03・潜入捜査と余計なお節介
午後1時。東京都月白区。
インクルシオ東京本部の1階の大会議室で、南班の臨時の捜査会議が開かれた。
南班チーフの大貫武士が演台の前に立ち、非番の者を含めた50人近い対策官が長机を埋めている。
前から2列目の長机についた「童子班」の高校生4人は、東京都三鷹市で起こった二戸楓の殺人事件の一報を受け、木賊第一高校の授業を早退して捜査会議に駆け付けた。
高校の制服姿の4人の隣には、黒のツナギ服を纏った特別対策官の童子将也が座っている。
A4サイズの資料を片手に持った大貫が、対策官たちを見回して言った。
「すでに緊急連絡メールで知らせた通り、三鷹市のガード下で若い女性の遺体が発見された。遺体の側の壁に『カエデ』の文字が残されていたことから、我々のキルリストの個人3位、4位に載る二戸楓の仕業と見て間違いないだろう。先日の許区に続いて、二戸が関与したと思われる殺人事件はこれで2件目だ」
大貫が配布した資料には、インクルシオ立川支部から送られた現場写真が掲載されており、対策官たちは顔面を握り潰された女性の遺体を痛ましく見た。
黒のジャンパーを羽織った大貫が、低い声音で話を続ける。
「そして、これはつい先程わかった最新情報だが、許区で殺された女性2名と、三鷹市で殺された女性1名には、一つの共通点がある」
最前列に座るベテラン対策官の薮内士郎が「何か共通点があるのか」と顔を上げ、城野高之が「一体、何ですかね?」と長めの前髪を人差し指で払った。
大貫はまっすぐに前を見据えて言う。
「被害者の女性たちは、全員がNPO法人『アウロラ』が主催する交流イベントに参加していた。この話の情報元は、那智本部長と中央班の影下特別対策官だ」
「……NPO法人『アウロラ』?」
大貫が明かした団体名に、会議室内の対策官たちが騒めいた。
「私、聞いたことがあるわ。確か、人間とグラウカの共存を推進する団体よ」
「ああ。たまに街頭でイベントのチラシを配っているよな。東京にはこの手の団体がけっこうあるけど、その内の一つだよ」
「あー。お茶会とかバーベキューとか、楽しそうなイベントをやってる所か。そう言えば、グラウカの可愛い女の子と知り合えるかもって、思ったことがあるなぁ」
「……僕みたいな人見知りには、縁のない団体だ……」
「童子班」の最上七葉、鷹村哲、塩田渉、雨瀬眞白がそれぞれに言い、童子が「『アウロラ』は、許区に事務所があるな」と小声で情報を付け加えた。
童子は演台に目を向けて、すっと手を上げる。
「大貫チーフ。二戸の影を探る為に、俺と新人4人で『アウロラ』の交流イベントに潜入します。早速、明日からでも行きたいんですが、団体への根回しをお願いしてもええですか?」
潜入捜査を提案した童子に、大貫が「よし。わかった」と力強くうなずいた。
「『アウロラ』の代表には、俺から潜入捜査の協力依頼をしておこう。それでは、童子たち5人は『アウロラ』の内部で、その他の者は許区の公園周辺の捜査に尽力してくれ。それと、全員、担当エリアの巡回をしっかりと頼むぞ」
大貫が指示し、対策官たちが「はい!!」と大きく返事をして、まもなく臨時の捜査会議は散会となった。
午後5時半。
東京本部の3階にあるオフィスで、「童子班」の5人はデスクに向かっていた。
二戸の過去の捜査資料を読み返していた塩田が、急に「……うっ!」と呻き声をあげて、ファイルの山に突っ伏した。
「この時間まで集中していて気付かなかったけど……超腹が減った……!」
「はは。そうだな。よく考えたら、今日の昼メシは学校から本部に戻る途中で、栄養補給ゼリーを一つ飲んだだけだった。どおりで、腹がぺちゃんこのはずだ」
鷹村が腹部を摩って同意し、雨瀬と最上が同様の仕草をする。
童子は「そうやったんか」と心配げに高校生たちを見やった。
