05・溜まるもの
東京都許区。
人間とグラウカの共存を推進・支援するNPO法人『アウロラ』の交流イベントは、100人以上の参加者が集う大規模なものから、数人程度で行われる小規模なものまで、ほぼ一日置きに開催されていた。
『アウロラ』の潜入捜査に臨むインクルシオ東京本部の7人の対策官──南班に所属する特別対策官の童子将也、同班の雨瀬眞白、鷹村哲、塩田渉、最上七葉、東班に所属する藤丸遼、湯本広大は、それぞれに変装をした姿で様々なイベントに参加した。
冬晴れの空が広がるこの日、午前10時と午後3時の2回に分けて料理会が開かれ、エプロンを付けた参加者たちは『アウロラ』のイベントスペースでサンドイッチ作りを楽しんだ。
「あ。“フジ”君。レタスは包丁を使わずに、手で千切ればいいよ。キュウリはね、こんな感じで斜めにカットして……」
胸元に“フジ”のネームプレートを付けた藤丸に、同じグループのグラウカの“チサキ”こと千咲恵が話しかける。
藤丸は特に返事をすることなく、下を向いたまま黙々と作業をした。
「ちょっと、キミィ〜! せっかく親切に教えてくれてんだから、返事くらいしろよ〜! 失礼な奴だな〜!」
隣のグループでパンに辛子マヨネーズを塗っていた“スター”こと塩田が、大仰に声をあげて首を突っ込む。
藤丸は塩田を横目でひと睨みして、「……うるせ」と低く呟いた。
「何だよ、キミィ〜! 無愛想過ぎるだろ〜! 何の為にここに来てんのさ〜!」
「え、えっと……“スター”君? 気を遣ってくれてありがとう。でも、全然いいんだよ。『アウロラ』のイベントは、色々な人と交流できるのが楽しいから」
塩田が藤丸に突っかかると、千咲が穏やかに微笑んで言う。
普段より明るい茶髪に、同色のカラーコンタクトを装着した塩田は「何て優しい人なんだ! “チサキ”ちゃん!」と感激し、藤丸は「……チッ」と鬱陶しそうに舌打ちをした。
その後、料理会は和気藹々とした雰囲気で進み、グループごとに完成したサンドイッチと紅茶を堪能して終了となった。
午後5時。
白壁のビルの5階にある『アウロラ』の事務所で、デニム生地のハンチング帽を被った代表の樫本信二は、窓際に置かれたソファセットに歩み寄った。
「いやぁ。みなさん。いつもはバラバラにお帰りになるところを、こっそりとお呼び止めしてすみません。よかったら、温かいコーヒーをどうぞ」
樫本が盆に乗せた紙コップ入りのホットコーヒーを配り、ソファセットとパイプ椅子に座った対策官たちが「いただきます」と受け取る。
樫本は盆を左脇に挟み、声を潜めて訊いた。
「……それで、二戸楓の方はどうですか? 世間を騒がす憎き殺人鬼が、うちのイベントに潜んでいる証拠や痕跡はありましたか?」
「樫本さん。申し訳ありませんが、捜査上の情報はお伝え出来へんのです。それに、『アウロラ』の交流イベントに二戸楓が来とるかもしれへんと言うのは、あくまでも可能性の一つの話です。確実ではありません」
分厚いレンズのメガネをかけた童子が答え、樫本は「……そ、そうですよね。つい興味本位で訊いてしまいました。すみません」と謝った。
「いえ。気になるんは、わかりますよ」
童子は理解を示してうなずき、コーヒーを一口啜って話題を変えた。
「……それにしても、『アウロラ』は実に多くのイベントを開催されていますね。内容も様々で、驚きました」
童子の言葉を聞き、パイプ椅子に座る鷹村が「本当に。個人的には、先日のボードゲーム会が楽しかったです。人間とグラウカで、平和的に対戦して……」と感想を言い、最上が「私は、折り紙会が楽しかったわ」と笑みを浮かべた。
「そう言っていただけると、嬉しいです。『アウロラ』は寄付金と助成金で成り立っていますが、うちのスタッフが少ない予算で創意工夫をして、団体のイベント運営を支えてくれています。僕は、素晴らしいスタッフに恵まれましたよ」
