阿諏訪灰根が壇上に登場した。

 ホールの対策官たちが「おお!」と歓声を上げる。

 灰根は花の刺繍の入ったワンピースに、赤いリボンのついた靴を履いていた。

 淡いグレーの髪をさらさらとなびかせ、長い睫毛の下に美しい瞳が覗く。

 灰根はまっすぐに前を向いていたが、その表情はいでいた。

「……おっと。すまない。優秀な対策官たちの前で、少々緊張しているようだ。礼の言葉は、むさ苦しい私だけで許してくれ」

 灰根の肩を抱いた阿諏訪が冗談交じりに言い、ホール内に笑いが起こる。

 ほどなくして、阿諏訪は笑顔で灰根と共に壇上を去り、招集は和やかな雰囲気で散会となった。


「いやぁー。無事に終わってよかったなぁー」

 東京本部の大ホールからインクルシオ寮の食堂に移動した塩田が、両手を伸ばして息をついた。

 この日は平日であり、高校生たちは学校の授業があったが、「ここ数日の疲労が溜まってるし、今日はサボ……休もうぜ」と言った塩田に他の3人が賛同し、童子も目をつぶった。

 「童子班」の面々は、それぞれに飲み物を持って窓際のテーブルにつく。

 そこに、北班に所属する特別対策官の時任直輝と、同じく北班の市来匡が姿を現した。

「おー! お前たち! 色々と大変だったが、何とか解決したな!」

「雨瀬君もみんなも、よく頑張ったね」

 黒のツナギ服を着た二人が「童子班」のテーブルに歩み寄る。

 時任は椅子を引いて座り、興味津々で童子に言った。

「童子。聞いたぞ。『コルニクス』の糸賀塁と、タイマンだったんだって?」

 童子の隣の塩田が、飲みかけのアイスココアを勢いよくテーブルに置いた。

「そうッスよ! ワンパンすよ、ワンパン! ナックルダスターを付けた糸賀を、童子さんが素手でワンパ……ぶっ!」

 鼻息を荒くして熱弁する塩田に、童子が「コーフンしすぎや」と腕を回してヘッドロックをかける。

 時任は「え? 殴ったの?」と目を丸くした。

 じたばたと暴れる塩田を押さえて、童子が小さく呟く。

「……まぁ、少し思うところがあってな」

 その静かな言葉に、時任は過去に殉職した8人の対策官の死因に思い至り、納得した様子で「……そうか」と返した。

 ピーチフレーバーの紅茶を飲んだ最上が言う。

「雨瀬と鷹村は、この後吉窪君のところに行くんでしょ?」

 アイスコーヒーを啜った鷹村が「おう」と返し、オレンジジュースのグラスを持った雨瀬が「うん」とうなずいた。

「大貫チーフの計らいで、少しだけ会える。『クストス』に行ってくるよ」

 そう言って、二人は窓の外にあふれる光に目をやった。


 午前11時。

 インクルシオ東京本部の5階の執務室で、南班チーフの大貫武士は二つの湯飲みに番茶を淹れた。

「また番茶かよ。たまには玉露とかを出せよ」

 黒革のソファに座った北班チーフの芥澤丈一が、文句を言いつつ湯呑みに手を伸ばす。

 大貫は「そんなにいい物はないよ」と笑って、自分の湯飲みを手に取った。

「……しかし、阿諏訪灰根を無事に保護できてよかったな。安心したよ」

 両手で湯飲みを包み込んだ大貫が、しみじみと言う。

 芥澤はソファにもたれて渋い表情を浮かべた。

「てゆーかよ。さっきの総長のパフォーマンスはなんなんだ? わざわざ“特異体”を壇上に上げてよ。クソ寒い茶番に鳥肌が立ったぜ」

 芥澤が容赦なく毒づき、大貫が「まぁまぁ」となだめる。

 芥澤は番茶を一口啜り、低い声で言った。

「それによ。正直、あれはもう“特異体”とは言えねぇ個体だろ。見た目じゃわからねぇが、中身は洒落しゃれになんねぇくらいにボロボロだ」

「…………」 

「50年前、グラウカの“特異体”である阿諏訪灰根は『死からの蘇生』の実験を繰り返し受けた。文字通り、『殺されて生き返る』というクソ極まりない実験をな。それが原因で、アンゲルスの分泌量は激減。わずか10歳で成長が止まり、自我を失い、昏睡のような長い眠りに落ちるようになった。現在は感情や反応が全くなく、ただ息をしているだけの存在だ。おそらく、このままゆっくりと衰弱し、やがて朽ち果てるだろう」

