05・ついでの誘拐
東京都乙女区。
高い塀がぐるりと四方を囲むグラウカ収監施設『クストス』は、反人間組織の構成員や重犯罪者のグラウカを収容する施設である。
反人間組織『コルニクス』の元構成員だった吉窪由人は、午後3時を少し回った自由時間に、休憩ルームで手紙を書いていた。
「それは、雨瀬眞白たちへの手紙か?」
オレンジ色の舎房衣を着た吉窪と同じテーブルには、『コルニクス』の元リーダーの烏野瑛士がおり、新聞紙を片手にちらりと目を向ける。
「はい。眞白と哲に、近況報告を。と言っても、何の変わり映えもない毎日なので、あいつらが読んでも面白みのない内容ですけど……」
「いや。日々の出来事に変わりがなくとも、お前が健康に生きていることを知れれば、それが何よりの便りとなるだろう。友達とは、そういうものだ」
烏野が新聞紙に視線を落として言い、吉窪が俯けていた顔を上げた。
「……烏野さん。ありがとうございます」
「何も、礼を言われるようなことは言っていない。それより、もし手紙で伝える話題が無い場合は、『クストス』のあるあるネタを面白おかしく書くといい。例えば、たまに食事に出てくるビーフステーキは、まるでゴムのように硬く、収監者たちの顎が否応なく鍛えられるとな」
「ははは。確かに。とんかつは脂身だらけの“ハズレ”があって、食べると3日間は胃もたれするとか。そういったあるあるネタは、けっこう書けますね」
烏野が提案し、吉窪が朗らかに笑って返す。
その時、二人の横から、「どうも。こんにちは」と声がかかった。
「以前は転びそうになったところを、助けてくれてありがとう。ところで、雨瀬って名前が聞こえたんだけど、もしかして、“グラウカ初の対策官”の雨瀬眞白君のことかい? いやぁ、実は俺も、彼とは既知の仲でね」
そう言って、吉窪と烏野のテーブルに近付いたのは、『クストス』に10年間収監されている白髪混じりの男──思想犯の韮江光彦であった。
吉窪が「こんにちは」と会釈をすると、韮江はそそくさと椅子に座った。
「俺、雨瀬君とは面会で二度会ったことがあるんだ。そのどちらもインクルシオの捜査の関連で来たんだけど、彼はとても大人しくて真面目な印象だったなー。だけどさ、二度目の面会の時、彼、唐突にグラウカの“特異体”の話題を出してね。俺を油断させて口を滑らせる為の世間話だって言ってたけど、雨瀬君と都市伝説って、何だかイメージが合わなくてさー」
韮江は過去の出来事をぺらぺらと喋り、可笑しそうに笑う。
吉窪は「へぇ。そんなことがあったんですか」と返し、どこか懐かしそうな表情で言った。
「俺は眞白の幼馴染なんですが、あいつがそういう話をしたのは意外です。だって、小学生時代は、どんな都市伝説にも全く興味を示さなかったですから」
午後4時。東京都月白区。
インクルシオ東京本部の南班に所属する「童子班」の5人は、同班の対策官たちと共に、反人間組織『イマゴ』による殺人事件の捜査にあたっていた。
この日の早朝から、事件が起こった不言区のクリーニング店周辺で聞き込み捜査を行い、昼過ぎに黒のジープで本部に戻った5人は、2階の小会議室での捜査報告会を経て、3階のオフィスで防犯カメラの映像をチェックした。
慌ただしい捜査で昼食を取り損ねたベテラン対策官の薮内士郎が、デスクで焼きそばパンを頬張って言った。
「こりゃあ、ダメだな。事件現場の路地を映す防犯カメラは一台もない上に、近隣のいくつかの民家や大通りにある店舗から借りてきた防犯カメラ映像には、怪しい動きの人物は映っていない」
「ええ。『イマゴ』の犯人は、防犯カメラを巧みに避けて動いているんでしょうね。嫌な言い方ですが、殺人の仕方が上手いですよ」
