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グラウカ  作者: 日下アラタ
STORY:23
189/231

01・二つの人格とキルリスト

 午後11時。東京都ゆるし区。

 都心の高層ビル群を遠目に眺めながら、冬用のアウターに身を包んだ3人の若い男女は、静寂に包まれた公園の中を歩いていた。

「あー。すごく楽しかった。“葉っぱ”さん、今日は誘ってくれてありがとう」

「うん。私も楽しかったよ。『アウロラ』の交流会で、“葉っぱ”さんと連絡先を交換しておいてよかった。今はバイトとかが忙しくて、『アウロラ』にはしばらく行ってないけど、また落ち着いたら顔を出すね」

 公園の近くにあるカラオケ店で、心ゆくまで熱唱した女性二人が言う。

 女性たちに“葉っぱ”さんと呼ばれた男性──前髪で目元が隠れたマッシュヘアに、グレーの口紅を塗った二戸楓にとかえでは、穏やかな笑みを浮かべた。

「それにしてもさー。“葉っぱ”さん、なんで私たちに声をかけてくれたの? もしかして、どっちかが好みで狙ってるとか?」

「え、何それ、やだー! でも、“葉っぱ”さんって個性的なルックスでカッコイイし、けっこうアリかも……」

 ダウンジャケットを着た女性がいたずらっぽく訊ね、ダッフルコートを着た女性が満更でもなさそうに顔を赤らめる。

 グラウカである二戸は、人間である女性二人に、ゆっくりと一歩近付いた。

「ふふ。それはね。紅葉もみじがさ、「人間を殺したい」ってうるさいから、知り合いの中からテキトーに君たちを選んだんだ」

 二戸の不可解な内容の回答に、女性たちが「え?」と聞き返す。

 しかし、二戸は無言のままで両腕を伸ばすと、女性二人の頸部をそれぞれ鷲掴んだ。

 か細い首の骨が、ゴキゴキゴキと鈍い音を立てて潰れる。 

 先程まで優しげだった二戸の表情は、まるで別人のように暴虐を露わにしていたが、口から泡を吹いて絶命した女性たちがそれを見ることは叶わなかった。




 1月中旬。東京都月白げっぱく区。

 午前8時半を少し回った時刻、『厚生省特殊外郭機関インクルシオ』東京本部の最上階にある会議室で、緊急の幹部会議が開かれた。

 楕円形の会議テーブルには、総長の阿諏訪征一郎あすわせいいちろう、本部長の那智明なちあきら、東班チーフの望月剛志もちづきつよし、北班チーフの芥澤丈一あくたざわじょういち、南班チーフの大貫武士おおぬきたけし、西班チーフの路木怜司ろきれいじ、中央班チーフの津之江学つのえまなぶが着席している。

 濃紺のスーツを着た那智が、険しい眼差しを前に向けて言った。

「朝の挨拶は省いて、本題に入るぞ。今朝方、ゆるし区の公園で、女性二人の遺体が見つかった。大貫。この件について、現時点でわかっていることを報告してくれ」

 那智が促し、黒のジャンパーを羽織った大貫が「はい」と応じた。

「……女性二人の遺体が発見された場所は、ゆるし区の『ほほえみとくつろぎの緑林公園』の公衆トイレの個室です。ドアが半開きになっていた為、前を通った利用者が気付いて発見に至りました。女性二人は10代後半から20代前半と見られ、いずれも頸部を損傷。また、遺体が入っていた個室の壁には、被害者の持ち物と思われるアイライナーで、『モミジ』と書かれていました」

「……チッ。あの二戸楓の仕業か。クソ野郎が……」

 大貫の報告を聞いた芥澤が、苦虫を噛み潰したような顔で舌打ちする。

 望月が腕を組み、低い声で言った。

「二戸と言えば、二重人格者にして、うちのキルリストの個人3位、4位に載る人物だ。これは、厄介な奴が都内に現れたな」

「ええ。主人格の楓が3位、別人格の紅葉が4位ですね。“彼ら”は犯行時に「俺の手柄だ」と言わんばかりに名前を残すので、キルリストの順位も別々の扱いとなっています」

 津之江が資料を手にして続き、路木が指に挟んだボールペンを一回転した。

「二戸は、『カエデ』『モミジ』として11歳から人間を殺してきました。彼の容姿は、11歳当時の防犯カメラの映像しか残っていません。現在は18歳ですが、成長した二戸と道ですれ違っても、きっとわからないでしょうね」

 路木の抑揚のない声の言葉に、会議室の室内が不穏に静まり、那智は一つ咳払いをして指示を出した。

「……まずは各班、二戸の動向を厳重に警戒し、巡回を強化してくれ。殺人事件が起こったゆるし区を管轄とする南班は、人員を増強して捜査にあたるように。相手はキルリストの上位者であり、一癖も二癖もある危険な人物だ。だが、必ず見つけ出して、殺せ」

