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グラウカ  作者: 日下アラタ
STORY:23
190/231

02・NPO法人『アウロラ』

 午後2時。東京都月白げっぱく区。

 インクルシオ東京本部の7階にある執務室で、チャコールグレーのスーツにストライプ柄のネクタイを締めた本部長の那智明は、ICレコーダーを前に通りのいい声を出した。

「我々インクルシオは、反人間組織のグラウカと命懸けで戦う日々を送っているからこそ、誰よりも強く人間とグラウカの平和的共存を望んでいます。互いの存在を認め合い、手を取り合って、未来への道を共に歩んでいくことを、私自身も願ってやみません」

 執務室のソファセットに腰掛けた那智が、ゆったりと両手の指を組む。

 那智の向かいには、会報誌に掲載する記事のインタビューで訪れた、NPO法人『アウロラ』の代表の樫本信二かしもとしんじが座っていた。

 樫本は45歳の人間で、デニム生地のハンチング帽を被っている。

 NPO法人『アウロラ』は、人間とグラウカの共存を推進・支援する非営利団体で、樫本が25歳の時に発足した。

 主な活動内容は、お茶会、料理会、トーク会、天体観測会、キャンプ、18歳以上の合コン等の企画・運営で、人間とグラウカの楽しい交流を目的としている。

 東京都ゆるし区に事務所兼イベントスペースを構えており、樫本を支えるスタッフは26人で、その内訳は人間が12人、グラウカが14人となっていた。

「──はい。これでオッケーです。いやぁ、さすがインクルシオの本部長さんとあって、人間とグラウカの共存に対する言葉に重みがありますな。これは、いいインタビュー記事になりますよ」

 ICレコーダーの録音を終了した樫本が、ほくほくと顔を綻ばせる。

 那智は「少しでもお役に立てたのであれば幸いです」と返し、テーブルに置いたコーヒーカップに目をやった。

「どうぞ飲んで下さい。よければ、淹れ直しましょうか?」

「いえいえ。ちょっとくらい冷めたって平気ですよ。では、遠慮なく……」

 樫本は手を振って、目の前のコーヒーカップを持ち上げる。

 琥珀色の液体を一口啜り、「ああ。美味しい。普段立ち入ることのないインクルシオで飲むコーヒーは、一味違いますよ」と笑った。

「一般の方がここに訪れることは、あまりないですからね。この建物内を歩いているのは、東京で起こる凶悪事件に関わる者ばかりです」

 那智が小さく微笑むと、樫本はコーヒーカップを手にしたまま、急に表情を曇らせた。

「……樫本さん? どうかされましたか?」

「……い、いや。すみません。つい、思い出してしまいまして……」

「何をでしょうか? もし気に掛かることがおありなら、何でも仰って下さい」

 那智が真摯な声で促し、樫本はしばし迷って口を開いた。

「……あの。今、インクルシオ対策官の方々は、先日にゆるし区で起こった殺人事件を捜査されていますよね? 実は、あの事件で殺された女性二人は、『アウロラ』の交流イベントにちょくちょく来てくれていたんです。その二人の笑顔がもう見れないのかと思うと、とても悲しくて……」


