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グラウカ  作者: 日下アラタ
STORY:25
211/231

03・渇望と実際

 午後6時半。東京都月白げっぱく区。

 インクルシオ東京本部の5階にある執務室で、西班チーフの路木怜司は、ゆったりとした動作でオフィスチェアに背をもたせた。

 黒のジャンパーを羽織った路木の前には、西班に所属する特別対策官の真伏隼人まぶせはやとが、両手を後ろに組んで立っている。

 腰にブレード1本を装備した真伏は、背筋をピンと伸ばして言った。

「路木チーフ。蘇芳すおう区の捜査ですが、現在のところ、グラウカの女性3人を誘拐したと見られる『フォルミカ』のメンバーの行方、および奴らの拠点に関する手掛かりは掴めていません。ですので、今後は蘇芳すおう区以外の区にも捜査範囲を広げるつもりです」

「ああ。そうした方がいいだろう。引き続き、しっかりと捜査をしてくれ」

 真伏の報告を聞いた路木は、感情のうかがえない眼差しで簡潔に返す。

 真伏は「はい」と返事をして、執務室を退室しようと体を動かした。

 すると、路木は細身のスラックスを履いた足を組み、「ところで、真伏」と抑揚のない声で呼び止めた。

「今回の誘拐事件の裏に、『イマゴ』がひそんでいる可能性があるのは、捜査会議で伝えた通りだ。そう言えば、お前はこれまでに何度となく、俺に『イマゴ』を壊滅してみせると言っているが……」

「……は、はい」

 路木に急に話を振られ、真伏はどきりと胸を鳴らして、ドア側に向けた半身を慌てて戻す。

「俺はインクルシオという組織に属する者として、その自信に満ちた宣言が、なるべく早く現実のものとなるように願っている。だから、頼んだぞ」

「……はい!! お任せ下さい!!」

 路木の激励の言葉を聞き、真伏は頼もしい表情を作って請け負った。

 そのまま「では、失礼します!」と一礼をし、きびきびとした動作でドアを開けて通路に出る。

 実の親子である二人の間をへだてるドアが閉まると、ひと気のない長い通路にしんとした静寂が降りた。

(……インクルシオに属する者として……か……)

 真伏はわずかに口端を上げ、“父親として、息子に期待して欲しい”という強い渇望を、心の中で押し殺す。

(……とにかく、今は『インクルシオ』と『イマゴ』の間で、上手く立ち回るしかない。この俺が、奴らの“大ボス”の正体を暴き、完全に壊滅するまでは……)

 真伏は胸の痛みを振り払い、双眸を鋭く細めて、通路を歩き出した。


 午後7時。

 東京本部の南班に所属する「童子班」の5人は、担当エリアの巡回任務を終えて、黒のジープで本部に戻ってきた。

 5人は地下駐車場からエレベーターで1階に上がり、本部の隣に建つインクルシオ寮で夕食を取る為に、エントランスの方向に進む。

 その途中で、塩田渉が両手をこすり合わせて言った。

「童子さーん。夕メシを食う前に、何かあったかいモノを飲みましょうよー」

「賛成。今日はすげぇ冷え込んでたから、体がカチカチだ……」

 鼻の頭を赤くした鷹村哲が賛同し、雨瀬眞白と最上七葉がこくこくとうなずく。

 黒のツナギ服に黒のジャンパーを羽織った特別対策官の童子将也が、「ほな、こっちに行こか」と通路を引き返し、一行は『カフェスペース・いこい』の前にやってきて開け放しのドアをくぐった。

 注文カウンターで飲み物をオーダーし、トレーに5人分のドリンクを乗せて、店内の空いているテーブルにつく。

 その時、童子が別のテーブルにいる真伏に気付き、挨拶をした。

「真伏さん。お疲れ様です。ここで、夕メシですか?」

 ホットドッグを齧っていた真伏がちらりと視線を寄越し、ホットレモネードを手にした高校生たちが「ま、真伏さん! お疲れ様です!」と声を揃える。

「……フン。俺はこの後も、捜査で忙しいからな。寮でゆっくりと夕食を取っている時間はない。お前たちは、今からティータイムか? 悠長なことだな」

「俺らは巡回任務から戻ってきたところなんですが、外の気温がかなり低かったので、温かい飲み物をと思いまして。真伏さんも、捜査に出るなら使い捨てカイロがあった方がええですよ」

