03・元日と怨恨
1月1日。東京都月白区。
インクルシオ東京本部の南班に所属する「童子班」の雨瀬眞白、鷹村哲、塩田渉は、眩しい朝日が反射するインクルシオ寮で元旦を迎えた。
年末年始の休暇中の3人は、ラフな私服姿で1階の食堂に集まり、これから任務に赴く対策官たちに混じって朝食を摂る。
食堂のビュッフェは通常のメニューに加えて、おせち料理セットや雑煮やおしるこが並んでおり、正月ならではのラインナップとなっていた。
一人分のおせち料理セットの黒豆を箸で摘んで、塩田が言った。
「さっき、千葉支部の石坂君と宇佐ちゃんから、あけおめメッセージが来たよ」
「ああ。俺にも来た。二人も休暇中で、千葉県内の実家に帰っているらしいな」
鷹村が数の子を齧って返し、雨瀬が「うん。二人共、元気そうでよかった」と栗きんとんを食べる。
インクルシオ千葉支部の2班に所属する石坂桔人と、同班の宇佐葵からの新年のメッセージには、『今年は一緒に強化合宿に参加しよう!』と書き添えられており、雨瀬、鷹村、塩田は昨年の栃木県日光市の強化合宿を思い出して、「あの時は、色々と大変だったなぁ……」と感慨深く息を吐きつつ、おせち料理を平らげた。
朝食を終えた3人は、外出着に着替えて寮のエントランスを出た。
電車に乗って埼玉県さいたま市に向かい、下車した駅の改札口で最上七葉と合流する。
そのまま「童子班」の4人で元日の街を歩き、近くの神社に初詣に出かけた。
「おみくじ、私は大吉だわ。みんなはどうだった?」
ボアブルゾンにマフラーを巻いた最上が小さな紙を持って訊き、鷹村が「俺は中吉だ」と答え、雨瀬が「僕は吉だった」と続き、塩田が「あえて凶を狙ったのに、小吉だった〜」と残念がった。
多くの参拝客で賑わう神社の参道の脇には、いくつかの小休憩用のベンチが設置されている。
高校生たちはベンチの一つに腰掛けると、境内で振る舞われた甘酒を啜った。
「……美味しい。この神社の甘酒を飲むのは、1年振りだ……」
「ええ。インクルシオ訓練施設に居た時は、ここに初詣に来ていたものね」
「あ〜。空は晴れ渡ってるし、周りは和やかだし、いい元日だな〜」
「そうだな。たまには、こんなのんびりとした休暇も悪くない」
参道を行き交う人々を眺めながら、雨瀬、最上、塩田、鷹村が口々に言う。
しかし、高校生たちはすぐに沈黙し、塩田がぽつりと言葉を発した。
「……でも、童子さんが一緒にいれば、もっと楽しいよな」
塩田の寂しげな呟きに、鷹村が甘酒を飲み干して返す。
「ああ。だけど、俺らは、童子さんが側にいないことに慣れていかないとな。4月以降は、任務も休暇も、そうなるんだから……」
冬の乾いた風が4人の頬を撫で、再び静寂が訪れた。
すると、突然スマホの着信音が鳴り、鷹村がジーンズの尻ポケットを探った。
取り出したスマホの画面を見た高校生たちは、一気に表情を明るくする。
「童子さん!! あけましておめでとうございます!!」
『おう。元気一杯な声やな。あけましておめでとさん。お前ら、ゆっくりと休んどるか?』
通話ボタンをタップすると同時に4人が声を揃えて挨拶し、電話をかけてきた相手──南班に所属する特別対策官の童子将也が笑って訊ねた。
「はい! すげーゆっくりしてるっスよ! 少しは鍛錬もしなきゃですけど!」
「今は、4人で埼玉の神社に初詣に来ているんです。この後は、ファミレスで昼メシを食って、映画でも観に行こうかと話しています」
塩田が勢いよく答え、鷹村が状況を説明し、童子は『そうか』と返す。
『お前らが休暇を満喫しとるなら、それが何よりや。4人共、風邪を引かんように気を付けて、しっかりと英気を養うんやで』
童子が穏やかな声音で言い、高校生たちが「はい!」と返事をする。
童子は『ほな、明後日の夕方に東京に戻るわ。またそん時にな』と告げて通話を切り、手中のスマホに目を落とした鷹村が小さく言った。