 那智の強い言葉を合図に、チーフたちが一斉に席を立つ。

 緊急の幹部会議が終了し、阿諏訪とチーフ5人が会議室を退室すると、那智はスーツの内ポケットを探ってスマホを取り出した。

 画面をタップして、着信したばかりのメールに目を通す。

『那智本部長。ゆるし区の事件の対応でお忙しいと思いますが、明日のNPO法人『アウロラ』のインタビューは大丈夫ですか? リスケしますか?』

 メールの差出人はインクルシオの広報部長で、那智は短く思案した。

『いいえ。予定通りで構いません。30分程度であれば、問題はありませんよ』

 メールの返信を打ち、送信ボタンを押す。

 那智はスマホをスーツの内ポケットに戻して、長い通路を歩き出した。


 東京都あま区。

 インクルシオ東京本部の南班に所属する「童子班」の5人は、年明けに大阪で反人間組織『マルム』の壊滅を果たし、一日延びた休暇で楽しい思い出を作った後、任務と鍛錬に勤しむ日々を送っていた。

 まもなく午後7時になろうとする時刻、担当エリアの巡回任務を終えた面々は、黒のジープに乗り込んで本部への帰途についた。

「じゃあ、俺からいくぜ。実は、アイドルのミユちゃんが付き合ってる相手って、俺なんだ。ライブを観に行った時、あっちが俺に一目惚れしてね」

「俺は、来月でインクルシオ対策官を辞める。高校を卒業したら、寿司職人を目指すつもりだよ」

「私は、タイムスリップで百年後の未来から来たの。早く元の世界に戻らないと」

「えっと、僕は、この髪はブリーチで白くしていて……。本当は黒髪です……」

 走行中の車内で、黒のツナギ服を着た塩田渉しおたわたる鷹村哲たかむらてつ最上七葉もがみななは雨瀬眞白あませましろが、次々と自身の秘密を暴露する。

 最後に、高校生4人の指導担当である特別対策官の童子将也どうじしょうやが口を開いた。

「俺は、お前らが嫌いや」

 童子の思わぬ告白に、高校生たちが大きく目を見開いて固まる。

 運転席に座る童子は、バックミラーでその様子を見やって苦笑した。

「俺のは、さっき塩田が耳打ちしてきたネタやで。無理矢理、言わされたんや」

「……いやぁ……! そうなんスけど、実際に童子さんの口から出ると、ショックがハンパねーっスね……! 心臓にズシーンと来たっスよ……!」

「……俺もマジで驚いた。つーか、“ちょっと早めのエイプリルフールごっこ”なんて遊びに乗ってしまった自分が憎いぜ。こんな呑気のんきなことしてる場合じゃないのに……」

 鷹村がシートにもたれて息を吐き、“エイプリルフールごっこ”の発案者である塩田が「まーまー。束の間の息抜きは必要だぜ」とポンと肩を叩く。

「……でも、やっぱり、ゆるし区の事件が気になってしまうわね。今も、南班の他の対策官が現場周辺で捜査中だし……」

 最上がウインドーの外を見つめて漏らし、童子が話題を転換した。

「お前ら。今朝のゆるし区の殺人事件を起こした二戸楓については勉強しとるな。二戸はインクルシオのキルリストの個人3位、4位に載る二重人格者や。二戸の下の順位には、お前らも対峙したことがある『アダマス』の三兄弟がおる」

「はい。確か、5位から7位が、『アダマス』の剛木ごうき三兄弟ですよね」

 後部座席の鷹村が返すと、童子は「せや」とうなずいて話を続けた。

「キルリストの順位はその通りやけど、実のところ、戦闘能力の面では二戸と剛木三兄弟の間には雲泥の差があると言える。二戸には一般の人間だけではなく、手練てだれの対策官も多く殺された。二つの人格の『カエデ』と『モミジ』は、俺の目から見ても間違いなく強敵や」

「……!」

 童子がきっぱりと言い切り、高校生たちはごくりと唾を飲み込む。

 数瞬の沈黙が車内に流れ、雨瀬が癖の付いた白髪を揺らして顔を上げた。

「……二戸楓は、ゆるし区に現れて殺人事件を起こした。おそらく、今も都内のどこかに潜んでいると思う。奴にいつどこで遭遇しても戦えるように、僕らも気を引き締めていこう」

 鷹村、最上、塩田が「おう!!」「わかったわ!!」「どんな奴が相手でも、ビビってはいられないもんな!!」と勢いよく声をあげる。

 童子は高校生たちの勇猛な気概にそっと微笑み、ジープのアクセルを踏んで、夜の街を進んだ。




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