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グラウカ  作者: 日下アラタ
STORY:21
175/231

08・『腕切りテスト』

 午後8時。東京都月白げっぱく区。

 インクルシオ東京本部の南班に所属する新人対策官の雨瀬眞白と鷹村哲は、インクルシオ寮の3階の『306号室』で向かい合っていた。

 カーテンが細く開いた窓の外には、街に溢れるきらびやかなイルミネーションが見える。

 部屋の主である鷹村は、テーブルに置いた二つのマグカップに目をやり、すでに冷め切った琥珀色の液体を一気に喉に流し込んだ。

 ──1時間ほど前、蘇芳すおう区から寮に帰った雨瀬と鷹村は、人目を避けるように足早に室内に入ると、互いに詰めていた息を吐き出した。

 鷹村がホットコーヒーを淹れ、それを一口だけ飲んだ雨瀬は、インターネットサイトの『都市伝説・You』のオフ会に参加したこと、管理人の“遊”がグラウカ研究機関『アルカ』の研究員であること、グラウカの“特異体”の実在と『腕切りテスト』という“特異体”の判定方法があることを、遊ノ木から口外無用の条件で聞いたと明かした。

「……色々な情報があり過ぎて、まだ頭ん中が整理しきれてないけど……。そもそも、お前は何で自分が“特異体”かもしれないって思ったんだ?」

 空になったマグカップを置いた鷹村が、重々しく口を開く。

 雨瀬は癖のついた白髪を揺らし、顔をうつむけて答えた。

「……今までに何度か、傷の治りがやけに速いと感じることがあったんだ。それで、最初は何となく『都市伝説・You』を見たんだけど、サイト内の記事に「“特異体”は傷の治りが速い」と書かれていて、段々と不安になって……」

「そんなの、同じグラウカでも個人差があるだろう? 7月の水間洸一郎みずまこういちろうの事件の時、被害者に『アンゲルス』の分泌量が極端に少ないグラウカがいたじゃないか。眞白はその反対で、『アンゲルス』の分泌量が通常よりも多いから、傷が速く治るだけだ」

 鷹村が早口で断定するように言い、雨瀬は「で、でも……」と口ごもる。

「それに、遊ノ木って人が嘘をついている可能性だってある。都市伝説サイトを運営しているのが『アルカ』の研究員ってのも、本当かどうか疑わしいぜ」

「……だ、だけど、遊ノ木さんは『アルカ』のIDカードを持っていた」

「あのな。それ自体が偽造かもしれないだろ。仮に『アルカ』に遊ノ木秀臣って人が在籍していても、眞白が会った都市伝説サイトの男と同一人物とは限らない。たまたま顔が似ているから、勝手に名前をかたったとも考えられる」

「……もし、そうだとしたら、何の為に……?」

「……それは、俺にもわからねぇよ……」

 雨瀬が質問し、鷹村は語気を弱めてそっぽを向いた。

 エアコンの暖房が効いた部屋で、雨瀬はマグカップの水面を見つめて言う。

「……哲。僕は、遊ノ木さんが嘘をついているとは思えない。彼が『アルカ』にいるかどうかは実際に会いに行けばわかるし、わざわざ正体を偽って得られるメリットも思い付かない。それに、何より、遊ノ木さんが言っていた“特異体”の判別方法の内容が……」

 雨瀬の言葉が途中で止まり、鷹村が視線を戻した。

「……『腕切りテスト』だっけ? それの詳細はまだ聞いてなかったな。まぁ、悪趣味な名称から大体の想像はつくけど。で、何分以内に再生したら“特異体”なんだ?」

 鷹村が単刀直入に訊くと、雨瀬は眉間に刻んだ皺を深くした。

「……テストは、グラウカの腕を肘の部分で切断するそうなんだ。そこから完全再生するまでの時間は、一般的なグラウカならおよそ8分。“特異体”は1分」

「……え!? 1分!? いやいや、いくら何でもそれは無理だろ。俺はインクルシオ対策官として、これまでに多くの反人間組織のグラウカと交戦した。その経験の中で様々な傷の再生も見てきたけど、腕を斬り落として1分で完全再生するなんてあり得ない。まさに都市伝説級と言える速さだぞ!?」

「……僕は、あま区の遊園地『カエルム・アルブス』で、“暴殺”集団『ケレブルム』の前薗律基に、左腕を肘から斬り落とされた。あの時、左腕の完全再生にかかった時間は……1分足らずだった」

