02・“目的”
午後1時。東京都月白区。
インクルシオ東京本部の1階の大会議室で、各班毎の捜査会議が開かれた。
広々とした会議室の演台に立ったチーフたちは、それぞれの班の対策官を前にして、蘇芳区で発生したグラウカ誘拐事件にグラウカの犯罪グループ『フォルミカ』が関与していると思われること、また、過去に起こった『ノクス』のグラウカ誘拐事件との類似性から、その背後に乾エイジと反人間組織『イマゴ』が潜んでいる可能性があることを話した。
この日の朝、南班に所属する「童子班」の高校生4人は、普段通りに木賊第一高校に登校していたが、スマホに届いた連絡メールで全班の捜査会議が行われることを知り、授業を早退して参加した。
捜査会議は40分程で終了し、黒のツナギ服を纏った各班の対策官たちが、大会議室の扉からぞろぞろと通路に出る。
高校の制服である紺色のブレザー姿の塩田渉が、周囲を見てぼそりと言った。
「なぁ。今回のグラウカ誘拐事件に、本当に乾エイジが関わってんのかな?」
「……グラウカの犯罪グループが、一般のグラウカを誘拐する。確かに、去年の『ノクス』の事件と似ていると思う。上層部がそう疑うのも、無理はないな」
塩田の隣を歩く鷹村哲が、学生鞄を肩に担ぎ直して返す。
二人の後方にいる最上七葉が、眼差しを険しくして言った。
「乾はキルリストの個人最上位であり、組織最上位の『イマゴ』の一員でもあるわ。もし今回の事件に関与しているのなら、奴を倒す為にも、まずは『フォルミカ』を捕まえないと……」
「うん。それと、次の誘拐事件を『フォルミカ』に起こさせないことも重要だ。僕らも、巡回エリアのルートの見直しをして、細い路地まで徹底的に見回ろう」
白色のスニーカーを履いた雨瀬眞白が言い、他の3人がうなずく。
両腿に2本のサバイバルナイフを装備した特別対策官の童子将也は、高校生たちの会話を背中で聞きつつ、ふと口を開いた。
「……乾エイジが裏で『フォルミカ』にグラウカ誘拐を指示しとるんは、十中八九、間違いないやろう。せやけど、そうであれば、『ノクス』の事件の時からわからへんことが一つある」
「ああ! それなんだよ!」
すると、「童子班」の面々の斜め後ろから大きな声がした。
5人が振り返ると、そこには北班に所属する特別対策官の時任直輝と、同じく北班の市来匡、そして中央班に所属する特別対策官の影下一平の姿があった。
高校生たちが「お疲れ様です!」と挨拶をし、3人が同様に挨拶を返す。
影下が目の下に浮かぶ隈を、人差し指で掻いて言った。
「わからないのは、乾エイジが『ノクス』や『フォルミカ』にグラウカを誘拐させる、その“目的”が何なのかってことだよねぇ。身代金やその他の要求が一切ないのは、どう考えてもヘンだしぃ……」
「ええ。それについて、『ノクス』は乾から何も知らされていませんでした。おそらく、今回の『フォルミカ』も同じやと思います」
童子が低い声音で返し、俄に場がしんとする。
「……ま! ここでいくら思案しても埒が明かないぜ! とにかく、今は『フォルミカ』の捜査に全力を注ぐことが大事だ! な! お前ら!」
時任が声をあげて高校生たちに顔を向け、4人が「はい!」と返事をした。
混み合った通路を抜けると、エレベーターホールの先にエントランスが見える。
対策官たちは表情を引き締めて、各々の任務に散っていった。
午後2時。
インクルシオの建物から徒歩5分の場所にある立ち食いそば店で、南班チーフの大貫武士と北班チーフの芥澤丈一は、遅めの昼食を取った。
店の奥のカウンターに立ち、大貫がたぬきそば、芥澤が天ぷらそばを啜る。
その時、二人が並ぶカウンターに、東班チーフの望月剛志、西班チーフの路木怜司、中央班チーフの津之江学がトレーを置いた。
「あれ? 何だよ、みんなも立ち食いそばかよ?」
「はは。昼食を早く済ませたい時は、ここが一番だからな。しかも、安くて旨い」
