10・大阪の夜空に
午前2時。大阪府大阪市白群区。
インクルシオ大阪支部の5階にある支部長室で、ライオンがプリントされたシャツを着た支部長の小鳥大徳は、執務机の上に置いたノートパソコンをいそいそと動かした。
室内側に向いたモニターには、インクルシオ東京本部の本部長である那智明と、南班チーフの大貫武士の姿が映っている。
また、支部長室の室内には、大阪支部の「串かつ班」に所属する増元完司、同班の鈴守小夏、東京本部の南班に所属する特別対策官の童子将也、同班の雨瀬眞白、鷹村哲、塩田渉、最上七葉がおり、ノートパソコンに一番近い位置に、「串かつ班」に所属する特別対策官の疋田進之介が立っていた。
濃紺のスーツに身を包んだ那智が、安堵した表情で言う。
「まずは、反人間組織『マルム』の完全なる壊滅を果たした、突入チームの諸君に礼を言う。他のメンバーはまだ現場で事後処理をしている最中だが、皆、本当によくやった。……そして、疋田。よく生きて帰ってきてくれたな」
那智は慈しむような眼差しで、頭部に包帯を巻き、顔中に青あざを作った疋田を見やった。
ベージュのレザージャケットとネイビーのチノパン姿の疋田は、後ろに回した両手を組み、姿勢を正して口を開いた。
「那智本部長。小鳥支部長。今回は事前に何の相談もせず、独断で勝手な行動をして申し訳ありませんでした。組織の一員として、特別対策官として、深く反省しています」
疋田の謝罪の弁に、那智は端正な容貌を複雑に歪めた。
「ああ。そうだ。その点に関しては、俺は疋田に厳重注意をしなければならない立場だ。だが、仲間と組織を思っての命懸けの行動を、一体誰が責められる。……誰が……」
那智は言葉を詰まらせ、堪えていた温かな涙を流す。
那智の隣に映る大貫が大きく鼻を啜り、疋田の後方に立つ増元が「心配させやがって……。このド阿呆が……」と手で目元を拭い、鈴守が「進之介さんが無事で、ほんまによかった……」と肩を震わせて泣いた。
小鳥は黙ったまま、疋田の頭を引き寄せ、優しい力でワシワシと掻き回す。
「童子班」の高校生4人は揃ってもらい泣きをし、童子は小さく息をついて、照れ臭そうに佇む疋田を見つめた。
「もう遅い時間だ。身体や精神の疲れもあるだろうから、お前たちは早く休め。……小鳥支部長。後はよろしく頼みます」
「おう。任せといてくれ。俺はこれからみ空区の現場に行って、悪原真沙樹がやっとった『パピリオM.A』から、パソコンや資料を押収する手伝いをしてくるわ。ついでに、現場で事後処理をしとる対策官らに、コンビニのおでんの差し入れをどっさりと持ってな」
小鳥が歯を見せて笑い、那智が「ええ。そうしてやって下さい。夜中は腹が減りますからね」と微笑んで返す。
長く張り詰めた緊張が漸く解けた関係者たちは、それぞれに晴れやかな表情を浮かべて、その場を解散した。
大阪支部の隣に建つインクルシオ寮の屋上で、私服姿の「童子班」の高校生4人は、白い息を吐きながらフェンスに走り寄った。
「やったぁー! これで、万事解決だぁー!」
「こら、塩田。部屋で寝ている対策官たちがいるのよ。静かにしなさい」
「いや、でも、本当に安心したよ。俺らが『マルム』から解放された後、童子さんの身代わりで疋田さんが拘束されたと知った時は、罪悪感と後悔でいっぱいだったからな」
「うん。胃も心も、すごく痛かった……」
塩田が歓喜し、最上が嗜め、鷹村がしみじみと言い、雨瀬がうなずく。
高校生たちについてきた鈴守が、今にも雪の降りそうな曇天を見上げた。
「新年早々、大変なことが起こったけど、ええ結果になってよかったわ。進之介さんや将也さんはもちろん、最初に拉致された同期のあんたらに何かがあったら、この先ずっと笑えへんかった」
