04・ミスと延長
午後10時半。宮城県仙台市花区。
インクルシオ仙台支部の5階の支部長室で、黒のジャンパーを羽織った支部長の柳秀文は、クラブ『K』で行われた突入作戦の結果に言葉を失った。
執務机につく柳の前には、事後処理中の現場から戻った二人の対策官──仙台支部の1班に所属する妹尾正宗と、インクルシオ東京本部の南班に所属する特別対策官の童子将也が立っている。
柳から突入作戦の現場指揮を任された妹尾は、強張った顔で頭を下げた。
「……柳支部長! 申し訳ありません! 童子特別対策官が迅速に佃の動きを封じたにも関わらず、拘束の際に俺が油断して近付き過ぎたせいで、サバイバルナイフを奪われてしまいました! その直後、佃は自害を……!」
“反人間組織『ウルラ』の幹部である佃玄信の拘束”という今回の突入作戦の目的を、自身のミスで潰した妹尾は、唇をわなわなと小刻みに震わせた。
柳は険しく眉間を寄せつつ、細く息を吐いて言う。
「……妹尾。頭を上げなさい。非常に無念ではあるが、起こってしまったことを嘆いても前には進めない。己の失策は反省し、また明日から、『ウルラ』を壊滅する為の地道な捜査に尽力しろ。それが、対策官としてのお前の使命だ」
柳の言葉に、妹尾は「……は、はい……!」と掠れた声を絞り出した。
両腿に2本のサバイバルナイフを装備した童子が、静かに口を開く。
「柳支部長。佃の自害後、拘束した『ドミナトル』のメンバー10人に、少々荒っぽい手を使て『ウルラ』の拠点の場所を訊きましたが、誰も知りませんでした。佃はそういった大事な情報は、連中には教えてへんかったようです」
「そうか……」
童子の報告を聞き、柳が落胆したように小さく返した。
支部長室に重たい空気が流れる中、童子は再び「柳支部長」と声を発した。
「佃の死亡は、まもなくテレビやインターネットのニュースで報じられるはずです。無論、『ウルラ』のリーダーともう一人の幹部の耳にも入る。となれば、組織の一翼を担う存在を失った報復として、『ウルラ』が仙台市内で殺人事件を起こす可能性が高い。それも、おそらく、近日中に」
「……!」
童子の隣に立つ妹尾がハッと反応し、柳が「ううむ……」と低く呻る。
童子は両手を後ろに組んだ姿勢で、まっすぐに前を向いて言った。
「せやから、俺はもう数日間、仙台支部に残ります。捜査応援という形で」
午前1時。宮城県仙台市憲法区。
様々な店が軒を連ねる商店街にある質店『フクロウ』は、4階建てのビルで経営しており、1階が店舗、2、3階が商品の保管場所、4階が事務室となっている。
構成員34人を擁する『ウルラ』のリーダーである菊川伏郎は、窓のブラインドを下ろした事務所のソファで、スマホを強く握り締めた。
「……佃が、死にましたね」
「ええ。ネットの記事には、インクルシオの突入があったと書かれていましたね。だから、可愛がっている弟分を引き連れてのクラブ通いなんて、やめておけって言ったのに……」
『ウルラ』のもう一人の幹部の鉄木愛人が、痩身の腕を持ち上げて、佃と同じ五分刈りの坊主頭をガシガシと掻き回す。
菊川は30歳、鉄木は29歳のグラウカであった。
手にしたスマホをテーブルに置いて、菊川が苦々しく呟いた。
「佃をやられて、『ウルラ』が黙っているわけにはいきませんね……」
「もちろんです。今まで佃は素手、俺は武器で、どれだけ一緒に大暴れしてきたか。この坊主頭もあいつとお揃いで、まるで兄弟のようにバリカンで刈り合っていたのに。俺の愛用の“トゲトゲ鉄バット”で、人間共を思う存分にぐちゃぐちゃにしなければ、この悲しみと怒りは収まりません」
深夜の事務所で、鉄木が頬の痩けた顔面を憎悪に歪ませる。
菊川はソファの向かいに座る鉄木を見やり、強い眼差しで「是非、そうしてやりましょう」と低く返した。
午前7時半。宮城県仙台市花区。
仙台支部からタクシーで5分程の場所に建つビジネスホテルで、私服姿の「童子班」の5人は、バイキング形式の朝食を取っていた。
「お前ら、ほんまにええんか? こっちに残るんは俺だけでも……」