「……明日からの“大阪サプライズ訪問”、童子さんと俺らの心にずっと残るような、いい思い出を作ろうな」
「……うん」
他の3人が力強くうなずき、ベンチを立つ。
「童子班」の高校生たちは、くるりと踵を返し、華やかな喧騒に包まれた神社を後にした。
午後1時。東京都月白区。
濃紺のスーツを着た本部長の那智明は、エレベーターで東京本部の5階に降り、北班の執務室のドアをノックした。
那智が室内に足を踏み入れると、部屋の主である北班チーフの芥澤丈一を始め、東班チーフの望月剛志、南班チーフの大貫武士、西班チーフの路木怜司、中央班チーフの津之江学がソファセットに顔を揃えている。
「……なんだ。内線で何の呼び出しかと思ったら、おせち料理を食べているのか」
「おー。さっき、コンビニに昼メシを買いに行ったらさ、これが売ってたんだよ。せっかくの元日だし、仕事の手を止めて、みんなで摘もうぜ」
芥澤が割り箸と紙皿を差し出し、那智は「……3人で座ると、ぎゅうぎゅうだな」と言って片側のソファに腰を下ろした。
大貫が急須から湯呑みにほうじ茶を注ぎ、那智の前に置く。
「……む。この昆布巻き、なかなかいい味だな」
「なんか、どっかの高級料亭とのコラボおせちらしいぜ。値段がクソ高かった」
那智が驚いた顔で言うと、芥澤がネクタイを緩めて返した。
望月、津之江、路木が「芥澤チーフ。ご馳走様です」と口をもぐもぐと動かして言い、テーブルに目をやった芥澤が「あっ! アワビのうま煮がもう無い! 伊勢エビも! ズワイガニも! お前ら、少しは遠慮しろー!」と大仰に叫ぶ。
わいわいと賑やかな執務室で、田作りを食べた大貫がふと言った。
「……こんな平和な時間が、誰にも必要だ。世の中で暮らす一般の人々にも、我々にも……」
那智が「ああ。その通りだな」と同意し、他のチーフたちがうなずく。
窓から差し込む陽光に包まれて、インクルシオの中枢を担う6人の幹部は、短い休憩を楽しんだ。
午後10時。大阪府大阪市み空区。
蝶標本販売会社『パピリオM.A』は、海外から輸入した蝶の標本販売を専門に扱う会社である。
4階建ての雑居ビルの3、4階に事務所を構えており、1、2階は長く空き物件となっている為、建物内には『パピリオM.A』の関係者のみが出入りしていた。
窓のブラインドが下りた4階の社長室で、反人間組織『マルム』のリーダーの悪原真沙樹は、南米のコスタリカから輸入した“世界三大美蝶”の一つであるモルフォチョウの標本箱をデスクに置いた。
「……何やて!? 童子が、大阪に現れたんか!?」
「ああ。そうや。昨日、うちの構成員が至極区で目撃したらしいで」
『マルム』のNo.2であり、“関西最凶”の異名を持つ世良傑が、デスクの前に置かれた黒革製のソファに背を凭せて言う。
悪原と世良は、共に30歳のグラウカであった。
スーツに蝶ネクタイ姿の悪原は、ノートパソコンを操作し、フォルダに保存した画像を開く。
「……童子は、今は東京本部で新人対策官4人の指導担当をしとる。おそらく、正月休みで大阪に帰省したんやろう」
そう言って、悪原はインターネットのニュースサイトから拾った、事件現場の捜査をする「童子班」の5人の画像を睨んだ。
筋肉質な体躯に金縁メガネをかけた世良は、顔を歪ませた悪原を見やった。
「……大阪支部の連中にあっつい煮え湯を飲まされたんは、5年前の決起集会から今日まで、一日たりとも忘れたことはないわ。あの日以来、コソコソと地下に隠れ、イチから構成員を集めることを余儀なくされた。……童子。うちを壊滅状態に追い込み、その後にインクルシオNo.1の特別対策官に上り詰めたお前への恨みは絶大や。俺は、決して許さへんで……」
悪原は低く呻ると、美しい水色の蝶が入った標本箱に手を伸ばす。
その直後、ぐしゃりと箱が潰れる鈍い音が、夜の社長室に響いた。




