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グラウカ  作者: 日下アラタ
STORY:03
20/231

06・駆け引き

 午前9時。東京都ゆるし区。

 古い製粉工場の敷地内にある事務棟の事務室で、反人間組織『コルニクス』のリーダーの烏野瑛士はノートパソコンから目を上げた。

 パソコンや書類が撤去された事務室のソファには、“右腕”の糸賀塁がいる。

 烏野に声をかけた吉窪由人は、手を後ろに組んでソファの前に直立した。

「なんだ? 由人?」

 烏野が怜悧な眼差しを向け、吉窪が緊張した面持ちで口を開く。

「俺がこないだ会ったインクルシオ対策官ですが、一人はグラウカなんです」

「え? インクルシオにグラウカぁ?」

 吉窪の言葉を聞いた糸賀が驚いた声をあげた。

 しわ一つないスーツに身を包んだ烏野は「ほう」と片眉を動かす。

 吉窪は直立の姿勢のまま、話を続けた。

「今までインクルシオは人間だけの組織でしたが、そいつ……雨瀬は、“グラウカ初の対策官”としてインクルシオに入ったらしいんです」

「へぇー。そういや、ちらっと噂で聞いたことがあるな。本当だったんだな」

 缶コーヒーのプルトップを開けて、糸賀が言う。

 烏野は「それで?」と吉窪を促した。

「はい。うちはこれから、グラウカも“商品”として取り扱うんですよね? だったら、“グラウカの対策官”は『ある筋』に高く売れるんじゃないかと」

「……反人間組織の顧客か」

 烏野の回答に、吉窪が「そうです」とうなずく。

 缶コーヒーをあおった糸賀が、「おいおい。インクルシオ対策官が反人間組織に売られたら、マジで生き地獄の目にあうぞ」と笑った。

 烏野がノートパソコンを閉じて言う。

「面白い提案だが、そいつはお前の旧友だろう? いいのか?」

「もう、友達でも何でもありません。先日のGPS発信機の礼です。今度は俺が騙して、雨瀬を『コルニクス』に連れて来ます」

 吉窪は真剣な表情で烏野を見た。

 烏野は「ふむ」と手で顎をさすると、「いいだろう。やってみろ」と許可を出した。


 午後10時。

 軋んだ音を響かせて、製粉工場の錆びた扉が開いた。

 大型の製粉機が並ぶ工場内に足を踏み入れたのは、吉窪とインクルシオ対策官の雨瀬眞白だった。

 白のTシャツに色落ちしたジーンズを履いた雨瀬は、『コルニクス』の“No.2”の糸賀と5人の構成員の姿を見て目をみはった。

「よっちゃん! 自首したいって話じゃ……!」

 焦って振り向いた雨瀬に、吉窪が「悪いな。眞白」と冷たい声で言う。

 吉窪は薄暗い工場の奥に立つ糸賀に顔を向けた。

「糸賀さん。こいつが例のインクルシオ対策官です。嘘の自首話を持ちかけて、一人でここに来させました。烏野さんは新拠点ですよね。早速、こいつを連れて行きましょう」

「そうか。クサい芝居はもういいぜ。由人」

「……え?」

「お前の“裏切り”は、とっくにバレてんだよ!」

 糸賀は大声をあげると、手にしたスマホを高くかざした。

 その画面には、吉窪が鷹村に送った『捜査に協力する』のメッセージが表示されていた。

「──っ!!!」

 吉窪は慌ててジーンズの尻ポケットを手で探る。しかし、そこには何もない。

「……いつの間に……!!!」

 吉窪が掠れた声で言うと同時に、糸賀の後ろにいた構成員4人が二手に分かれ、雨瀬と吉窪の体をそれぞれ取り押さえた。

「くっ……!」

「いやぁ〜。念の為に調べろと言った烏野さんの勘が当たったなぁ」

 糸賀はニヤニヤとした笑みを浮かべて、床に膝をついた雨瀬と吉窪を見下ろす。

「そんでさぁ。由人が捜査に協力してるなら、当然インクルシオは俺たちの新拠点を特定しにくるはずだよな。……ってことは、その体のどこかに『GPS発信機』が埋め込まれてるはずだよなぁ? “グラウカ初の対策官”さんよぉ?」

 雨瀬を見やった糸賀が、黒革のパンツの後ろからナイフを取り出した。

 2人の構成員に両腕を押さえられた雨瀬が、糸賀を睨み上げる。

 糸賀は雨瀬の目の前にナイフをちらつかせて言った。

「お前はわざと俺たちに捕まって、『コルニクス』の新拠点に行く予定だった。体内に埋めたGPS発信機と共にな。それをどこかでひそんでいるお仲間が追跡する。これがお前たちの“作戦”だ。だが、残念だったな。GPS発信機はここに捨てて行く」