スーツを着たビジネス客が席を埋める食堂で、だし巻き卵を食べた童子が訊く。
童子と同じテーブルにつく高校生4人──雨瀬眞白、鷹村哲、塩田渉、最上七葉は、「はい! 大丈夫です!」と即座に返事をした。
「童子さんの言う通り、『ウルラ』は必ず動くっスよ。まずは巡回を強化して、最大限に警戒すべきっス。それには、人員の数が必要っスからね」
「塩田は別ですが、仙台市の土地勘のない俺らでも、いないよりはマシだと思います。ツナギ服を着て街を見回るだけでも、『ウルラ』への牽制になる」
「学校の方には、きちんと連絡を入れておきます。授業を欠席した分は、補習でカバーします。だから、私たちも捜査応援に参加させて下さい」
「……佃が死亡したことで、『ウルラ』の捜査は振り出しに戻ったと言えます。たとえ微力であっても、仙台支部のみなさんに協力したいです」
塩田がグリルソーセージを齧り、鷹村がとろろかけご飯をかき込み、最上が温野菜を口に入れ、雨瀬がなめこの味噌汁を飲んで、それぞれに潜めた声で言う。
童子は高校生たちの意向を汲み、箸を置いて「わかったわ」と了承した。
「ほな、大貫チーフには俺から連絡しておく。俺の仙台出張の延長は昨夜に報告済みやけど、お前ら4人も……」
童子が話している途中で、スマホの着信音が鳴った。
童子はジーンズの尻ポケットからスマホを取り出し、「……あ。日和さんからや。お前ら、メシは終わったか? ここから出るで」と椅子を立つ。
テーブルの間を縫って食堂を後にした5人は、ロビーの隅に寄ってスマホを囲んだ。
『おー! 童子! 久しぶりだな! 今回は、色々と世話をかけてすまん!』
ビデオ通話にしたスマホの画面に映ったのは、身長190センチの大柄な体躯に、顎髭を蓄えた28歳の男性──仙台支部の1班に所属する特別対策官の日和快晴であった。
「日和さん。ご無沙汰しています」
童子が挨拶を返し、高校生たちが「日和特別対策官! 初めまして!」と声を揃えると、日和は『お! 童子の教え子たちか! みんなも応援に来てくれてありがとうな!』と快活な笑顔で礼を言った。
『それにしても、佃の件は思わぬ結果になってしまったな。大事な突入作戦に不参加だった俺が言える立場じゃないが、妹尾のミスはどうか許してやってくれ。それと、柳支部長から、童子が捜査応援で仙台に残ると聞いた。東京本部の任務も忙しいだろうに、本当にすまんな。恩に着るぞ』
「いえ。日和さんは何も気にせんと、右足首の捻挫を治して下さい。仙台にはこいつらも一緒に残りますが、こっちにおるんはあと4〜5日くらいが限度やと思てます。その間に、『ウルラ』の尻尾を掴めればええんですが」
『ああ。それで十分だ。俺もなるべく急いで復帰するから、よろしく頼むな』
そう言って、日和はふと塩田に視線を向ける。
『……君が塩田渉君か。やはり、兄貴に似ているな。君は君らしく、周囲の感情や声に惑わされることなく、己が信じる道を突き進んでくれ』
日和が優しく微笑み、塩田が「……あ。は、はい!」と慌てて返すと、『じゃあ』とビデオ通話が切れた。
「……ん? なぁ、塩田。今の日和特別対策官の言葉、どういう意味だ?」
童子がスマホをしまい、鷹村が不思議そうに訊ねた時、ビジネスホテルのロビーに私服のダウンジャケット姿の妹尾が現れた。
「童子班」の5人に気付いた妹尾は、足早に歩み寄る。
「童子特別対策官。朝早くに、すみません。だけど、童子特別対策官が捜査応援で仙台に残るのなら、きっと新人4人もそうするだろうと思って、ここに来ました」
妹尾は硬い表情で童子に謝り、すぐに傍らに立つ塩田を見やった。
「……塩田。俺は、お前にどうしても言いたいことがある。4年前に起こった“あの一件”で殉職した4人の対策官……その中の一人である右田薫平は、俺の同期で親友だった。俺は、お前の兄貴を一生許すことはできない。その弟のお前もだ」
「……!」
妹尾が冷たく言い放ち、塩田が大きく目を見開く。
妹尾は「……悪いが、それが俺の正直な気持ちだ。“あの一件”を知る、仙台支部の仲間たちもな」と告げて、エントランスの自動ドアに足を向け、寒々とした街の中に消えていった。