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グラウカ  作者: 日下アラタ
STORY:03
19/231

05・仕掛けと決意

 午後11時半。東京都月白げっぱく区。

 夜半の公園を後にした吉窪由人は、事前の打ち合わせ通り、大通り沿いの駐車スペースに停車している車に乗り込んだ。

「おかえり、由人。インクルシオのお友達は何だって?」

 ベージュ色の革張りの後部座席には、反人間組織『コルニクス』のリーダーの烏野瑛士が座っている。

 吉窪は滅多に乗ることのない高級車の柔らかなシートに戸惑いつつ答えた。

「はい。組織を抜けろとか、犯罪に加担するなとか、そういう話でした」

 烏野が「それだけか?」と問う。吉窪は「はい」とうなずいた。

「そうか。じゃあ、それは外そうか」

「え?」

 濃紺のスーツに身を包んだ烏野の手が、吉窪の首元に伸びる。

 吉窪のアロハシャツの襟を裏返すと、烏野は小さな機器を取り外した。

「それは……!」

「小型のGPS発信機だ。さすがインクルシオだな。こんなに小さな物があるとは」

 烏野は指でつまんだ発信機をかざして、感心したように言った。

 吉窪は驚きのあまり言葉を失う。

(……あの時……!)

 『月白げっぱく噴水公園』で感情的に怒鳴った鷹村哲が、吉窪のアロハシャツを掴んで揺さぶった。

 その際に、鷹村は吉窪の襟元にGPS発信機を仕掛けたのだ。

 吉窪は膝に置いた両手の拳を強く握り締めた。

「高校生の新人対策官とは言え、あっちはプロだ。これくらいはするさ」

 そう言うと、烏野はウィンドウを開け、発信機を車外に放り投げた。

 発信機はにび色のアスファルトを転がり、別車線を走るトラックに轢かれた。

「……さて。帰るとするか」

 烏野は薄く微笑んで、悠然と座席にもたれた。


 同刻。

 緩やかな夜風が吹く『月白げっぱく噴水公園』に、インクルシオ東京本部の南班に所属する15名の対策官が集まっていた。

 通信オペレーターがノートパソコンから目を上げる。

「……発信機は見つかってしまったようです。ここからおよそ2キロの地点で電波が途絶えました」

「なんてこった」

 ベテラン対策官の薮内士郎やぶうちしろうが、額に手を当てて天を仰いだ。

 両腿に2本のサバイバルナイフを装備した特別対策官の童子将也が、腕を組んで低く言う。

「まぁ、あっちも馬鹿やない。こっちの手は読んでくるやろな」

「吉窪が誰にも告げずに来ることを期待したが……。やはり組織に知らせていたか。そう上手くはいかないな」

「吉窪が『コルニクス』に入った経緯はどうあれ、小学生の頃から関わっとる組織ですからね。裏切りや寝返りのような真似は、簡単にはできへんでしょうね」

 童子の言葉に、薮内は「そうだな」と浅く息をついた。

 私服姿の雨瀬眞白と鷹村哲は、黒のツナギ服を纏った対策官たちの後方でじっと佇んでいた。

 ──この日の夕方。

 吉窪のナイフに刻まれた組織名を見た雨瀬は、すぐに童子に報告をした。

 その後、南班チーフの大貫武士の指示で作戦チームが組まれ、鷹村が吉窪のスマホにメッセージを送った。

 今回の作戦の最大の目的は、『コルニクス』の拠点を特定することだった。

 雨瀬と鷹村が吉窪と接触する間、童子たちは公園の裏手にひそみ、二人の服に取り付けた小型マイクを通して様子をうかがった。

 噴水広場に立つ塩田渉が、ふと湧いた疑問を口にした。

「……ていうか……。この場で吉窪を捕まえて、拠点を吐かせる手もあったんじゃ……?」

 前にいた童子が振り向き、塩田に答える。

「吉窪がインクルシオ対策官の旧友と会うと知った時点で、おそらく烏野は拠点を移しとるやろうな。もちろん、吉窪には伝えずにや。そう考えた場合、ここで吉窪を捕まえるんはかえって悪手や。うちにとって吉窪は、『コルニクス』との唯一の接点やからな」

「そっか……。じゃあ、なんで烏野は吉窪を鷹村と雨瀬に会わせたんですか? 拠点を移すのは面倒なことだと思うんスけど……」

「それは、こっちの動向を探る為や。鷹村が吉窪にGPS発信機を仕掛けたことで、烏野はうちがまだ『コルニクス』の拠点を割れてへんことを確信したはずや。これだけでも、奴にとっては大きな収穫やろうな」