樫本が事務所内を見やって言うと、人間とグラウカのスタッフたちが、忙しく動き回りながらにこりと笑う。
童子は「そうですか」と返し、コーヒーを飲み干して告げた。
「それでは、そろそろ本部に戻ります。潜入捜査の情報は明かせませんが、『アウロラ』のみなさんのご協力には感謝しています。今後もよろしくお願いします」
午後6時。東京都月白区。
変装用の衣服に身を包んだ対策官7人は、東京本部に別々に帰着した後、2階にある小会議室に入室した。
7人はロの字型に置かれた長机に座り、ホワイトボードを背にした童子がメガネを外して言った。
「よし。全員、揃ったな。ほな、潜入捜査の報告会をするで。まずは俺からやけど、今日の料理会は午前10時と午後3時の両方の回に参加した。せやけど、二戸に関する収穫は特にナシや」
童子に続いて、鷹村が発言する。
「俺も、会場内で怪しい人物は見かけませんでした。同じグループの参加者にそれとなく二戸の殺人事件の話題を振っても、みんな怖がるばかりで……」
「そーそー。二戸に繋がるような目ぼしい情報は、何も出てこないよなー」
塩田が頭の後ろで両手を組み、最上が「私も同じ結果です」と言い、雨瀬と湯本が「僕もです」「俺もです」と答えた。
藤丸がウェーブヘアのカツラを外して、短髪の頭をガシガシと手で掻いた。
「……そもそも、二戸の画像は11歳の頃の物しかない。それを頼りに、現在は18歳の奴を探し出すのは厳しくないスか? 子供から青年になりゃ、風貌だって様変わりしていると思いますが」
藤丸の意見に、雨瀬、鷹村、塩田、最上、湯本が難しい表情で黙り込む。
童子は目の前の対策官たちを見やって言った。
「それは、尤もな意見やな。でも、せやからと言って、捜査をやめる訳にはいかへん。なかなか進展がなくてもどかしい気持ちはわかるけど、被害者3人の共通点である『アウロラ』の交流イベントを探るんは、やはり重要や。もう暫くの間は、参加者の見た目だけやなく、不審な動きや会話の内容にも注意して、捜査を続けていくで」
童子が総括し、対策官たちが「はい!!」と返事をする。
高校生6人が席を立とうとすると、童子は「そうや」とふと顔を上げた。
「お前ら。ここ数日は、学校と潜入捜査で疲れが溜まっとるやろう。今日の夕メシは俺が奢るから、外で旨いモンを食うて英気を養おか」
「やったぁー! 俺、焼肉がいいっス! その後は、屋台のラーメンも!」
塩田が即座に反応し、鷹村が「“寿司職人”としては、寿司を推すべきか」と顎に手を当てて悩み、最上が「たまには、スペイン料理なんてどうかしら? タイ料理もいいわね」と提案し、雨瀬が「僕は何でも」と言う。
「……おい、お前ら。何で、当たり前のように食いたい物を言ってんだよ。童子さんは、インクルシオNo.1の特別対策官だぞ。少しは遠慮ってものをしろよ」
湯本が呆れ顔で言い、藤丸が大きくため息を吐いた。
童子は「ええねん。こいつらが遠慮なんてしたら、何かあったんかと心配になるわ」と笑い、対策官たちは私服に着替える為に、揃ってロッカールームに向かった。
午前1時。東京都許区。
スタンドカラーのジャケットを着た二戸楓は、繁華街の薄暗い路地裏で、顔面を握り潰して殺したサラリーマンの男性を見下ろした。
コンクリートの塀に『カエデ』と血文字を残して、ぼそりと言う。
「あー。やっぱり、インクルシオを気にして自由に動けないのは、フラストレーションが溜まるなぁ」
「そうだろ。楓。対策官共なんざ、所詮は人間なんだ。邪魔な奴らはブチ殺しちまえばいいんだよ」
別人格の紅葉がけしかけるように言い、二戸は一つ息をついて返した。
「うん。そうだね。それじゃあ、『アウロラ』の大きなイベントで、派手に暴れようか。早速、俺の“ファン”にイベントスケジュールを送ってもらおう」
グレーの口紅を塗った唇が、にぃ、と凶暴に吊り上がる。
二戸はコットンパンツの尻ポケットからスマホを取り出すと、軽快な手つきで画面をタップした。




