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グラウカ  作者: 日下アラタ
STORY:25
217/231

09・止まらない狂気と万が一の方針

 午後2時。東京都月白げっぱく区。

 閑静な住宅街に建つ白亜の邸宅で、インクルシオ総長の阿諏訪征一郎は、香りの良いアールグレイティーを一口飲んだ。

 広いリビングに置かれたソファセットには、阿諏訪の他に、グラウカ研究機関『アルカ』の所長の是永創一これながそういちと、グラウカ収監施設『クストス』の所長の益川誠ますかわまことの姿がある。

 反人間組織『キルクルス』のリーダーの乙黒阿鼻が、グラウカの“特異体”であることが判明し、インクルシオ東京本部の全対策官にその事実を伝えた阿諏訪は、午後の仕事の予定をキャンセルして自宅に戻り、是永と益川を呼んだ。

「……ううむ……。ついに、阿諏訪灰根以来、50年ぶりとなる“特異体”の個体が見つかりましたか。いや、にわかには信じられませんな」

「ええ。この願ってもない朗報に、私も耳を疑いましたよ。だが、これで、ようやく灰根の“特異体”の能力を取り戻すことができます。今後はインクルシオの全勢力を挙げて、一日も早く『キルクルス』の乙黒を確保するつもりです」

 益川が銀フレームの眼鏡を掛け直して息を吐き、阿諏訪が上機嫌で返す。

 是永は白髪混じりの顎髭あごひげを手で撫でて、やや硬い口調で言った。

「……阿諏訪総長。乙黒という青年が、長年探してきた“特異体”であることはわかりました。しかし、重要な国家機密でもある灰根さんの情報を、対策官全員に知らせたのは、我々『アルカ』としてはちょっと……」

「ああ。それについては申し訳ない。灰根のことは、『アルカ』の中でも極一部の研究員のみが知るトップシークレットでしたものね。ですが、うちの対策官たちは“特異体”を都市伝説だと思っているので、信じさせる為には“実例”を挙げるしかなかったのです。もちろん、国家機密情報として、彼らには口外無用の旨は伝えておりますよ」

 阿諏訪は是永の苦言をさほど気にする様子もなく、軽やかに言葉を続けた。

「それより、是永さん。我々が乙黒を確保したあかつきには、灰根との脳移植をお願いしますよ。是が非でも、灰根の『アンゲルス』を復活させましょう」

「……は、はやるお気持ちはわかりますが、実際には、人同士の脳移植は現実的ではありません。ですから、まずは乙黒の脳下垂体から分泌される『アンゲルス』を、時間をかけて様々な面から研究して……」

「いえいえ! それは“人間”の場合でしょう!? 灰根も乙黒も“グラウカ”ですから、脳を取り替えたって何ら問題はありませんよ! あ、それとも、乙黒の脳下垂体を灰根に喰わせるというのはどうですかな!? それで『アンゲルス』を体内に取り入れるんです! なかなか、いいアイデアではないですか!?」

「……っ!!」

 阿諏訪がソファから腰を浮かせて熱弁し、是永が思わず背をらせ、益川が持ち上げたティーカップを置く。

 阿諏訪は自身の発言のおぞましさには気付かず、狂気に彩られた双眸を細めて、「ああ、“その時”が待ち遠しいですな!」と熱い息を吐き出した。


 午後3時半。東京都不言いわぬ区。

 街角に建つハンバーガーショップのボックス席で、黒色のパーカーのフードを目深まぶかに被った青年──『キルクルス』のリーダーの乙黒は、熱々のフライドポテトを口に放り込んだ。

「今朝、インクルシオにいる“協力者”からメールが来てね。何でも、東京本部で全体会議が開かれて、僕と阿諏訪灰根がグラウカの“特異体”だって、総長サンから対策官全員に知らされたらしいよ」