鈴守の小さく呟くような言葉に、塩田、鷹村、雨瀬、最上が「鈴守ちゃん……!」「鈴守さん……!」と感激して目を潤ませる。
「ガッハッハッ! 終わりよければ全てよしや! 大事な仲間たちが無事で、ほんまにめでたいわ!」
増元が胸を反らして高笑い、高校生たちが「ま、増元さん! 夜中です! お静かにぃ〜!」と慌てて口元に人差し指を立てた。
チノパンのポケットに手を入れた疋田が、フェンスの前に歩み寄って言う。
「……雨瀬。鷹村。塩田。最上。お前ら4人が『マルム』の拠点で暴れたから、『パピリオM.A』に繋がる手がかりを掴むことができた。無理な抵抗をすれば殺されるかもしれへん状況で、インクルシオ対策官としての意地を立派に見せたな。そのおかげで、俺は命拾いをした。ありがとうな」
「い、いえ……! そんな……!」
疋田の改まった礼を聞いた高校生たちが恐縮し、増元と鈴守が「その通りやで!」「みんな、ようやった!」と賑やかに囃し立てた。
疋田は視線を移し、数歩遅れてやってきた童子を見る。
「将也。さっきから静かやな。もしかして、怒っとるん?」
「はい。怒っています」
童子が即答し、疋田はやや驚いて体ごと向き直った。
「もう二度と、今回のような無茶な真似はしないで下さい。俺の身代わりで死にに行くなんて、たとえ進之介さんが納得しとっても、俺が納得できません」
童子が真剣な面持ちで言い、疋田は「うん。すまへんかったわ」と素直に謝る。
「貴方は、貴方が思てる以上に、俺にとってかけがえのない存在なんです。俺だけやない。大阪支部の仲間たちや、こいつら4人にとっても。それを、もっとちゃんと、わかって下さい」
「……うん。わかったわ。自己満足な犠牲心で動いてしもて、悪かったな」
童子の心からの訴えに、疋田は包帯を巻いた頭をぺこりと下げた。
すると、二人のやりとりを見ていた増元が「クソっ……。俺の後輩たちが、泣かせよるわ……!」と滂沱の涙を流し、鈴守が「最高の先輩たちやわ……!」と続き、「童子班」の高校生たちが再びもらい泣きをした。
疋田が「あれ。いつの間にか、みんなが泣いとる」と振り向き、童子が小さく笑って、寒々とした屋上の空気がふわりと和らぐ。
「あー。だけど、もう3日だよなぁ。夜が明けたら、東京に帰らなきゃかー」
塩田が大阪の夜景を眺めて残念そうに言うと、鷹村が「結局、観光どころじゃなかったな」と苦笑した。
その時、スマホの電子音が鳴り、童子がジーンズの尻ポケットを探った。
取り出したスマホの画面をタップした童子は、着信した1件のメールを読んで僅かに目を見開く。
「お前ら。大貫チーフが、休暇を1日延長してくれるて。せやから、4日まで休みやで」
「……えっ!? 本当ですか!?」
童子が顔を上げて伝え、高校生4人が驚く。
増元が「ほんま? せやったら、東京に帰るんは明日でええよな? 今日は俺も休みやし、みんなで遊びに行こうや!」と反応し、鈴守が「私は5日まで休暇やから、全然大丈夫ですよー!」とはしゃぎ、疋田が「俺も、小鳥支部長に頼んで休みをもらおかな……」と思案した。
童子はまだきょとんとしている高校生たちを見やり、優しく笑って言った。
「ほんなら、各自ゆっくりと体を休めたら、定番から穴場スポットまで大阪観光して、旨いモンを心ゆくまで食い倒れして、みんなでええ思い出を作るで。ええな?」
「──は、はいっ!!!」
どこまでも広がる曇天から、ちらちらと雪が舞い降りる。
高校生4人の大きな返事が、大阪の夜空に明るく響いた。
<STORY:22 END>




