07・オリエンテーリング大会-1
午前10時。東京都青梅市。
冬晴れの日曜日、広大な敷地面積を誇る『空と森と人・ネイチャーパーク』にて、NPO法人『アウロラ』が主催するオリエンテーリング大会が開かれた。
半年に一度行われるこのオリエンテーリング大会は、数ある『アウロラ』の交流イベントの中でも人気が高く、今回は人間とグラウカを合わせて総勢128人の参加者が集まった。
会場の入り口付近の広場で、動きやすい服装に身を包んだ参加者たちが、次々と受付を済ませる。
『アウロラ』の潜入捜査に臨むインクルシオ東京本部の対策官8人──南班に所属する特別対策官の童子将也、同班の雨瀬眞白、鷹村哲、塩田渉、最上七葉、東班に所属する特別対策官の芦花詩織、同班の藤丸遼、湯本広大は、衣服の影に武器を隠し持ち、わいわいと明るく騒めく広場に紛れていた。
デニム生地のハンチング帽を被った『アウロラ』の代表の樫本信二が、進行表をメガホンのように丸めて大きく声をあげる。
「みなさーん! おはようございまーす! 今回は、我々『アウロラ』のオリエンテーリング大会にご参加いただき、誠にありがとうございます! 人間とグラウカで仲良く協力し合って、楽しくゴールを目指して下さいね! それでは、簡単にルールをご説明します!」
樫本は笑顔で言うと、右手に持ったマップを高く掲げた。
「このオリエンテーリング大会は、『アウロラ』独自のルールで行います! まず、スタートからゴールまでのチェックポイントは全部で10ヶ所です! みなさんはグループごとにお配りするマップとコンパスを使って、森の中にあるチェックポイントを探して下さい! 各チェックポイントには、うちのスタッフ2人が立っています! そこでジャンケン勝負やクイズ出題なんかがありますから、見事突破して、マップにハンコを貰って下さい! 10個のハンコを集め終わったら、ゴールに向かって下さいね!」
樫本を半円形で囲んだ参加者たちが、ウキウキとした表情でうなずく。
樫本は「ゴール地点では、僕と残りのスタッフが待っています! 具沢山の豚汁とおにぎりの昼食や、美味しいデザートを用意していますから、みなさん頑張って下さいね!」と付け加え、周囲は「おおー!」と盛り上がった。
ほどなくして、『アウロラ』のオリエンテーリング大会がスタートした。
参加者は4人一組のグループに分かれ、順次森の中に散っていく。
常緑樹の木々で青々とした森は視界が悪く、変装をして別々のグループに潜んだ8人の対策官は、慎重な面持ちで一歩を踏み出した。
「よーし! 俺らが一番乗りでゴールしようぜ! みんな、ガンバロー!」
「西南の方角に沢がありますね。こっちのチェックポイントから行きますか?」
「オリエンテーリング大会って、小学生の時以来です。何だかドキドキしますね」
「俺、超インドア派だから、緑が目に眩しー。やっぱ、自然はいいっスねー」
「『アウロラ』のイベントに参加するのは、これが初めてです。どうぞよろしくお願いします」
澄んだ冷気が漂う森で、上着の胸元にネームプレートを付けた“スター”こと塩田、“寿司職人”こと鷹村、“ナナ”こと最上、“温泉”こと湯本、“フラワー”こと芦花が、各々のグループの参加者と話す。
分厚いレンズのメガネをかけ、地味な灰色のシャツとブルゾンを着た“タコヤキ”こと童子は、「もし何かがあったら、マップの下に記載されている樫本代表のスマホの番号にかければいいですね」と緊急時の連絡先を確認した。
「……あ! “フジ”君! 違うグループになったけど、お互いに頑張ろうね!」
「…………」
スタート地点に程近い場所で、ウェーブヘアのカツラをつけた“フジ”こと藤丸に、グラウカの“チサキ”こと千咲恵が元気よく声をかける。