「……そうか。今後、連中はますますお前の確保に躍起になるだろうな。こういう気軽な外出は控えた方がいいし、今まで以上に周囲に気を配らなければならない」

 木賊とくさ第一高校のブレザーを着た『キルクルス』のメンバーの半井蛍が、チーズバーガーを頬張って、小さくため息を吐く。

 乙黒は「うん。そうだね。大変だ」と同意しつつ、スマホの裏面に貼った一枚のプリントシールを見やった。

「……でもさ。僕が“特異体”だとバラしたことで、眞白と哲は、もっともっとこっちを見てくれるはずだ。僕はそれが何よりも嬉しいし、本望なんだよ」

 乙黒は満足げに微笑んで、チキンナゲットに手を伸ばす。

 半井は特に言葉を返さず、二人は店内の明るいざわめきを聞きながら、黙々と食事をした。


 午後5時。東京都木賊とくさ区。

 繁華街の路地裏に佇むグラウカ限定入店の『BARロサエ』で、反人間組織『イマゴ』のリーダーの穂刈潤は、ホットココアを飲んで言った。

「昨夜、エイジから報告を聞いた時は驚いたよ。まさか、『キルクルス』のリーダーが“特異体”だったとはね。どおりで、こないた僕が殺した場所から、忽然こつぜんと姿を消したはずだよ」

「ええ。本当にねぇ。おまけに、真伏君からの情報では、インクルシオ総長の双子のお姉さんも“特異体”だって言うじゃない。もうビックリを通り越して、「“特異体”のバーゲンセールかい!」ってツッコんじゃったわよ」

 店のオネエのママのリリーが、カウンター内で開店前の準備をしながら返す。

 元々、灰根が“特異体”であることを知っていた穂刈は、「そうだね」とだけ言ってココアが入ったカップを傾けた。

 穂刈の隣のスツールに座る乾エイジが、ホットコーヒーを啜って言う。

「もし、次に『キルクルス』のリーダーと会うことがあれば、何とかして確保しないとな。まぁ、あっちの他のメンバーはともかく、元インクルシオNo.1の鳴神冬真と交戦となったら、ちとキツいけどさぁ」

 乾がおどけるように笑って言うと、穂刈が真剣な表情で訊いた。

「……エイジ。鳴神を、倒せる?」

 穂刈は『イマゴ』の“大ボス”である阿諏訪の要望を叶え、『クストス』に収監されている韮江光彦の早期出所の足がかりを得ることを望んでいる。

 乾は一拍の間を置き、にかりと笑って、「ああ。倒すよ。俺に任せておけ」と請け負った。


 午後11時。東京都月白げっぱく区。

 冴え冴えとした月明かりが照らすインクルシオ寮で、南班に所属する雨瀬眞白は、自室のテーブルに視線を落とした。

「……クソ。何てことだよ。阿鼻が、グラウカの“特異体”だったなんて……」

 白色のジップアップパーカーを羽織った雨瀬の向かいには、グレーのスウェット姿の鷹村哲がおり、床に胡座あぐらをかいた姿勢で低く呟く。

「……灰根さんも、“特異体”だった……」

「……ああ。そのことにも、驚いたな。これで、俺が知る“特異体”は3人だ」

 鷹村が前を見て言い、雨瀬は更に顔をうつむかせた。

 不意に、過去の記憶が脳裏によみがえり、痩せた背中がぶるりと震える。

「……去年、『都市伝説・You』のオフ会で会った遊ノ木さんが、“特異体”はあらゆる人体実験を受けたって言ってた……。その一つが『腕切りテスト』で、千回以上も腕を斬り落とされたって……。これは、多分、灰根さんのことだ……」

「……おそらく、そうだろうな。残忍極まりない、極悪非道な行為だ。それを、“特異体”だからって、10歳かそこらの少女に躊躇ちゅうちょなくしたんだ」

 鷹村は顔をしかめて、きつく吐き捨てた。

 雨瀬は背中だけではなく、全身が小刻みに震えるのを感じて、両膝を立てて顔を埋めた。

 これ以上にない程に体を小さく縮こめて、消え入りそうな声で言う。

「……哲……。僕も“特異体”だと知られたら、無理矢理どこかに連れて行かれて、人体実験をされるのかな……」

「…………」

 雨瀬の不安の吐露に、鷹村はすぐに答えることができず、強く歯噛みをした。

 二人の間にしばらくの沈黙が流れ、鷹村が喉から掠れた声を押し出す。

「……眞白。お前を、誰にも不当に傷付けさせたりはしない。万が一、お前がグラウカの“特異体”だと周囲にバレた時は……」

 鷹村が言葉を区切り、雨瀬が膝頭から顔を上げた。

「……インクルシオを辞めて、二人で逃げよう」

 静かで哀しい囁きが、部屋の中に溶けていく。

 雨瀬はゆっくりと瞼を閉じて、「うん」と、返事をした。





<STORY:25 END>

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