04・二人のリーダーと消えた死体
午後8時。東京都不言区。
閉園済みの児童養護施設「むささび園」の地下の物置部屋で、反人間組織『キルクルス』のリーダーである乙黒阿鼻は、海鮮の具材がたっぷりと入った海苔巻きを口一杯に頬張った。
横に倒した冷蔵庫に腰掛けた乙黒の前では、『キルクルス』のメンバーの鳴神冬真、獅戸安悟、遊ノ木秀臣、半井蛍、茅入姫己がテーブル代わりの木箱を囲み、同じく海苔巻きを食べている。
6人は窓のない部屋で同じ方向を見やり、無言で太い海苔巻きを食べ切って、安堵にも似たため息をついた。
「……いやー! 美味しかった! 遊ノ木さん、ありがとう!」
乙黒が静寂を破って声をあげ、他のメンバーが「ご馳走様」と口々に言う。
薄茶色のスーツにコートを羽織った遊ノ木が、「いえいえ」と笑顔で返した。
「乙黒君から、今年の恵方巻きを食べるのを忘れてたって聞いてさ。じゃあ、とりあえずカタチだけでもやろうよってことで、よく行くお寿司屋さんに頼んで巻いてもらったんだ」
「あー。俺も忘れてたな。でも、遊ノ木さんのおかげで旨い恵方巻きが食えたぜ」
獅戸が腹部を摩って言い、半井がこくりとうなずく。
茅入が紙コップに入れた緑茶を一口飲んで、乙黒に訊ねた。
「ねぇ。阿鼻君。この児童養護施設にいた時は、節分の豆まきとかしたの?」
「うん。豆まきもやったし、恵方巻きも食べたよ。毎年、僕は豆まきの鬼役を買って出るくらいにノリノリだったんだ。だけど、眞白と哲は、全然はしゃいでなかったな。特に、眞白はそういったイベント事には興味がなくて、普段から哲以外の人とは交流を持とうともしなかったし……」
乙黒は寂しげな表情を浮かべて答え、「だからさ」と言葉を続けた。
「去年のクリスマスイブにあった、遊ノ木さんのサイトのオフ会に、眞白が一人で参加したと聞いた時は本当に驚いたよ。その上、眞白がグラウカの“特異体”に関心を示していたと知って、思わず嫉妬で“特異体”を憎んじゃった」
乙黒が小さく告白すると、獅戸が「何だよ、それ」と苦笑する。
鳴神が涼しい双眸を向けて、諭すような声音で言った。
「乙黒自身が、その“特異体”だ。嫉妬する必要も、憎む必要もない」
「はは。だよね。つい、自分でも訳のわからない感情になってさ。だけど、もし僕がグラウカの“特異体”だと知ったら、眞白も、そして哲も、もっとこっちを見てくれるのかなぁ……」
電池式のランタンの光が照らす空間で、乙黒がしんみりと呟く。
しかし、乙黒はすぐに顔を上げ、場の雰囲気を変えるように「もう一杯、緑茶を飲もうかな! まだあるー?」と明るく言って、手元の紙コップを差し出した。
午前1時。
反人間組織『イマゴ』のリーダーの穂刈潤は、愛用のミニサイクルに乗って“夜のサイクリング”に興じる途中で、ふと目についた人間を殺した。
顔面を鷲掴みにして握り潰した若い女性の衣服に、血文字で『イマゴ』と書き残し、水位の浅い用水路にボトンと蹴落とす。
死体は仰向けになり、水の流れに沿って、毛髪がゆらゆらと靡いた。
(……何となく、気が向いてサイクリングに出掛けたけど、けっこう遠くまで来ちゃったな。さすがに夜中は寒いし、もう帰るか)
不言区にある古いクリーニング店の裏手の路地に立った穂刈は、白い息を吐いて、近くの塀に立て掛けたミニサイクルを振り向く。
その時、街灯のない真っ暗な道の奥から、細い人影が現れた。
「……わっ! その女の人は、死んでいるの? もしかして、貴方が殺した?」
「……!!」
黒いパーカーを着た男が驚愕して立ち止まり、穂刈が鋭い眼光を向ける。
すると、目深に被ったフードの下から覗く青白い容貌に、見覚えがあることに気付いた。
