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グラウカ  作者: 日下アラタ
STORY:20
162/239

05・反省と内心

 午後7時半。東京都乙女おとめ区。

 高い塀に四方を囲まれたグラウカ収監施設『クストス』は、反人間組織の構成員や重犯罪を犯したグラウカを収容する施設である。

 思想犯として10年前にインクルシオに拘束された韮江光彦にらえみつひこは、『クストス』の食堂で夕食を終えた後、図書室にふらりと足を向けた。

 入り口付近にあるマガジンラックから新聞紙を取り、静かな室内を進んで、6人掛けの机の椅子に座る。

 韮江は新聞紙を広げると、一つの記事の見出しに目を細めた。

(……“反人間組織『イマゴ』の凶行により10代の若者6人が犠牲に・インクルシオは捜査態勢を強化”か。よしよし。俺の教え子は頑張っているな)

 オレンジ色の舎房衣姿の韮江は満足げに微笑み、ゆったりと足を組む。

(……俺が側についていなくとも、潤とエイジが全国の教え子たちを導いてくれる。グラウカと人間の共存なんていう“人間に都合のいい世の中”ではなく、グラウカが人間を完全なる支配下に置く“あるべき世の中”に向かって邁進まいしんするんだ。あの二人がいれば、俺の思想は死なない。グラウカにとっての理想郷とも言える世界の実現を、俺はこの塀の中で優雅に待つだけだ)

 韮江は幸福な思考を巡らし、『クストス』の判が押された新聞紙を閉じた。

 図書室の冷えた空気に小さく身震いをし、レクリエーション室に移動してホットコーヒーを飲もうと椅子から立ち上がる。

 すると、急にめまいが襲い、両足がもつれた。

「……うわっ!」

「……おっと! 大丈夫ですか?」

 バランスを失った韮江の体を、横から伸びた腕が咄嗟とっさに支える。

 韮江が顔を上げると、同じ舎房衣を着た収監者──反人間組織『コルニクス』の元構成員である吉窪由人よしくぼよしとが目の前に立っていた。

 吉窪の背後には、釣り雑誌を持った同組織のリーダーの烏野瑛士からすのえいしの姿がある。

 韮江はすぐに体勢を戻し、白髪しらがの生え始めた頭髪を掻いた。

「いやぁ。転びそうになったところを、助けてくれてありがとう。ここ最近、何だか体の調子が悪くてね。もう12月も半ばだし、風邪でも引いたかな?」

 そう言って、韮江は「本当にありがとう」と一礼をして図書室を出ていく。

 吉窪と烏野は、思想犯の背中を見送ると、気を取り直して机の椅子を引いた。

 

 同刻。東京都月白げっぱく区。

 インクルシオ東京本部の7階にある執務室で、執務机についた本部長の那智明は、端正な顔を険しくゆがめた。

 シーリングライトの光が照らす室内には、那智が呼び出した4人の人物──南班チーフの大貫武士、西班チーフの路木怜司、南班に所属する特別対策官の童子将也、西班に所属する特別対策官の真伏隼人が立っている。

 今から10分ほど前、那智は7階に勤務する事務職員からの報告を受け、休憩スペースでの童子と真伏の一悶着を知った。

 那智は前方を見やり、手を後ろに組んだ二人の特別対策官に訊く。

「真伏。童子。お前たちが揉めた原因は何だ?」

「………………」

「互いの意見の相違です」

 那智の質問に、真伏は沈黙し、童子が短く返答した。

「ならば、きちんと言葉で話し合え。力任せに取っ組み合いをしても、何の解決にもならない」

 那智は厳しい声音で叱責し、言葉を続けた。

「お前たち二人は、特別対策官という立場だ。『イマゴ』の殺人事件の捜査に注力するべき時に、このような騒ぎを起こしている場合ではない。今回は口頭注意にとどめるが、もっと節度のある行動を心掛け、特別対策官としての責務を果たすことに集中しろ。……俺からは、以上だ」

