10・『インクルシオ・クリスマスバザー』
12月25日。東京都月白区。
小さな水音が響く『月白噴水公園』で、毎年恒例の『インクルシオ・クリスマスバザー』が開催された。
グラウカ支援施設を始めとする福祉施設・団体への寄付を目的としたバザーは、午前10時から午後3時まで行われ、近隣や遠方から多くの人が買い物に訪れる。
今年はインクルシオ東京本部に所属する70名の対策官が参加し、公園の中央広場に設置した長机で、各々の私物や手作り品を販売した。
「あ! あそこ、焼きそばの屋台があるじゃん! その隣にはクレープも!」
「あら。本当だわ。そう言えば、総務部からのメールに、食べ物の屋台も出るって書いてあったわね」
南班に所属する「童子班」の塩田渉が声をあげ、最上七葉が会場の一角を見やって返す。
鷹村哲が「いい匂いが漂ってきて、腹が減っちまうな」と腹部を摩り、雨瀬眞白が「うん。ちょっと困る……」と眉尻を下げた。
「公園の駐車場には、キッチンカーも何台か来とるようやで。ホットドッグとかタコスがあるらしいから、昼休憩ん時にみんなで買いに行こか」
黒のツナギ服を纏った特別対策官の童子将也が言い、高校生たちは「わ! 是非、行きたいです!」と湧き上がった。
「おーい。お前たち、出品物の売れ行きはどうだー?」
午後1時を少し回った時刻、「童子班」の面々が並んで立つ販売スペースに、同じく南班のベテラン対策官である薮内士郎が歩み寄り、その後ろから城野高之が「よっ」と顔を出した。
「今のところ順調です。俺の筋トレグッズも半分以上が売れました。童子さんのスカジャンなんか、バザー開始1分で瞬殺でしたよ」
鷹村が返答し、薮内が「おお。さすがインクルシオNo.1だな」と驚く。
城野が「俺は自作の詩を色紙に書いたんだけど、1枚も売れないよ〜」と自虐的に笑い、塩田が「……っ! 俺も、得意のポエムや俳句を出品すればよかった!」とハッと顔を上げた。
南班の対策官たちが和やかに話をしていると、ブラウンのステンカラーコートにウールのハットを被った人物が近付いた。
「君たち。クリスマスバザーの参加、ご苦労様」
「阿諏訪総長! お疲れ様です!」
重厚な声音の人物──インクルシオ総長の阿諏訪征一郎が笑みを向け、対策官たちが背筋を伸ばして挨拶をする。
阿諏訪の背後には、オフホワイトのダッフルコートを着た阿諏訪灰根がおり、物静かな表情で佇んでいた。
「総長。お嬢さんとご一緒だったんですか。何か買われたんですか?」
薮内が灰根に目をやって訊き、阿諏訪が手にした紙袋を持ち上げる。
「ああ。灰根には手作り品の手袋と髪留めを。私は骨董品の花器や絶版となった書籍を買わせてもらったよ。もうそろそろ自宅に帰るが、いい買い物ができた」
そう言って、阿諏訪は満足げに目を細め、童子のたこ焼き用のソースと最上の手編みの巾着を購入して、「それじゃあ」とその場を立ち去った。
ほどなくして、『月白噴水公園』を後にした阿諏訪と灰根は、大通り沿いの歩道からタクシーに乗車した。
後部座席に座り、凪いだ瞳で外を見ていた灰根が、不意に肩を揺らした。
片側二車線の道路の反対側を、一台の大型トレーラーが通り過ぎて行く。
「………………」
灰根はエンジン音を轟かせる車両をゆっくりと目で追い、桜色の唇を僅かに震わせた。
午後3時。
晴天の下で行われた『インクルシオ・クリスマスバザー』は、客足が途絶えることなく、盛況のうちに終了となった。
総務部の職員と出品者の対策官たちが、手分けをして撤収作業を開始する。
「いやー! よかった、よかった! 実家から持ってきた戦国時代の鎧兜が高値で売れたぞ! これで少しは寄付金の足しになっただろう!」
北班に所属する特別対策官の時任直輝が豪快に笑い、同じく北班の市来匡が「あれ、すごく立派でしたものね。僕も私物が殆ど売れてよかったですよ」とパイプ椅子を折り畳んで返した。
