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グラウカ  作者: 日下アラタ
STORY:25
209/231

01・嵐の前の静けさ

 東京都月白げっぱく区。

 都会の真ん中にありながら、まるで外界との接触を絶っているかの如く、しんと静まり返った住宅街。

 その一角に建つ、白壁に囲まれた大きな邸宅で、インクルシオ東京本部の総長である阿諏訪征一郎あすわせいいちろうは、双子の姉の阿諏訪灰根あすわはいねの髪を櫛でかしていた。

 洋室の壁際に置かれたドレッサーの鏡に、10歳程の容姿の少女が映り、阿諏訪が櫛を動かす度に色素の薄いグレーの髪が揺れる。

 阿諏訪は細く柔らかな髪をうやうやしく扱いながら、鏡を見つめて言った。

「……姉さん。僕は、姉さんが“特異体”の能力を失ってしまって、本当に残念で仕方がないんだ」

 阿諏訪の低い囁きに、少女の瞳は凪いだまま、一切の反応を返さない。

 しかし、阿諏訪は熱っぽく頬を紅潮させて言葉を続けた。

「でも、僕は姉さんの体を、必ず元通りにする。それが叶うのなら、どんな労力も犠牲もいとわないよ。『生』と『死』のはざまを行き来する姉さんの真の美しさを理解し、愛することができるのは僕だけだ。一日も早く“特異体”の力を取り戻して、この先もずっとずっと、その神々しい姿をでてあげるからね」

 60歳という年相応の皺を刻む口元から、うっとりとした声が漏れる。

 鏡の中の少女は、伏せた睫毛まつげを一瞬ぶるりと震わせたが、恍惚とした表情の阿諏訪がそれに気付くことはなかった。




 2月上旬。

 東京都月白げっぱく区にある『厚生省特殊外郭機関インクルシオ』東京本部の南班に所属する「童子班」の5人は、インクルシオ仙台支部の捜査応援と反人間組織『ウルラ』の壊滅に貢献した後、東京での任務に勤しむ日々を送っていた。

 今季一番の冷え込みとなったこの日、午後9時に巡回任務を終えた5人は、東京本部の隣に建つインクルシオ寮に急ぎ足で戻り、1階にある檜造りの大浴場で冷えた体を温めた。

 入浴後、『湯』と書かれた暖簾のれんくぐった塩田渉しおたわたる鷹村哲たかむらてつは、通路に設置された自動販売機で瓶入りのコーヒー牛乳を購入し、腰に手を当てて一気飲みをする。

 ウールのカーディガンを羽織った最上七葉もがみななはと、白色のジップアップパーカーを着た雨瀬眞白あませましろは、自動販売機の脇の長椅子に座ってフルーツ牛乳を飲んだ。

 高校生4人の指導担当につく特別対策官の童子将也どうじしょうやが、少し遅れて大浴場から出てきて、自動販売機の前に歩み寄る。

 首にタオルを下げたジャージの上下姿の童子は、「今日は普通の牛乳にしよ」と言ってボタンを押し、二口ふたくちで飲み干した。

 それから、高校生たちは入浴道具を各々の部屋に置いて、いそいそとした足取りで2階の『211号室』に集まった。

 就寝前のひとときを『211号室』──童子の部屋で過ごすことは、すでに日課のようになっており、上がり慣れた室内にいつもの風景が広がった。

「さーて、今日の日報を書こーっと。『その他』欄のネタ、何にしようかな?」

「あら。私はお風呂に入る前に書いたわよ。だから、今日は編み物をするわ。部屋で履くレッグウォーマーを作りたいの」

 床のラグマットに腰を下ろした塩田がタブレットPCを持ち、最上がトートバッグからかぎ針と毛糸を取り出す。

「鷹村。久しぶりに、将棋しようや」

「あ。いいですね。やりましょう」

 童子が二つ折りの将棋盤を開いてテーブルに置き、鷹村が誘いに乗った。

 二人はテーブルを挟んで向かい合い、木製の駒を盤上に並べていく。

「これまでの対戦成績は、童子さんが10勝、俺が9勝でしたよね? 今日勝てば勝ちが並びますから、絶対に負けませんよ」

「おー。俺も負けへんで。せやけど、鷹村がけっこう将棋が強くて驚いたわ」

「へへ……。眞白と居た児童養護施設は、流行りのゲーム機なんて贅沢品はありませんでしたからね。その代わり、古い将棋盤で園の先生や友達とよく遊んでいました。たまに、近所に住む強者つわもののおじいさんと対局したり」