「……ん? 君は、反人間組織『キルクルス』のリーダーかい? 確か、乙黒という名前の……」
「えっ。よくわかったね。あ、そっか。事件のニュースで僕の顔写真を見たことがあるんだね。ええと、そっちは……あれ? 『イマゴ』って、あの反人間組織『イマゴ』? マジ? もしかして、君も、僕と同じくリーダーだったりして」
乙黒は用水路に浮かぶ女性の血文字を見て、慌てたように言う。
穂刈が警戒心を解かない眼差しで「ああ。僕は、『イマゴ』のリーダーだよ」と答えると、乙黒は途端に目を輝かせた。
「それ、ホント!? あのさ、僕ら『キルクルス』は、インクルシオのキルリストの最上位組織になることが目標なんだ!! だから、リーダー対決ってことで、今から僕が貴方を殺すね!! それで、僕らがイチバンの組織になるよ!!」
そう言って、乙黒はパーカーのポケットから折り畳みナイフを取り出す。
穂刈は「え?」と戸惑ったが、乙黒は構うことなく前に突進し、「ごめんね! 僕と遭ったことが不運だったねー!」と叫んでナイフを突き出した。
──それから5分後。乙黒は大の字で、アスファルトの上に倒れていた。
穂刈は乙黒の攻撃を難なく躱し、自身のナイフで素早く眉間を貫いて、グラウカの弱点である脳下垂体を破壊した。
「……なんだ。大したことなかったな」
足元で絶命した『キルクルス』のリーダーを見下ろして、丸メガネを掛け直す。
穂刈は二つ目の死体を用水路に落とし、踵を返して、ミニサイクルで帰路についた。
午前7時半。東京都月白区。
インクルシオ東京本部の南班に所属する「童子班」の5人は、黒のツナギ服を纏い、それぞれに武器を装備して、本部の2階のロッカールームから内階段を使って1階に駆け降りた。
10分程前、5人はインクルシオ寮の食堂で朝食を取っている際に、南班の管轄エリアである不言区内で女性の遺体が発見されたという一報を受け、食事を切り上げて本部に走った。
エントランスに足早に向かいながら、特別対策官の童子将也が言った。
「今回の不言区の事件は、『イマゴ』の犯行や。南班の対策官も、10人以上が現場に向かっとる。俺らもどんな些細な手がかりや情報も見逃さへんように、しっかりと捜査するで」
「はい!!!」
童子の後を追う雨瀬眞白、鷹村哲、塩田渉、最上七葉が、大きく返事をする。
高校生たちは木賊第一高校の授業を欠席することを、早々に決めていた。
「それと、大貫チーフの話によると、すでにマスコミが事件を嗅ぎつけとるらしい。もうまもなく、テレビやインターネットのニュースに第一報が出るやろうな」
「それなら、多くの野次馬が集まってくるかも……。一般人が不用意に事件現場に踏み込まないように、目を配ります」
鷹村が懸念事項を思案して返し、他の3人がうなずく。
童子は「よし。ほな、急いで行くで」と言って前を見据え、5人はワークブーツの足音を響かせて、早朝の光が差すエントランスを抜けた。
一方、月白区に建つ築30年の木造アパートの一室で、穂刈はスマホのニュースサイトを見て目を瞠った。
トップ画面に掲載された殺人事件の速報記事には、“不言区で若い女性が『イマゴ』に殺害された”と書かれているが、穂刈が殺した“もう一人”についての記述はどこにもなく、見落としたのかと何度も読み返した。
(……これは、どういうことだ? あの女と同じく、乙黒も用水路に落としたはずだ。奴の脳下垂体をナイフで貫いたつもりが、僅かにズレていたのか? それとも、まさか……)
不意に一つの可能性が脳裏に浮かび、額にじわりと汗が滲む。
穂刈は和室の畳の上で、怪訝な顔のまま、身じろぎもせずに手中のスマホを見つめた。