芥澤が箸を止めて言うと、望月が笑って返し、津之江が「たまに、とろろそばが食べたくなるんですよね」と割り箸を手に取り、路木が「僕はコンビニに行くつもりでしたが、エントランスで望月チーフと津之江チーフに会って誘われました」と抑揚のない声で説明した。
揃いの黒のジャンパーを羽織ったチーフ5人は、暫しの間、言葉を交わさずにそばを堪能する。
出汁のきいたつゆを飲んで一息ついた芥澤が、不意に小声で言った。
「……そういや、グラウカ誘拐事件で、ちょっと思ったことがあるんだけどよ」
芥澤が唐突に口にした話題に、食事途中のチーフたちが視線のみを向ける。
芥澤は上体を前に屈めて、小さく囁くような声を漏らした。
「……以前、『ノクス』が誘拐したグラウカは、数日後に全員が遺体となって発見されただろ? それで、今回の『フォルミカ』が誘拐した3人も同じく殺害された。……もしかしたら、乾と『イマゴ』は、グラウカの“特異体”を探しているんじゃねぇのか? だから、グラウカを誘拐して、判別の為に殺していると」
「──!!!」
芥澤の推察を聞き、大貫、望月、津之江が大きく目を見開く。
路木がごぼう天を齧って、いつもと変わりのない無表情で言った。
「なるほど。それなら、身代金等の要求がないことにもうなずけますね」
「……ううむ……。確かに、グラウカの“特異体”の実在を知っている我々にとっては、妙にしっくりくる話だな……。うちの対策官たちは、“特異体”はただの都市伝説だと思っているだろうが……」
「……でも、もし仮にそうだとして、『イマゴ』は“特異体”を見つけてどうするつもりなんでしょうか……?」
望月と津之江が声を潜めて言い、大貫が箸を持ったまま宙を睨んだ。
「……そもそも、グラウカの“特異体”が実在することを、何故『イマゴ』が知っているんだ? 国家機密である情報を反人間組織に渡した奴がいるのか? ……今の時点では何とも言えないが、この話は俺たち5人の頭に置いておくべきだな」
芥澤、望月、路木、津之江が、無言で首肯する。
ほどなくして、チーフ5人は店を出て、足早に東京本部への帰路についた。
午後11時。東京都木賊区。
繁華街の路地裏に佇むグラウカ限定入店の『BARロサエ』は、スチール製のドアに「OPEN」のプレートを下げていた。
四方を黒壁に囲まれた2階の瀟洒なビップルームで、緩やかなウェーブのかかった黒髪に丸メガネをかけた男性──『イマゴ』のリーダーである穂刈潤と、No.2で右腕の乾が、革張りのソファに座って酒を飲む。
「さぁさ。二人共。お酒もいいけど、小腹が減ってない? これ、食べてみて」
「あ。焼きおにぎりだ。香ばしくて、美味しそう」
店のオネエのママであるリリーがドアを開けて入室し、盆に乗せた皿をガラステーブルの上に置いて、穂刈が目を輝かせた。
「エイジ君も、にんにく味噌の焼きおにぎりをどうぞ。……ところで、『フォルミカ』に依頼したグラウカ誘拐は、上手くいっているの?」
顔に厚化粧を施したリリーが訊ねると、短髪を燻んだシルバーブルーに染め、裾の長い上着を羽織った乾が、ウィスキーグラスを置いて答えた。
「ああ。とりあえずは、順調だ。『ノクス』と同じくカネさえ払ってやれば、ああいった連中は何でもやるからな。せいぜい、便利に働いてもらうよ」
そう言って、乾は熱々の焼きおにぎりを齧る。
リリーは「そう。それなら、よかったわ」と微笑み、小皿に盛った蕪の浅漬けを箸で摘んだ。
穂刈が焼きおにぎりを一口食べて、ふぅと小さくため息を吐いた。
「……グラウカの“特異体”探しは、“あの人”からの絶対命令だ。そのプレッシャーも、日に日に強まってきている。“あの人”と僕らの関係を円滑に継続する為にも、どうにかして『当たり』を見つけないとね」
「潤。心配ない。きっと見つかるさ」
乾が安心をさせるように即座に言い、リリーが笑みを浮かべる。
穂刈は「うん」と笑顔で返し、口を大きく開けて、焼きおにぎりの残りを頬張った。