06・折れたプライド
午後8時。大阪府大阪市白群区。
インクルシオ大阪支部の3階にある対策官用のオフィスで、「串かつ班」に所属する増元完司は、3つのたこ焼きのパックをビニール袋から取り出した。
「将也。なんやかんやで昼メシも夕メシも食うてへんから、腹が減ったやろ。少し手を止めて、これを食おうや。支部の裏通りにある『福ちゃん』のたこ焼き、久しぶりやろ」
焦茶色のライダーズジャケットを着た増元が言うと、インクルシオ東京本部の南班に所属する特別対策官の童子将也が、“古巣”のオフィスのデスクに向かっていた顔を上げる。
「完司さん。わざわざ買うてきてくれたんですか。ありがとうございます。……そうですね。休憩にしましょうか」
二頭の虎の刺繍が入ったスカジャン姿の童子が椅子を回して礼を言い、増元と同じく「串かつ班」に所属する鈴守小夏が、「将也さん。温かいお茶をどうぞ」と淹れたてのほうじ茶を差し出した。
「……ほんで、『マルム』の拠点の手がかりは、何か見つかりそうか?」
「いいえ。数日前に悪原真沙樹と世良傑の目撃情報が上がった、み空区の防犯カメラ映像を片っ端から調べていますが、今のところは何もありません」
早速、パックを開けて熱々のたこ焼きを口に放り込んだ増元が訊き、童子が爪楊枝を手にして答える。
「そうか……。今、俺ら「串かつ班」だけでなく、全班の対策官が懸命に『マルム』の拠点を探しとる。せやけど、このまま捜査の進展があらへんかったら……」
頭髪に“元ヤン”の剃り込みが入った増元が語尾を小さくし、隣の椅子に座った鈴守がたこ焼きを大きく齧った。
「ええ。一刻も早く『マルム』の拠点を見つけ出して、奴らに拉致された4人を助け出さへんと、交換で敵陣に行く将也さんが殺されてしまいます。そういう結果だけは、何としても避けねばなりません」
鈴守が硬い声で言い、増元が「こ、小夏。心臓に悪いワードを使うなや」と手で胸をぎゅっと掴む。
童子はたこ焼きをもぐもぐと食べ、目の前の二人を見やって言った。
「……もし、俺が『マルム』に拘束されても、何とか状況を覆します。せやから、心配しないで下さい」
「いや。何とかて言うても、お前は丸腰で行くねんで? 当然、俺らも追跡はするけど、『マルム』も阿呆やない。上手いこと撒かれてしもたら、それで終いや」
増元が悲痛な表情で返し、鈴守が眉間に深く皺を寄せる。
童子は湯呑みに手を伸ばして、湯気の立つほうじ茶を一口啜った。
「……大丈夫です。必ず、突破口はあります。俺を信じて下さい。それに、万が一、俺に何かがあったとしても、あいつらが無事に解放されるならそれでええです。俺はあの4人の指導担当として、先輩として、時には家族のような近しい存在として……命を落としても悔いはないと言い切れます」
そう言って、童子は湯呑みを置き、再びたこ焼きを食べる。
童子の揺るぎのない覚悟と想いに、増元と鈴守は改めて気を引き締めた様子で、残りのたこ焼きを頬張った。
「………………」
オフィスの開け放したドアの外側に立つ人物──「串かつ班」に所属する特別対策官の疋田進之介は、そっと身を翻し、その場から歩き去った。
同刻。大阪府大阪市み空区。
蝶標本販売会社『パピリオM.A』が事務所を構える雑居ビルで、東京本部の南班に所属する「童子班」の高校生4人は、3階の窓のない部屋に監禁されていた。
反人間組織『マルム』のリーダーの悪原真沙樹と、No.2の世良傑に拉致された高校生たちは、唯一自由になる脚で監禁部屋のドアを蹴り続けたが、特殊な材質で作られた板はびくともしなかった。
「……なぁ。今って、何時頃かな……?」
「……わからねぇ。スマホもないし……」
ロープで後ろ手に縛られた塩田渉が息を上げて訊き、鷹村哲が額から汗を流して返す。
「……午後11時になったら、私たちとの交換で、童子さんが……」