「藤丸君。湯本君。二人はどうだった?」
東班に所属する特別対策官の芦花詩織が微笑んで訊ねると、同じく東班の藤丸遼が「出品したスニーカーは、全部売れました」とやや目を逸らして答え、湯本広大が「俺もほぼ完売です。また来年用にアニメグッズを収集しなくちゃ」と笑った。
「あー! 何とか無事に終わったな! すげー楽しかった!」
「そうね。私が作った小物を、多くのお客さんが買ってくれて嬉しかったわ」
「……僕はTシャツは売れたけど、接客がぎこちなかったから、そこは反省だ」
「俺らは非番だから、この後は寮で休めるな。童子さんは、どうですか?」
塩田、最上、雨瀬、鷹村がゴミ袋を持って口々に言い、童子が顔を向ける。
「俺はすぐに捜査に出るわ。そんで、夜間は巡回任務や」
「ええ〜。少しくらいは、休んだ方がいいんじゃないっスか〜?」
童子の返答に、塩田が心配そうな声を漏らし、他の3人がこくこくとうなずく。
その時、中央広場を囲む植樹の影から、一人の男性が走ってきた。
「イ、インクルシオ対策官のみなさん!! た、大変です……っ!!」
バンダナにエプロン姿の男性を見て、鷹村が「あの人、確か、タコスのキッチンカーの……」と怪訝に眉を寄せる。
近くにいた時任が「どうしました!?」と走り寄ると、男性は青い顔で叫んだ。
「こ、公園の駐車場に、昼過ぎから大きなトレーラーが停まっていて……! さっき、そのトレーラーの側を通ったら、リヤドアの下から、血が……!」
『月白噴水公園』の西側に位置する駐車場は、俄に騒然となった。
無人の大型トレーラーは、車体のウィングサイドパネルが大きく開かれ、その内部を見た対策官たちが驚愕に目を瞠った。
「……これは、反人間組織『ワスターレ』の構成員たちね」
「ええ。リーダーの八木終太郎とNo.2の田久保豪を始め、おそらく構成員全員の亡骸がありますね」
トレーラーの床板に無造作に積まれた死体を見やって、芦花と時任が言う。
「このトレーラーは、愛知県瀬戸市の防犯カメラに映っとった車両や」
童子が低い声で指摘すると、後方に立つ雨瀬のスマホが鳴った。
雨瀬は非通知の表示を見て、胸騒ぎを感じつつ画面をタップする。
『眞白! 哲! メリークリスマス!』
「……っ!!!」
受話口から聞こえた明るい声は、反人間組織『キルクルス』のリーダーの乙黒阿鼻のもので、雨瀬の隣にいた鷹村が咄嗟にスマホを奪い取った。
「阿鼻!!! てめぇ!!! 一体、何をしやがった!!!」
『うわ。いきなり怒鳴らないでよ、哲。インクルシオで頑張っている二人に、僕からの心を込めたクリスマスプレゼントだよ。だから、もっと喜んで欲しいな』
乙黒の言葉に、鷹村は「ふざけたことを……!!!」と目を剥く。
『まぁまぁ。それより、ちょっと遠目だけど大通りの方を見てよ』
乙黒が宥めるように言い、雨瀬と鷹村が植樹の向こうの大通りを見ると、路肩に駐車した黒色のバンが目に入った。
開いたサンルーフから、サンタクロースの衣装を着た乙黒が手を振る。
バンの運転席には『キルクルス』のメンバーの獅戸安悟、助手席には元インクルシオNo.1の特別対策官の鳴神冬真の姿があった。
「……キ、『キルクルス』だっ!!! 確保しろっ!!!」
3人に気付いた対策官たちが一斉に駆け出す中、童子と鳴神の視線が合う。
バンはタイヤを空転させて急発進し、乙黒は『じゃあねー!』と告げて通話を切った。
「巡回中の全対策官に緊急連絡を入れろ!! バンの特徴を伝えて、ジープで追わせるんだ!!」
時任が大声で指示を出し、市来が「はい!」とスマホを取り出した。
童子は遠ざかるバンを険しい眼差しで見やり、拳をきつく握る。
大通りの歩道に走り着いた雨瀬と鷹村は、激しく息を切らして、まっすぐに伸びる道路の先を睨んだ。




