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グラウカ  作者: 日下アラタ
STORY:20
166/239

09・復讐と炎

 午後11時半。東京都すみれ区。

 2ヶ月前に経営会社が倒産した印刷工場は、幅のある河川に面して建っている。

 水のせせらぎが聞こえる事務棟の1階のオフィスで、インクルシオ東京本部の南班に所属する新人対策官の雨瀬眞白は、こめかみに一筋の汗を垂らした。

 雨瀬の眼前に立つ、赤色のダウンコートを着た青年──反人間組織『イマゴ』の幹部の一人である玉井礼央が、嗜虐的な笑みを浮かべて言う。

「ふふ。君のお仲間たちは、火を放った倉庫に閉じ込めた。助けに行きたければ、ここで僕を倒しなよ。だけど、外側も内側も紙の資材が山積みになった倉庫は、あっという間に燃え尽きる。万が一、君が勝ったとしても、駆け付ける前にあの人間共は全滅するだろうけどね」

「……貴方が反人間組織に入ったのは、こないだ聞いたいじめが原因ですか」

 雨瀬はバタフライナイフを開き、臨戦態勢で低く言った。

 礼央の左目の下のほくろがぴくりと反応し、雨瀬は前を睨んで言葉を続ける。

「小学生の頃の貴方に酷い仕打ちをした人間は、心のない悪人です。しかし、だからと言って、人間全員が悪人というわけではありません。人間への復讐心にとらわれて進むべき“道”を誤るよりも、心のある人間と出会い、交流し、分かり合って、貴方の過去の忌わしい記憶を癒すべきです」

「……な、何を、知った風な口を……!」

 雨瀬と対峙した礼央は、眉を吊り上げて、わなわなと唇を震わせた。

 すると、薄暗いオフィスのドアが開き、礼央の5人の部下が走り込んできた。

「!」

 雨瀬が顔を上げると同時に、部下の一人が床を蹴って飛びかかり、別の部下が「礼央さん! これ、使って下さい!」と長さのある鉄棒を投げ渡す。

 雨瀬は咄嗟とっさにガードの腕を上げたが、空中に跳躍した紫色のブルゾンの男と激しく衝突し、もつれ合って背中から転倒した。

「礼央さん! 今です! 俺がこいつを押さえておきますんで、その間にや……」

 雨瀬に覆い被さった男の声が、ゴキャッという鈍い音と共に途中で止まる。

 仰向けになった雨瀬が横に目をやると、紫色のブルゾンの男は、眉間から鉄棒を突き出して至近距離で息絶えていた。

「ああ。雨瀬君。身をよじっちゃダメだよ。せっかくのチャンスだったのに」

「……僕を殺すのに、仲間ごと……!!!」

 グラウカの弱点である脳下垂体を破壊された男の下で、雨瀬が目をく。

 礼央は雨瀬の怒りには取り合わず、右手に持った鉄棒を引き抜き、そのまま数度、事切れた部下と雨瀬の体をめがけて垂直に振り下ろした。

「……ぐ、あああぁぁぁああぁぁあぁぁっ!!!!!」

 礼央はザクザクと鉄棒を動かし、体中を貫かれた雨瀬が絶叫を上げる。

 オフィスの天井に白い蒸気がもうもうと上がり、礼央は満足げに微笑んだ。

「そうそう。さっきの君の話だけど、僕は賛同できないよ。だって、時間をかけて心のある人間を探すより、手当たり次第に人間を殺す方が、ずっと早くて手軽な“癒し”になるだろう?」