 童子の説明に、塩田は「なるほどー」と納得した。

 塩田の隣に立つ最上七葉が、「烏野は用心深くて厄介な相手ね」と呟く。

 通信オペレーターが振り返って声をあげた。

「たった今、尾行班から連絡が入りました! 吉窪が乗り込んだ車両を、首都高の出口付近の路肩で発見! 車はすでに乗り捨てられた後のようです!」

 薮内が「クソっ。尾行もダメか」と落胆し、高校生たちが表情を曇らせる。

 童子は大貫に連絡する為に、ツナギ服の尻ポケットからスマホを取り出した。

「……仕方ない! 撤収だ! 本部に戻るぞ!」

 薮内は頭をガリガリと掻いて号令をかけた。

 対策官たちは「はい!」と返事をすると、微かな水音が響く公園を動き出した。


 午前1時。東京都ゆるし区。

 古い製粉工場の敷地内にある事務棟の事務室に入ると、机に置かれていたパソコンと棚の資料の数々が消えていた。

 吉窪がガランとした室内をキョロキョロと見回す。

 吉窪の隣に立った烏野が言った。

「ここにあった物は、新しい拠点に移した」

「あ、新しい拠点? どこですか?」

「それはまだ言えない。“安全”が保証されるまではな」

「…………」

「心配するな。お前の身辺が静かになれば、そのうち教える。それより、先ほど『85番』の商談が成立した。倉庫に行って、“出荷”の準備をしてこい」

「は、はい」

 烏野の指示に、吉窪は事務室のドアを開けて廊下に出た。

 事務棟から薄暗い工場に移動し、工場内にある倉庫の前に立つ。

 倉庫の南京錠を外して鉄製の扉をスライドすると、真っ暗な空間の中に、『85番』という商品番号を付けられた一人の少女がうずくまっていた。

(……ここには9人の“商品”がいた。他の8人は新しい拠点に移動させたのか)

 吉窪はひんやりとした倉庫に足を踏み入れ、黒髪の少女を見下ろした。

 少女の手足はそれぞれ革ベルトで拘束されており、口元は白い布できつく縛られている。

 吉窪が少女に手で触れると、小さな体がビクリと震えた。

「その子は、海外の買い手がついたんだと。かなりの高値で売れたらしいぜ」

 倉庫に来た“運搬係”の構成員が、口角を上げていやらしく笑った。

 吉窪は「そうなんですか」と返して少女を抱き上げ、倉庫を出て“運搬係”に渡した。

 声を出せない少女がすがるような目で吉窪を見る。

 その絶望の表情に、小学5年生の時に母親に手を離された自身の心境が重なった。

(……な、なんで今更……!)

 吉窪は咄嗟とっさに目を逸らす。

 アロハシャツの下の心臓が早鐘を叩いた。

「さて、行くか。この子は引き渡し場所が遠い港なんだ。急がなきゃな」

 そう言って、黒髪の少女を抱いた“運搬係”は暗がりの工場から出て行った。

 少女の哀しい瞳が、吉窪の脳裏から離れない。

 吉窪は今まで無意識に蓋をしていた、胸に込み上げる激情を振り払うように頭を振った。

(──いいんだ! 俺は親に売られたんだ! あの子も自分の人生に絶望すればいい! 自分の運命を嘆けばいい! 俺みたいにみじめで、辛い思いをすればいい! なのに……何で……! クソっ……!)

 吉窪は工場の壁を手で叩きつけ、ギリギリと唇を噛み締める。

 ──その時。

 吉窪のスマホが鳴った。

 ジーンズの尻ポケットからスマホを取り出すと、一件のメッセージが着信していた。

 メッセージの送り主は鷹村だった。

『よっちゃん。今日のことで、よっちゃんはもう俺と眞白を信用していないと思う。だけど、俺たちは俺たちの信念で行動した。だから後悔はない。でも、俺たちは、よっちゃんに日の当たらない場所ではなく、光の下で生きて欲しいと願っている。それだけは信じてくれ』

 メッセージの最後には、鷹村と雨瀬の名前が並んで書かれていた。

 吉窪は月明かりの届かない工場の片隅で、スマホを握る手に力を込めた。


 翌日。午後1時。

 インクルシオ東京本部の隣に建つインクルシオ寮の食堂で、「童子班」の面々は昼食を済ませた。

 この日は日曜日で、高校生たちは早朝から阿諏訪灰根の捜索に出ていた。

 湯呑みに入った緑茶を飲んだ童子が言う。

「この後は、ゆるし区の南西を捜索する。住宅街で一軒一軒の聞き込みや。組み合わせは塩田と最上、鷹村と雨瀬。俺は鷹村たちにつく。10分後に出るで」

 黒のツナギ服を着た高校生たちが「はい!」と返事をした。

 塩田が「出る前にもう一杯ジュース飲もう」と言い、最上が「私も紅茶をお代わりするわ」と席を立つ。

 テーブルに残った雨瀬と鷹村に、童子が目をやった。

「……大丈夫か?」

「え?」

「お前ら、ゆうべ寝れてへんやろ」

「…………」

「あまり、無理すんな」

 童子の静かな声に、雨瀬と鷹村は下を向いた。

 仲間の前では気丈に振る舞っていても、小学校時代の旧友が母親に売られて反人間組織に入ったという事実は、二人の心を打ちのめした。

 鷹村はくまの浮かんだ目を伏せて、「心配かけてすみません」と言った。

 雨瀬も癖のついた白髪を揺らして頭を下げる。

 童子は緑茶の湯飲みを手にしたまま、「……阿呆」と小さく返した。

 すると、テーブルに置いていた鷹村のスマホが振動した。

 スマホの画面をタップした鷹村が目をみはる。

「童子さん……! これっ……!」

 鷹村は急いでスマホをテーブルに差し出した。童子と雨瀬がメッセージを見る。

 ジュースと紅茶をそれぞれ持ってきた塩田と最上が、ただならぬ雰囲気に横からスマホを覗き込んだ。

 着信したメッセージは、吉窪からだった。

 そこには、『グレーの髪色の少女はうちにいる』と書かれていた。

 そして、『捜査に協力する』と。




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