「はい。申し訳ありませんでした」

 童子と真伏は揃って頭を下げ、心配そうに見守っていた大貫が息を吐く。

 まもなく4人は那智の執務室を退室し、通路に出た。

 大貫と童子はエレベーターホールに向かって歩き出し、路木は真伏の横を通り過ぎる間際に、ぼそりと口を開いた。

「真伏。お前は何かにつけて、童子を目のかたきにしているな。一体、何がそんなに気に入らないのか、理解に苦しむ」

「……ご迷惑をおかけして、すみませんでした。今回の件は深く反省します」

 真伏は硬い表情で謝罪したが、路木は「ああ。そうしてくれ」と平坦な声で返して立ち去った。

 ひと気のなくなった通路で、真伏は内心で密やかに思う。

(……俺が童子を気に入らないのは、単純な理由ですよ。路木チーフ……父さんが、インクルシオNo.1である童子を認めているのがわかるからです)

 真伏はその場に佇み、足元に視線を落とした。

(……だけど、俺のことは、対策官としても、息子としても……)

 心の底に鉛のような重たいおりが沈む。

 真伏は左右に勢いよく頭を振ると、顔を上げ、ぴんと背筋を伸ばして足を踏み出した。


 エレベーターで5階に戻った大貫は、自分の執務室に入り、執務机の脇の棚から急須と湯呑みを取り出した。

 室内には一緒に戻ってきた童子の他に、南班に所属する「童子班」の高校生4人がいる。

 高校生たちはインクルシオ寮の食堂で夕食を取っていたが、一向に姿を現さない童子にれてメッセージを送り、今回の顛末を知らされて急いでやってきた。

 大貫、童子、鷹村哲、最上七葉は革張りのソファセットに腰掛け、雨瀬眞白と塩田渉はパイプ椅子を出して座っている。

 大貫が振る舞った番茶を一口飲んで、塩田が大きく息をついた。

「……いやぁ。童子さんと真伏さんが喧嘩なんて、マジで驚いたっスよ」

「……ほんとにな。思わず、メシを喉に詰まらせちまった」

 鷹村が湯呑みを持って言い、最上が「私も、お箸を床に落としてしまったわ」とうなずく。

「……お二人が揉めた原因は、もしかして、僕らのおとり捜査の件で……」

 雨瀬がうかがうように視線を向けると、鷹村、塩田、最上が注目した。

 童子は手にした湯呑みをテーブルに置き、高校生たちの顔を見やって「心配させて、すまんかったな」と一言謝る。

 そして、隣に座る大貫に向き直り、改まった声で言った。

「大貫チーフ。今回の件は、ほんまにすみませんでした。真伏さんと揉めたんは、こいつらが察しとる通り、すみれ区のおとり捜査に関する要望を伝えたからです。その話の中で、俺が少し言い過ぎてしもて、事を大きくしました」

 童子が真摯に謝罪し、大貫が温かな番茶を音を立てて啜る。

 大貫は両手で包んだ湯呑みのふちを見つめ、穏やかな声で返した。

「……童子。お前は考えなしに他人を怒らせるような奴じゃない。“言い過ぎてしまった”のは、そこまで踏み込む必要があると判断したからだろう。だが、真伏は優秀である反面、難しい性格をしている。それは、上司であり父親である路木との複雑な関係が要因にあるんだろうが……。それと、これは俺の個人的な意見だが、真伏は自分の功績に対して異常とも言える執着心を抱いている。その強い思いが、いつか命取りにならなければいいが……」

「………………」

 大貫が小さく漏らした言葉に、室内に不穏な空気が流れる。

 しんと黙った「童子班」の5人を見て、大貫は慌てて明るい声で言った。

「……い、いや。縁起でもない話はやめよう。それより、『ゲームセンターアレア・すみれ店』のおとり捜査は明日からだよな? 多少の揉め事があったとしても、『イマゴ』を壊滅したいという思いは皆同じだ。捜査指揮をる真伏や、西班の対策官たちと共に、精一杯に頑張ってくれ」

「──はい!!!」

 大貫が笑顔で激励し、夜の執務室に大きな返事が響く。

 黒のツナギ服を纏った「童子班」の5人は、それぞれに表情を引き締めて、一斉にソファから立ち上がった。




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