「あー。俺も7歳の頃から祖父母と暮らしとったから、遊びと言えば将棋や囲碁やったわ。ほんでもって、将棋の強いじーさんて、近所に必ずおるよな」

 童子が可笑しそうに言い、鷹村が「そうそう」と笑った。

 駒を並べ終えた二人は、「お願いします」と互いに一礼をして勝負を開始した。

 雨瀬はベッドの側面に背中を軽くもたせて、最上が編み物セットと共に部屋から持ってきたみかんを口に入れた。

 雨瀬の前では、塩田がタブレットPCを睨んでなぞなぞを考案し、最上が器用にレッグウォーマーを編み、童子と鷹村が交互に駒を指す音が響く。

 塩田がふと顔を上げ、雨瀬を見て言った。

「雨瀬ぇ。何、ニヤけてんだ?」

「……え? 僕、ニヤけては……」

 思わぬ指摘に雨瀬が慌てて返すと、塩田は「いーや。俺らを眺めて、嬉しそうにニヤけてたね。どうしたん?」と訊き、他の3人が手を止めて注目する。

 雨瀬は「あの、えっと……」と顔を赤らめ、気恥ずかしそうに答えた。

「……こ、こういう風に、みんなと平凡で平和な時間を過ごせることが、一番の幸せだなって思ったんだ……。多分、それが顔に出……」

 雨瀬が言い終わらないうちに、塩田が「いいこと言うじゃーん! 雨瀬ぇー!」と声をあげ、最上が「ふふ。その通りね」と柔らかく微笑み、鷹村が「ああ。そうだな。眞白」と笑顔でうなずく。

 童子は片手を伸ばして癖のついた白髪をくしゃりと撫で、雨瀬はますます恥ずかしくなってうつむいたが、4人の優しい反応に心を温かくした。

 そして、「童子班」の5人は、眠たくなるまでの時間を楽しく過ごした。


 翌日。午前9時。

 インクルシオ東京本部の最上階にある会議室で幹部会議が開かれた。

 楕円形の会議テーブルには、総長の阿諏訪を始め、本部長の那智明なちあきら、東班チーフの望月剛志もちづきつよし、北班チーフの芥澤丈一あくたざわじょういち、南班チーフの大貫武士おおぬきたけし、西班チーフの路木怜司ろきれいじ、中央班チーフの津之江学つのえまなぶが着席している。

 濃紺のスーツに身を包んだ那智が、前方を見やって言った。

「2日前に行方不明となっていたグラウカの女性3人が、今朝方遺体となって発見された。この件について報告を頼む。……路木」

 那智が促し、路木が「はい」と返事をする。

「友人関係である女性3人の遺体が見つかったのは、蘇芳すおう区の繁華街のゴミ集積場です。周辺の飲食店から出された多くのゴミ袋の中に遺体が埋もれていました。今朝早くから、うちの班の対策官が現場周辺で聞き込み捜査を行っていますが、その中で、2日前に『フォルミカ』のメンバーが被害者3人と一緒にいる姿を見たとの証言が上がっています。この直後に3人の消息が途絶えているので、『フォルミカ』が何らかの形で誘拐・殺害に関与したものと思われます」

「ん? 『フォルミカ』って、グラウカの犯罪グループの?」

 望月が顔を向けて訊き、路木が「そうです」と答えた。

「……グラウカの犯罪グループと言えば、いわゆる反人間組織とは活動内容が少し違う、窃盗・強盗・恐喝・詐欺なんかを主とする集団ですよね」

「ああ。確か、『フォルミカ』はリーダーを含めて11人のグループだ」

 津之江がコーヒーの入った紙コップを持って言い、大貫が低い声音で続く。

 黒のジャンパーを着た芥澤が、顔をしかめて呟いた。

「……クソチンケなチンピラグループが、何故か人間ではなく同族を誘拐する……。何となく、去年の8月にあった『ノクス』のグラウカ誘拐事件に似てねぇか?」

「ええ。現時点で断定はできませんが、僕もそう思います。もしかしたら、今回の事件の背後には、『ノクス』にグラウカ誘拐の指示をしていたいぬいエイジ……つまり、反人間組織『イマゴ』がいるかもしれませんね」

 芥澤の意見に路木が同意し、他のチーフ3人が一様にうなずく。

 阿諏訪は厳しい眼差しでゆったりと腕を組み、那智が鋭い声を発した。

「もし、『フォルミカ』が『ノクス』と同じ役割を果たしているのならば、今後もグラウカ誘拐事件が発生する可能性が高い。これ以上の一般人の犠牲者を出さない為にも、各班、管轄区内の巡回体制の強化等、最大限に警戒してくれ」

 午前中のまぶしい陽光が、窓から会議室に差し込む。

 5人のチーフは険しい表情で慌ただしく会議テーブルを立ち、光の溢れる部屋を後にした。




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