 芥澤の言葉に、大貫が痛ましく眉根を寄せる。

 芥澤は短く息を吐いて言った。

「だが、阿諏訪灰根にとってはその方がいい。“特異体”なんざ、クソみてぇな願望を持った奴らの餌食えじきになるだけだ。“不死”なんていう、夢物語を追い求める愚か者共のな」

 芥澤は湯呑みを傾けて、番茶の残りを飲み干した。

 大貫は「そうだな」と言って目を伏せる。

 そして、窓から差し込む光を反射するテーブルを見つめて、小さく呟いた。

「……たとえ、後は朽ちゆくだけの人生だとしても、阿諏訪灰根には健やかに過ごして欲しいと願うよ。もう、決して誰からも搾取されることのないように」


 正午。東京都乙女おとめ区。

 私服に着替えた雨瀬と鷹村は、四方を高い壁に囲まれたグラウカ収監施設『クストス』に訪れた。

 『クストス』は重犯罪者や反人間組織のグラウカを収監する施設である。

 『クストス』の面会は基本的に一親等以内の親族のみとなっているが、二人は大貫の手配により、特別に拘留中の吉窪由人と会うことができた。

 Tシャツにジャージ姿の吉窪が、面会室のアクリル板越しに話す。

「いやぁー。製粉工場に入る前に、眞白からピアスを渡された時は驚いたよ。どこかにGPS発信機を仕込んでくるとは思ったけど、まさか『本命』が俺とはね。……眞白は、最初からダミーが両方とも見つかる覚悟だったのか?」

 吉窪の質問に、パイプ椅子に腰掛けた雨瀬が「うん」と返事をした。

 雨瀬の隣に座る鷹村が補足する。

「本当は、ノーチェックで新拠点に行けるのがベストだったけど、烏野の用心深さを考えるとその確率は低い。電波探知機は至近距離じゃないと反応しないから、眞白以外の人物……よっちゃんに『本命』を付けたんだ」

「その理屈はわかるけどさー。だからと言って、耳や背中を切られる覚悟はなかなかできないよ。眞白は、勇気があってすげぇな」

 吉窪が感心したように言い、雨瀬は首を振った。

「僕より、捜査に協力してくれたよっちゃんの勇気の方がすごい」

「……いや。それは……」

「よっちゃんの協力がなかったら、誘拐された子供たちは『コルニクス』に売られていた。あの子たちの未来と笑顔は、よっちゃんが救ったんだ」

「……でも、俺は今までに多くの子を……」

 吉窪は語尾を小さくしてうつむく。

 鷹村が真摯な声音で言った。

「それは、これからのよっちゃんの生き方で償っていくことだ。『クストス』の収監期間がどれくらいになるかわからないけど、俺たちはずっと待ってる。だから、ここから出てきたら、また太陽の下で3人で遊ぼう。……よっちゃん」

 吉窪は鼻の奥がつんと熱くなり、うつむいたまま「ああ」と返事をした。

 膝の上に置いた両手の甲に、水滴が連続して落ちる。

 その頰には、清らかな二筋の涙が止めどなく伝っていた。

 

「今、『クストス』を出ました。どこかで昼飯を食って、2時前にはそっちに戻ります。……ん? あれ? 塩田? こら、童子さんと話してたんだぞ。急に割り込んでくんな。……え? ……うん。わかったよ。ああ。眞白にも伝えとく。じゃあ、後でな。童子さんに、ちゃんとスマホ返せよ」

 『クストス』の正門前で、スマホの通話ボタンを切った鷹村が振り向いた。

 雨瀬が「どうかしたの?」と訊ねる。

「塩田がさ。今週末に、“第2回タコパ”を開催するって。前回と同じく闇タコもやるんだけど、前に使った具は禁止だってさ」

「……僕、何にしよう……」

 鷹村の話を聞いた雨瀬が足元に目を落として悩んだ。

「童子さんを撃沈させた粒ガムを超える具は、なかなかないよなぁ」

 鷹村がスマホをジーンズの尻ポケットに入れて、いたずらっぽく笑う。

 雨瀬は「あれは狙ってないよ」と身を縮こませて言った。

「よし。帰りにスーパーに寄って下見しようぜ。俺も、次こそは塩田に中途半端って言わせない具を探すぜ」

「うん」

 頭上の空は遥か遠くまで広がり、街の喧騒が心地よく耳に届く。

 雨瀬と鷹村は、まぶしい光の中を駅に向かって走り出した。




<STORY:03 END>

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