 午後3時半。

 インクルシオ東京本部の南班に所属する「童子班」の高校生4人は、木賊とくさ第一高校から下校した後、黒のジャージに着替えてトレーニング棟につどった。

 それまでゆるし区の捜査に出ていた特別対策官の童子将也と合流し、広々とした多目的室で戦闘訓練に汗を流す。

 今回の戦闘訓練は、キルリストの個人3位、4位に載る二戸楓との交戦を意識したもので、犯人役の童子は「一切の手加減はせぇへんで」とあらかじめ警告した。

「……ふはーっ!! ギブアップっす!! これ以上、動けねぇ……っ!!」

「……戦闘訓練が始まってから、何度死んだか。これが実戦だったらと思うと、背筋がゾッとするな……」

「……これまでの戦闘の経験で、実力はつけてきたつもりだけど……。まだまだだと思い知らされたわ……」

「……キルリストの上位者との交戦はそうそう無いと、心のどこかで思ってしまっているのかもしれない……。まずは、その甘い考えを捨てないと……」

 窓の外の空が群青色に染まり始めた頃、模擬の武器を持った塩田渉、鷹村哲、最上七葉、雨瀬眞白が、板張りの床にへたり込んだ。

 童子は壁際に置いたビニール袋を拾って、高校生たちの側にやってきた。

「ほら。お前ら。これを飲んで水分補給をしろ。この後は巡回任務があるから、戦闘訓練はここまでやな」

「……わ! スポーツドリンクを買っておいてくれたんスか! 童子さん、あざス〜!」

 激しい戦闘訓練であちこちにり傷を作った塩田が礼を言い、他の3人が「ありがとうございます」と続いて、童子からペットボトルを受け取る。

 童子は体育座りをした雨瀬を見やって言った。

「雨瀬。ほんの少しやけど、以前よりも戦闘中に腰が引けとるな」

「……! そ、そうですか。それは、気付きませんでした」

 童子の指摘に、雨瀬はハッと目を見開いて返す。

 雨瀬の隣に座る鷹村も、スポーツドリンクを飲む動きを止めた。

 人前で怪我をすることを無意識に避けていた雨瀬は、「……こ、今後は気を付けます」と下を向いて言い、童子は「戦闘相手に無闇矢鱈に突っ込むんはあかんけど、慎重になり過ぎるんもあかん。常に状況を見極めて動くことが肝心やで」とアドバイスをした。

 ほどなくして、トレーニング棟を後にした「童子班」の5人は、本部のエントランスをくぐり、2階のロッカールームに向かった。

「あ! 影下さんだ! お疲れ様です!」

「お〜。みんなぁ。お疲れぇ〜」

 通路の途中で高校生たちが声をあげ、前から歩いてきた私服姿の人物──中央班に所属する特別対策官の影下一平かげしたいっぺいが挨拶を返した。

「影下さん。これからアルバイトですか?」

「うん〜。三鷹のお弁当屋さんだよぉ〜。それじゃあ、行ってくるねぇ〜」

 童子がすれ違いながら訊き、影下が答える。

 高校生たちが「行ってらっしゃーい!」と元気よく言うと、影下はひょいと片手を上げて、通路の向こうに消えていった。


 午後8時。東京都三鷹市。

 JR三鷹駅の南口から徒歩10分ほどの場所にある弁当店で、店のロゴ入りのエプロンをつけた影下は、『佐藤一平さとういっぺい』の偽名で働いていた。

 弁当を買いに来る客に気さくに話しかけ、テレビや新聞を賑わす事件の話題をさりげなく出して、反人間組織に関する情報を持っていないかを探る。

 サラリーマンの客に生姜焼き弁当を手渡した影下は、出入り口の自動ドアが閉まるのを待って、後方にある厨房に振り返った。

「ねぇ、平田君〜。今日は冷えるから、お弁当と一緒に豚汁がよく売れるねぇ」

 影下がアルバイト仲間に声をかけると、厨房の奥から「うん。そうだね……」と返事がする。

 影下は目の下に浮かぶくまを指先で掻いて、厨房を覗いた。

「平田君さぁ。さっきから、全然元気がないじゃん。どうしたのぉ?」

 影下に『平田ひらた君』と呼ばれたアルバイト仲間は、グラウカの19歳の男性で、普段はノリのいい明るい性格をしている。

 平田はステンレス製の容器に大根の桜漬けを補充して、小さな声で言った。

「……実はさ。ちょっと前に知り合って、仲良くなった女の子がいるんだけど、今日はメッセージアプリの返信がないんだ。可愛い子だから、他の男に取られちゃったのかも……」

「それは、心穏やかじゃないねぇ。ちなみに、どこで知り合った人なの?」

 しょんぼりとした様子の平田に、影下はより詳しい情報を訊く。

「……『アウロラ』っていう、NPO法人のイベントだよ。人間とグラウカの交流イベントを色々とやっていて、そこに参加すれば彼女ができるかなと思って……」

「そうかぁ。きっと相手にも事情があると思うけど、早く返信が来るといいねぇ」

 影下が慰め、平田が「うん……」とうなずくと、軽快な電子音と共に自動ドアが開いた。

 二人は雑談を止め、「いらっしゃいませー!」と声を揃えて仕事に戻った。


 ──翌日。

 三鷹市内の人通りの少ないガード下で、人間の女性の遺体が見つかった。

 遺体の側の壁には、血文字で『カエデ』と書かれていた。

 影下は情報収集も兼ねて弁当店に出勤したが、同じシフトに入っていた平田は欠勤となっており、「事件のニュースを見たショックで寝込んだ」と店長から聞かされた。




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