薮内の向かいのデスクでカレーパンを齧った城野高之が、長めの前髪を空いている方の手で払った。
「午前中の聞き込み捜査でも、目ぼしい情報は得られませんでしたね」
特別対策官の童子将也が、インスタントヌードルの麺を啜って言う。
鷹村哲、塩田渉、最上七葉の高校生3人が、コンビニエンスストアで購入したおにぎりを食べ終えてキョロキョロとしている様子を見て、童子は「お前ら。こっちに、まだ惣菜パンがあるで」と言ってビニール袋を手渡した。
紙パックのほうじ茶を飲んだ雨瀬眞白が、「あの」と声を発した。
「今回の『イマゴ』の殺人事件と、『フォルミカ』のグラウカ誘拐事件には、何らかの繋がりがあるんでしょうか?」
雨瀬の質問を聞き、鷹村が「あー。それは、どうだろうな?」と首を捻り、塩田と最上が「うーん」と悩む。
童子がインスタントヌードルの具材の小エビを割り箸で摘んで言った。
「不言区で殺された女性は「人間」や。おそらく、こっちは突発的な殺人で、『フォルミカ』のグラウカ誘拐事件とは関係がないやろうな。せやから、俺らは不言区の殺人事件の捜査をしつつ、『フォルミカ』の動きも警戒せなあかん。今後も、気を抜かずに任務に臨んでいくで」
「はい!!!」
童子の言葉に、高校生4人が大きく返事をする。
ほどなくして、小腹を満たした南班の対策官たちは、再び防犯カメラ映像のチェック作業に没入していった。
午後9時。東京都不言区。
反人間組織『キルクルス』のリーダーの乙黒阿鼻は、児童養護施設「むささび園」の地下から外に出て、徒歩で15分程離れた場所にある公園に到着した。
「あー。これこれ。ここの自動販売機で売っているホットバナナジュースは、たまに無性に飲みたくなるんだよね」
黒色のパーカーのフードを目深に被り、顔を隠す為のマスクを付けた乙黒は、ウキウキとした気分で自動販売機の前に立つ。
すると、冬の冷気に包まれた公園内で、男女の声が聞こえた。
「ねぇねぇ。君って、グラウカだったりする? この近くにグラウカ限定入店のクラブがあるんだけど、俺らと一緒に遊びに行かない?」
「えー。そうだけど、どうしようかな……」
「えっ! 本当にグラウカなの? じゃあ、行こうよ! 俺らが奢るからさ!」
乙黒が顔を向けると、公園の遊歩道に男性二人と女性一人の姿が見える。
髪色を派手に染めて、シルバーアクセサリーを身に付けた男たちは、20代前半と思しき女性を両側から挟んで口説いていた。
「うーん。少しなら、付き合ってもいいよ」
「やった! 俺ら、車に乗ってきたから、それで行こう! ほら、あそこ!」
ゼブラ柄のフェイクファーコートを着た女性が応じ、男たちが公園の門の前に停めたバンを指差す。
男女3人が門に向かうと、乙黒は自動販売機から離れて走り出した。
「ちょっと待って! 僕もグラウカだよ! 遊ぶのなら、付き合うよ!」
「……あ!? 何だ、お前は!?」
女性のナンパに成功した男たちが、乙黒の出現に驚いて立ち止まる。
乙黒は相手の反応を気にすることなく、遊歩道に落ちていた木の枝を拾って二つに折り、左手の甲に突き刺した。
「……っ!!!」
「はい。これが、グラウカの証明だよ。だから、僕もクラブに連れてってよ」
破れた皮膚から血が流れて白い蒸気が上がり、乙黒がにこりと微笑む。
男たちは呆気に取られていたが、やがて互いの顔を見やり、「まー、いいか」「ああ。ついでに連れて行こう」とうなずき合った。
「わ! 嬉しいな! 僕、クラブって初めてで、すごく楽しみ……うわっ!」
乙黒が歓喜すると同時に、男の一人が素早く腕を回し、マスクの上から口を塞ぐ。
もう一人が同様に女性の口を押さえ、無理矢理に引き摺ってバンに押し込むと、車内で待っていた“仲間”の手で、スライドドアが勢いよく閉められた。