 真伏の嫌味をかわして、童子はホットコーヒーを一口飲んだ。

「そんで、『フォルミカ』の捜査はどうですか? 何か進展はありましたか?」

「……いや。ない。連中の行方も、拠点も、全くの不明だ」

 童子が質問をし、真伏は素っ気なく答えて、ホットドッグの最後の欠片を口に放り込む。

 しかし、真伏は実際には、グラウカの犯罪グループ『フォルミカ』の拠点のも、一連のグラウカ誘拐事件が反人間組織『イマゴ』の“あの人”と呼ばれる“大ボス”の命令で起こっていることも、乾エイジから聞いて知っていた。

(……乾の話によると、“大ボス”はグラウカの“特異体”を探しているらしい。そんな都市伝説でしかあり得ない存在の為に、こっちは捜査が進まないように気を遣わなくてはならない。まったく、とんだ迷惑だな)

 真伏は内心で苛立いらだち、トレーを持って椅子から立ち上がった。

 すると、店内にガチャンと甲高い音が響いた。

 空のコーヒーカップを不注意でテーブルから落とした対策官が、「わぁ! すみません!」と声をあげて床にしゃがみ込む。

 高校生たちが咄嗟とっさに動いて割れたカップの破片を拾い、その際に雨瀬が右手の指先を切って、「いたっ……」と小さく声を漏らした。

「あ! みなさん! 危ないですから、拾わなくていいですよー!」

 店のアルバイト従業員である穂刈潤が、ほうき塵取ちりとりを持って走ってくる。

 カップを割った対策官が申し訳なさそうに謝り、エプロン姿の穂刈が笑顔で応じて片付け、雨瀬は他の高校生3人が心配する中、「ちょっと切っただけ。平気だよ」と言って白い蒸気が上がる傷口を隠した。

 真伏は「気を付けろ」と対策官に一言注意をして、店を出ていく。

 童子は雨瀬が背中側に回した右手を、無言でそっと見やった。


 午後8時。東京都伽羅きゃら区。

 派手なネオンがいろどる繁華街の一角に、覗き部屋、個室ビデオ、SMクラブ等が入る6階建ての風俗ビルがある。

 その地下1階の空きテナントで、『フォルミカ』のリーダーの蟻本王介ありもとおうすけは、日焼けサロンで焼いた肌がじわりと汗ばむのを感じた。

「こないだは、グラウカ3人を誘拐してくれてありがとうな。いい仕事だったよ」

「あ、ああ……。俺らのグループは誘拐は不慣れなんで、けっこう雑な感じでさらっちまったけど、役に立てたのならよかったよ」

 元々はピンクサロンだった場所で、花柄のソファに腰掛けた人物──『イマゴ』の幹部である乾が笑みを向け、蟻本は視線を下げて返す。

 世間の誰もが知る“大物の犯罪者”を前にして、手の甲に蟻のタトゥーを彫った22歳の蟻本の体が、無意識に緊張で強張こわばった。

「じゃあ、またグラウカを誘拐したら連絡してくれ。ここまで、引き取りに来るから」

 短髪をくすんだシルバーブルーに染めた乾が立ち上がると、蟻本が顔を上げた。

「い、乾さん。一つ訊きたいんだけど、グラウカを誘拐して、すぐに殺すのは何でだ? 俺、乾さんからこの仕事を依頼された時は、てっきり身代金目的だと思ってたんだけど……」

 乾は店のドアに向かおうとした足を止めて、振り向いた。

「んー。それは言えないなぁ。ま、とにかく、君らは何も気にせずにグラウカを誘拐してくれ。その人数に応じた礼金は、ちゃんと払うからさ」

 そう言って、乾は裾の長い上着をひるがえし、ドアを開ける。

 蟻本と室内にいた『フォルミカ』の10人のメンバーは、コンクリートの階段を登って遠ざかっていく足音を、緊張の解けきらない顔で聞いていた。




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