最上七葉が肩を上下させて言うと、塩田がふと反応した。
「うん……だけどさ。こう言っちゃなんだけど、俺ら新人対策官を救う為に、インクルシオNo.1の特別対策官を反人間組織に差し出すかなぁ? インクルシオにとっては、どっちの命が重要かは、明白だと思うんだけど……」
塩田が疑念を漏らし、鷹村が「まぁ、確かにな」とうなずく。
雨瀬眞白が癖のついた白髪を揺らして、力の入らない脚でドアを蹴った。
「……インクルシオの上層部の本心は、そうかもしれない。だけど、童子さん本人が、絶対に交換に応じる。これは自惚れじゃなくて、そう確信できる」
雨瀬が更にドアを蹴り、他の3人が横に並んだ。
「ああ。その通りだ。童子さんなら、自分の命を顧みず、俺らを助ける道を選ぶ」
「そうだよな。童子さんはそうするよな。だからこそ、俺らは頑張らなきゃ」
「ええ。たとえこの脚が折れたって、ここから脱出することを諦めないわよ」
鷹村、塩田、最上が力強い表情で、雨瀬に同意する。
高校生たちは互いの顔を見やり、息を合わせて、力一杯にドアを蹴り込んだ。
「……フン。バカ共が。いつまでも無駄なことを……」
雑居ビルの建物内に鈍い音が響き、4階の社長室にいる悪原が低く毒づいた。
すると、不意にスマホの着信音が鳴った。
通話ボタンを押し、受話口を耳にあてた悪原が俄に警戒の色を浮かべる。
「……なんや? 何の用や?」
電話をかけてきたのは、大阪支部の疋田だった。
午後9時。大阪府大阪市至極区。
「童子班」の高校生4人と童子の交換予定時刻の2時間前、北3丁目の交差点近くにあるてっちり店の前に、ベージュのレザージャケットとネイビーのチノパンを履いた疋田が現れた。
疋田は道路の路肩に停まっていた白色のバンに近寄り、スライドドアを開けて車内に乗り込む。
薄暗い車内には、運転席と助手席に『マルム』の構成員2人がおり、2列目と対面になった3列目のシートに、悪原と世良が並んで座っていた。
二人の前に「よいしょ」と腰掛けた疋田に、悪原が言う。
「……先に忠告しておくが、少しでも妙な真似をしたら、俺らの拠点に監禁しとる新人対策官4人を殺すで」
「はは。何もせぇへんて。ちょっと、提案をしに来ただけや」
鼻にそばかすを散らした疋田が柔和に笑い、悪原が「提案て何や?」と訊いた。
「ああ。単刀直入に言うわ。将也……童子の代わりに、俺を新人対策官4人と交換しろ。そんで、俺を殺せ」
「……!!!」
疋田が穏やかな声音で言い、悪原と世良が大きく目を見開いた。
「……ア、アホか! 俺が一番に恨んどるんは、童子や! あいつは5年前、『マルム』が決起集会を開いた工場で、うちの構成員を次々と屠った! この絶好の機会に、その報復をするんや!」
スーツに蝶ネクタイをした悪原が、目尻を吊り上げて喚く。
疋田は悪原の激しい憤りには取り合わず、世良に視線を移した。
「リーダーは反対みたいやけど、お前の意見はどうや? ……“関西最凶”?」
疋田が薄く微笑んで訊ねると、金縁メガネをかけた世良は、黒のダウンコートのポケットに手を入れた。
そこから折り畳みナイフを取り出し、興奮している悪原の頭部を片手で掴んで、横から勢いよく貫く。
「……がっ……あ……あ!!??」
グラウカの弱点である脳下垂体を破壊された悪原は、何が起こったのか理解が追いつかないまま、白目を剥いて絶命した。
シートにずるりと脱力した悪原を、世良が一瞥する。
「……悪原。お前の恨みよりも、俺の恨みの方がずっと強いんや。5年前、この男にプライドをぽっきりと折られた、俺の方がな……」
世良が静かに呟き、まもなくバンは夜の街を走り出した。
そして、それから1時間後、「童子班」の高校生4人は、“ミナミ”にある“クリコ”の看板を間近に臨む、戎橋の上で解放された。