しかし、藤丸は視線を逸らし、口を固く結んで、薄暗い森の奥に消えていった。
「“雨”君。久しぶり。こないだのトーク会は、途中で帰ってしまって悪かったね。今日は大丈夫だから、改めてよろしく」
「……“葉っぱ”さん。お久しぶりです。こちらこそ、よろしくお願いします」
普段の白髪を黒髪に染めた“雨”こと雨瀬は、同じグループの“葉っぱ”に挨拶を返した。
“葉っぱ”は前髪で目元が隠れたマッシュヘアに、グレーの口紅を塗っている。
その個性的なルックスをちらりと見やり、雨瀬は潜入捜査の初日の報告会を思い返した。
「──今日のトーク会で、“葉っぱ”というニックネームのグラウカの男性が、アルバイトを理由に途中退席しました。この行動を不審に思ったので、本部に戻った後、彼の素性について調べました」
東京本部の2階の小会議室で、ロの字型に置かれた長机についた雨瀬が言う。
室内に集う対策官たちが注目し、雨瀬はやや声を大きくして話を続けた。
「“葉っぱ”は、本名が田辺葉一。年齢18歳。先程、『アウロラ』の樫本さんに依頼して、グラウカ登録証のコピーも確認しました。それと、彼のアルバイト先は『アウロラ』のスタッフの一人である、水乃好絵さんの実家の洋食店だとわかりました」
「へぇー。スタッフの人の店で働いてるんだ。二人は付き合ってんの?」
隣に座る塩田が訊き、雨瀬は「それは、わからない……」と語尾を小さくする。
「“葉っぱ”って、あのグレーの口紅の人だろ? 見た目はインパクトが強いけど、素性はまぁ普通だな。バイトも本当っぽいし、残念だけど“ハズレ”じゃないか?」
鷹村が言い、最上が「そうね」と同意し、藤丸と湯本がうなずいた。
雨瀬が「うん……。少し疑い過ぎたかもしれない……」と視線を下げると、童子が口を開いた。
「雨瀬。調査の結果がどうであれ、参加者の途中退席を不審に思て調べるんは、対策官として当然やからそれでええで。そんで、“葉っぱ”こと田辺葉一については、二戸楓と一致しとるんは年齢のみやな。バイト先の勤務実績の裏を取ったら、あとは様子見や。一応、他のイベントで会うことがあれば、俺らも注意しておこう」
「……“雨”君? 聞こえてるかい? こっちに行くよ?」
「……あ。す、すみません。つい、ボーッとしてしまいました」
スタンドカラーのジャケットを羽織った“葉っぱ”が振り返り、雨瀬は報告会の記憶から意識を浮上させて返事をした。
雨瀬のグループは“葉っぱ”がコンパスを持ち、参加者たちを先導する。
一行が最初に辿り着いたチェックポイントは、森の南東に立つ巨大杉の前で、そこには人間とグラウカのスタッフが立っていた。
「みなさーん! 待ってましたよー! ここでは、私たちとあっち向いてホイの勝負をします! みなさんが3勝したら、マップにハンコを押しますからねー!」
人間の女性のスタッフが言い、グループの参加者たちが「わぁ。あっち向いてホイだって。誰からやる?」と楽しげに顔を見合わせる。
「俺がやるよ」
すると、“葉っぱ”がスタスタと前に出て、ひらりと水平に腕を動かした。
その直後、人間のスタッフの首から鮮血が噴出し、「うぐぅっ……!!」というくぐもった呻き声と共に地面に倒れた。
「──!!!!!」
眼前で起こった突然の出来事に、雨瀬は大きく驚愕する。
雨瀬の横に立つ参加者たちは、笑みを浮かべたまま、土に転がったスタッフを見やった。
血の付いたナイフを手に下げた“葉っぱ”──インクルシオのキルリストの個人3位、4位に載る二戸楓は、グレーの口紅を塗った唇を舌で舐めた。
「あー。やっぱり、人間を殺すと気分がスッキリするな。さぁ、今から、“殺戮オリエンテーリング”を楽しむとしようか」