 礼央のくらく光る双眸が、雨瀬を見下ろす。

 雨瀬は苛烈な痛みに意識を飛ばしそうになりながら、脂汗の浮く顔を上向かせ、窓の外に揺らめく炎を見やった。


 同刻。

 南班に所属する新人対策官の鷹村哲、塩田渉、最上七葉の3人は、大きな炎に包まれた倉庫の中で戦慄した。

「……クソっ! 外から鍵が掛けられているせいで、扉がビクともしねぇっ!」

 倉庫の唯一の出入り口である鉄製の扉の前で、鷹村が歯噛みをする。

 長方形の建物の側面に設置された4つの窓は、急激な温度変化によってガラスが割れ、外側で燃え盛る炎が逆流するように侵入していた。

「ヤ、ヤベーよ! このままじゃ、倉庫ん中もすぐに燃えちまう!」

「二人共! 煙を吸い込んじゃダメよ! ハンカチを鼻と口に当てて!」

 塩田が青ざめた顔で周囲を見回し、最上が鋭い声をあげて指示をする。

 まるで生き物のようにうごめく炎は、倉庫内に積まれた印刷物や段ボールをべろりと舐め上げ、勢いを増して3人に迫った。

「みんな! 体当たりをするぞ! この扉を、力尽くでこじ開けるんだ!」

 鷹村が振り向いて言い、塩田と最上が「ああ! それしかねー!」「わかったわ!」とすぐさまに応じる。

 高校生3人は身を低くし、熱を帯びた扉に一斉にタックルを仕掛けた。

 しかし、渾身の力を込めた立て続けの猛攻は、2回、3回と跳ね返され、20回目を数えた時に炎の舌先が3人の足元を掠めた。

「……くっ……もう、力が……! いや、まだ諦めてたまるか……!」

 倉庫内を蹂躙する高温の熱気にふらつきながら、鷹村、塩田、最上は再度体当たりの姿勢をとる。

 酸素不足で力の入らない足を、引きるように前に動かした──その時。

 突如として耳をつんざく轟音が響き、倉庫の左奥の窓から750ccのオートバイが飛び込んできた。

 オートバイは窓と壁の一部を粉砕して穴を開け、横滑りをして停止する。

 そこに現れた、虎の刺繍が入ったスカジャンを着た人物──南班に所属する特別対策官の童子将也の姿に、高校生たちは霞んだ目をみはって叫んだ。

「──ど、童子さんっ!!!!」

「互いの状況説明は後や! 倉庫が焼け崩れる前に、外に出るで!」

 童子は怒鳴るように言い、オートバイで開けた穴に目をやる。

 高校生3人はわずかに残った体力を振り絞り、高く上がる炎の間隙かんげきをかいくぐって、冷たい夜風が吹き抜ける外に転がり出た。

「……童子さん! 眞白は俺らとは違う場所に……! ゲホッ! ゴホッ!」

 いち早く地面から立ち上がった鷹村が必死の様相で伝え、上体を折り曲げて咳き込む。

 童子は鷹村に近寄り、熱の残る背中をさすった。

「雨瀬の方には、真伏さんが行っとる。俺もすぐにそっちに向かう。お前らは心配せんでええから、ここで休んでおけ」

 そう言うと、童子は手を離し、濃い夜陰やいんの中に走り出す。

 高校生3人は呼吸を荒く乱したまま、虎のスカジャンが消えゆく先を見やった。


 事務机と棚が撤去されたオフィスで、礼央は口角を上げた。

 床に横たわった雨瀬の眉間に狙いを定め、血に染まった鉄棒を振り上げる。

 すると、事務棟の入り口のドアがバタンと開き、そこから低く通る声が聞こえた。

「雨瀬! どこにいる! 返事をしろ!」

「……!」

 事務棟に姿を現した人物──西班に所属する特別対策官の真伏隼人は、1階の会議室、トイレ、給湯室を順に覗き、通路の突き当たりにあるオフィスの前に立つ。

 クリーム色のドアを開けると、雨瀬と紫色のブルゾンを着た男が、がらんとした室内で折り重なって倒れている光景が目に入った。

「……雨瀬! 無事か!? これは、一体どういう状況だ!?」

 真伏はオフィスに足を踏み入れ、雨瀬の上から男の亡骸をずらして訊く。

 白色のジップアップパーカーを血塗ちまみれにした雨瀬は、真伏を見上げて掠れた声を出した。

「……ま、真伏さん……! 『イマゴ』の幹部の男と、部下4人が、窓から逃げました……! 幹部の男の特徴は、赤色のダウンコートと左目の下の泣きぼくろです……! 僕は大丈夫ですから、作戦チームのみなさんと追って下さい……!」

 雨瀬の懸命の報告を聞いた真伏は、短く沈黙して答えた。

「作戦チームを乗せたジープは、まだここには到着していない。『イマゴ』の計略により、道路の進行を塞がれた。今、この印刷工場にいるのは、一般人のオートバイに乗り換えた俺と童子だけだ」

「……!」

「それに、窓から逃げた奴らはとうに闇に散っている。今から追って拘束するのは無理だ」

「……そ、そんな……!」

 真伏の落ち着いた判断に、雨瀬は声を詰まらせる。

 故意に礼央に声を聞かせ、童子が来る前に逃走の時間を与えた真伏は、けんのない穏やかな眼差しを向けて言った。

「今回はここまでだ。結果は残念だが、お前たち4人はよくやった」

「…………」

 真伏は腕を伸ばし、雨瀬の体を抱き起こす。

 やがて、消防車の甲高いサイレンと、数台のジープのエンジン音が河川沿いに響き、『ゲームセンターアレア・すみれ店』のおとり捜査は、終幕を迎えた。




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