 そう言って、糸賀は顎をしゃくった。

 それを合図に、一人の構成員が電波探知機を持って雨瀬に近付く。

 雨瀬は腕を引かれて立たされると、電波探知機が足元から這い上がった。

 すると、雨瀬のおとがいの辺りで、甲高いアラーム音が鳴った。

「ははーん。これは多分、耳たぶだな。……どれ」

 そう言うや否や、糸賀は雨瀬の左の耳たぶをナイフで削いだ。

「……く、ああぁっ……!!!」

「眞白っ!!!」

 コンクリートの床にボタボタと鮮血が落ち、雨瀬は苛烈な痛みに背中を曲げる。

 肉が削がれた傷口から、グラウカの証である白い蒸気が上がった。

「ビンゴ」

 糸賀が血にまみれた小さな機器を、屈強な指でつまむ。

 糸賀は雨瀬の白髪を乱暴に掴むと、その双眸を覗き込んで囁いた。

「この発信機は『見つけさせる』ためのダミーだ。もう一つ、体の別の場所に『本命』がある」

「──!」

 雨瀬は両目を見開いた。糸賀は口角を上げた。

「おそらくは体の後ろ側だ。うなじか、背中か、腰か……。じっくり探してえぐり出してやる。それから、お前を俺たちの新拠点に連れて行く」

 糸賀は尖った犬歯を見せて笑った。

 電波探知機を持った構成員が雨瀬の背後に回り込む。

 雨瀬とそれを見ていた吉窪のこめかみから、幾筋もの汗が流れ落ちた。


 午後10時半。

 ゆるし区にある民営駐車場で、インクルシオの黒のツナギ服を着た塩田渉は、同じ場所を落ち着きなく行き来した。

「まだ動きはないのかよ……? 雨瀬が心配だな」

「心配する気持ちはわかるけど、焦れても仕方がないわ」

 夜の街並みに目をやった最上七葉が硬い声音で言う。

 雨瀬が潜入した製粉工場から1キロほど離れた民営駐車場には、インクルシオ東京本部の南班に所属する30名の対策官が集まっていた。

 駐車場の敷地内にはインクルシオの黒の車両が並び、組み立て式の机の上には地図が広げられている。

 ノートパソコンを操作していた通信オペレーターが振り向いた。

「雨瀬君に仕込んだGPS発信機の位置が、10分前から全く変わっていません。これは、2つとも見つかって取り除かれた可能性が高いです」

 オペレーターの報告に、周囲で待機していた対策官たちに緊張が走る。

 ベテラン対策官の薮内士郎が「そうか」と短く返事をした。

 鷹村哲は眉根をきつく寄せて、ブレードにかけた手に力を込める。

 特別対策官の童子将也は、沈黙したまま、鋭い眼差しでじっと宙を睨んだ。


「ようこそ。『コルニクス』の新拠点へ」

 Tシャツの裏側の肩甲骨の部分を血で染めた雨瀬に、烏野が微笑みかけた。

 雨瀬と吉窪が連れられた『コルニクス』の新拠点は、ゆるし区の北西にある閉鎖済みの屋内遊戯施設だった。

 ボウリング、ビリヤード、卓球、ダーツ、カラオケと看板に書かれた屋内遊戯施設は、建物のあちこちが錆びて朽ちている。

「ここは、もう何年も前に閉鎖した施設でね。少々老朽化しているが、まぁ、使い勝手はそう悪くない」

 1階にある事務室のソファに座った烏野が、鷹揚おうように足を組んで言う。

 『コルニクス』の構成員に腕を押さえられた雨瀬は、唇を固く結んで烏野を見据えた。

 雨瀬の隣には、同じように腕を拘束された吉窪がいる。

「烏野さん。“裏切り者”の由人は、今ここで処分するか?」

 短髪をくすんだ赤色に染めた糸賀が、拳をボキボキと鳴らして言った。

 雨瀬と吉窪の表情が、瞬時に強張こわばる。

 烏野は「……ちょっと待て」と糸賀を制止すると、ガラステーブルに置いたノートパソコンを操作した。

 烏野の細い指が音を立ててキーを叩く。

「……よし。たった今、『92番』の商談が成立した。かなり高い値がついたぞ。“出荷”は、明朝だ」

 烏野の言葉を聞いた吉窪がハッと反応した。

 吉窪は顔を横に向けて、「グレーの髪色の子だ!」と雨瀬に告げる。

「──!」

 雨瀬の額に大粒の汗が浮かんだ。

 烏野はノートパソコンから視線を上げると、口端を上げて言った。

「雨瀬眞白。次はお前を売る番だ。せいぜい高い値がつくように、期待しているよ」




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