「!!!」

 雨瀬の硬い表情の告白に、鷹村は大きく目を見開く。

「そ、それは、お前の勘違いだ。前薗に腕を斬られた衝撃で、一時的に時間の感覚がおかしくなったんだ。きっと、そうに違いな……」

「──だったら、哲が斬って確かめてよっ!!!」

 鷹村が引きった笑みを浮かべて言い、雨瀬が身を乗り出してさえぎった。

 雨瀬が任務以外で声を荒げることはこれが初めてで、鷹村はその悲痛で真剣な叫びに、ごくりと唾を飲み込んだ。

 暖かな空気に包まれた部屋に、重たい静寂が降りる。

 やがて、鷹村は真剣な眼差しを向けて、雨瀬に低く言った。

「……眞白。痛みに耐える覚悟はあるんだな?」


 午後11時。東京都不言いわぬ区。

 閉園済みの児童養護施設「むささび園」の敷地内に、二つの影が侵入した。

 コンクリートの塀を越え、雑草が伸びた庭を横切り、鍵が壊れた裏口のドアを開けてするりと屋内に忍び込む。

「……こんな形でここに来るとはな。園長先生から「むささび園」を閉めるって連絡をもらった時に、埼玉のインクルシオ訓練施設にいた俺らが挨拶に来て以来か」

「……うん」

 ビニール袋を手に下げた鷹村が小声で言い、雨瀬がうなずいた。

 二人は幼少期から育った“実家”の景色を懐かしむ余裕はなく、真っ暗な廊下を進んで台所に入ると、ビニール袋の中身を黙々と取り出した。

 道中のディスカウントストアで購入した数枚のレジャーシートを広げ、テーブルの上と床に敷く。

「……本当はインクルシオの武器がいいけど、私用では持ち出せないからな」

 そう言って、鷹村は家庭用の包丁を手に握った。

 上着を脱いでTシャツ姿になった雨瀬が、タオルを口に入れて噛み、テーブルの上に右腕を差し出す。

 鷹村は自身の気持ちが揺らがないうちに、短く息を吐いて、柔らかな肌に刃を当てた。


 それから5分後。

 薄暗い天井にもうもうと上がる白い蒸気を、鷹村は力なく見上げた。

 血に染まったレジャーシートが敷かれたテーブルの足元には、雨瀬がぐったりとした様子で座り込んでいる。

 包丁で力任せに切断した腕は、肉と骨が崩れて蒸発し、跡形もなく消えていた。

「……42秒だ」

 鷹村は宙に向かって小さく呟き、石膏のように固まっていた体をようやく動かして、雨瀬の前に膝をついた。

 雨瀬は汗だくの顔を上げ、虚ろな目で鷹村を見やった。

「……その昔、グラウカの“特異体”は、多くの非道な人体実験をされたそうだな。都市伝説にはあまり興味がない俺でも、それくらいの噂話は知っている」

「………………」

「……だけど、大丈夫だ。これから先、傷の治りの速さを誰かに指摘されても、そういう体質だと言えば誤魔化せる。それこそ、脳下垂体を破壊されない限り、お前が“特異体”だとバレることは絶対にない」

「……哲……」

「それと、もう『都市伝説・You』のサイトは見に行かず、遊ノ木さんとも会わない方がいい。今まで通り、インクルシオ対策官として、日々の任務に励もうぜ」

 鷹村は優しく微笑み、雨瀬の再生した右腕を手に取る。

 細い体を支えてゆっくりと立ち上がると、囁くように言葉を付け加えた。

「……今夜のことは、二人だけの秘密だ」


 午後11時半。

 反人間組織『キルクルス』のリーダーの乙黒阿鼻は、「むささび園」の地下の物置部屋を出て1階に上がった。

 音を立てずに廊下を歩き、そっと台所の中を覗いたが、暗い空間には誰もいない。

「……なんだぁ。下で寝ていたら、物音と話し声が聞こえたから泥棒が入ったのかと思った。だけど、ここには何も盗む物がないから、諦めて出て行ったのかな?」

 乙黒は肩の力を抜き、室内を見回して独りごちる。

 不意に足元から冷気が這い上がり、「寒っ」と身を震わせると、のんびりと地下に戻っていった。




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