「せやったら、少し早いけど、夕メシを食いに寮の食堂に行こか。明日からの潜入捜査に使う変装用具の準備や打ち合わせは、その後にしよう」
「さすが、童子さん! 優しさが身に染みるっス〜!」
塩田が上体を起こして歓喜し、他の3人が椅子から立ち上がろうとする。
すると、「童子班」の5人に声がかかった。
「童子君。みんな。お疲れ様。少し話があるんだけど、いいかしら?」
「……芦花さん! お疲れ様です!」
デスクと通路を隔てるパーテーションから顔を出したのは、東班に所属する特別対策官の芦花詩織で、その傍らには同班の藤丸遼と湯本広大の姿があった。
高校生たちが挨拶を返し、童子が「お疲れ様です。改まって、何ですか?」と訊ねる。
芦花は栗色のボブヘアを揺らして、「ええ。一つ相談があって……」と話し出した。
「二戸楓の殺人事件の捜査で、NPO法人『アウロラ』に潜入することは聞いたわ。こういった潜入捜査の機会はなかなか無いから、対策官としての経験を積む為にも、うちの班の藤丸君と湯本君を人員に加えてもらえないかと思って……。もちろん、望月チーフと大貫チーフの了承は得ているわ」
「なるほど。わかりました。ええですよ。『アウロラ』の交流イベントには多くの参加者が集まるんで人員は必要ですし、若手の対策官に様々な経験を積ませるんは、俺も賛成です。ほな、明日から、藤丸と湯本はこっちで預かります」
芦花の申し出を聞き、童子が快く引き受ける。
塩田が両手を後ろに組んで立つ藤丸と湯本に言った。
「藤丸ー。湯本ー。俺らは『ゲームセンターアレア』で囮捜査も経験済みなんだ。変装とか一般人に紛れるコツとか、何でも聞いていいぜぇー」
「……うるせぇ。バカ塩田。先輩ヅラすんじゃねぇよ」
にんまりと笑った塩田を一瞥し、藤丸はくるりと踵を返す。
童子が「後で打ち合わせをするで。時間と場所はメールするわ」と言うと、「……ウス」と背中を向けたまま返して、湯本と共にオフィスを出ていった。
二人が消えたドアの向こうを見やって、芦花が小さく言う。
「……藤丸君は、過去に反人間組織のグラウカに家族を殺されたわ。その深い傷は簡単に癒せるものではないけれど、『アウロラ』の交流イベントへの潜入捜査を通して、グラウカ全体に憎悪を抱いてしまう苦しみから少しでも抜け出せれば……という意図もあるの。こういうのは、余計なお節介なんでしょうけど……」
芦花が長い睫毛を伏せ、童子が首を振った。
「いいえ。何が気持ちの変化のきっかけになるかはわかりません。相手を慮ったお節介が、功を奏することかてありますよ」
童子の言葉に、芦花は「ありがとう」と柔らかな笑みを浮かべる。
その時、側にいた高校生4人の腹が「グゥゥ」と鳴り、「童子班」の面々は食事休憩の旨を伝えて、急ぎ足で寮に向かった。
午後11時。東京都許区。
前髪で目元が隠れたマッシュヘアに、グレーの口紅を塗った二戸は、コンビニエンスストアのトイレに立っていた。
「あー。もっと人間を殺したいぜ。また、『アウロラ』のイベントに行くか?」
「う〜ん。『アウロラ』には俺の“ファン”がいるし、人間の獲物を漁るには便利な場所なんだけど、あまり派手に動くとインクルシオが面倒だからね」
「おいおい。何言ってんだ、楓。インクルシオなんざ、散々返り討ちにしてきたじゃねぇか。それに、お前は俺よりも殺しを楽しんでいるだろう」
「えー? そうかなぁ? それは、紅葉の方が……」
「はっ。優しく微笑みながら人間の顔を握り潰しておいて、よく言うぜ」
手洗い場の鏡越しに、二戸は自身の別人格と入れ替わりながら会話をする。
二戸は「そうだっけ?」と恍けるように笑い、スタンドカラーのジャケットのポケットから出したハンカチで手を拭いて、鷹揚な足取りで外に出ていった。




