10・情
午前10時半。東京都月白区。
インクルシオ東京本部の7階にある執務室で、黒革製のソファに腰掛けた本部長の那智明は、スピーカー状態にしたスマホをテーブルに置いた。
那智の向かいには、インクルシオの黒のジャンパーを羽織った北班チーフの芥澤丈一と、南班チーフの大貫武士が座っている。
インクルシオ大阪支部の支部長である小鳥大徳が、スマホの向こうから快活な声を発した。
『いやぁー! 鳥の子島に出張捜査に行った10人の対策官は、ほんまにようやってくれましたな! みんな、大手柄や!』
「ええ。こちらも何かしらの成果を期待していましたが、有用な情報や手がかりを掴んでくるどころか、まさか『ミレ・ベルム』を壊滅するとは。これ以上ない上々の結果に、正直驚いています」
小鳥より1歳年下の那智が、端正な顔を緩めて敬語で返す。
ノーネクタイ姿の芥澤が、スマホを見やって訊ねた。
「小鳥さんよ。『ミレ・ベルム』とつるんでた恐呂血組の方はどうなってんだ?」
『ああ。それやけどな。鳥の子島の廃教会で麻薬が見つかったとの報告を受けてすぐに、至極区にある組事務所に対策官を行かせた。組長の蛇川巌と若頭の蛇川了を任意同行で引っ張って、うちの支部で取り調べをする予定や。反人間組織と共謀しての麻薬密売・殺人となれば、罪はぐんと重うなる。これで、恐呂血組も終わりやな』
小鳥の返答に、芥澤が「それなら、安心だな」と言ってニヤリと笑う。
大貫がホットコーヒーの入った紙コップを両手で包んで、那智に質問した。
「那智本部長。今回、倒した人数も拘束した人数もかなり多いですが、鳥の子島の事後処理はどうしますか?」
「それに関しては、大阪支部と広島支部に人員の派遣を頼んだ。宇和島港には、すでに2艘の高速船を手配済みだ。現地には、広島支部の対策官の方が1時間ほど早く着く予定となっている」
那智が顔を向けて回答すると、小鳥が可笑しそうに口を挟んだ。
『はは。鳥の子島に行くうちの対策官らは、「久しぶりに将也に会える!」て言うて、めっちゃ喜んどったわ。まるで将也との再会が一番の目的みたいに、ウキウキと準備しとったで』
「あー。疋田以外は、童子の“期限付きの異動”を知らないんだもんな。そりゃあ、インクルシオNo.1の元同僚に会えるのはクソ嬉しいよなぁ」
芥澤がソファに背を凭せ、コーヒーを啜って言う。
那智はゆっくりと身を屈め、自分のコーヒーに手を伸ばした。
「……童子の“期限付きの異動”を極秘扱いにしたのは、雨瀬のインクルシオ加入をよりスムーズに進める為だった。当時、雨瀬……グラウカを採用することに拒否反応を示していた反対派も、童子が側について監視するならと渋々と納得した。その後の雨瀬の献身的な活躍の数々を見れば、もはや誰も否は言えないだろう。来年、童子が大阪支部に戻っても、とりあえずは安心だ」
「おそらく、童子はそういうことも考えて、雨瀬たちを積極的に突入や摘発に連れてってるんだろうな。自分が東京本部から離れても、どこからも文句や疑念の声が出ないようにと」
那智の言葉に芥澤が返し、小鳥が『うんうん。その通りやな』と言う。
大貫は手にしたコーヒーを一口飲み、やや遅れて、「……そうですね」と小さな笑顔でうなずいた。
愛媛県宇和島市鳥の子島。
午後3時を少し回った時刻、ひらがなの『し』の字型をした自然豊かな離島に、複数のワークブーツの音が響いた。
特別運行の高速船で鳥の子島に到着したインクルシオ広島支部の対策官が、反人間組織『ミレ・ベルム』との交戦の跡が残る島内を忙しく動き回る。
『ミレ・ベルム』の110人の構成員は殆どが死亡し、リーダーの戦場勝二とNo.2の依田尚以外は、数えるほどの人数が残ったのみであった。
また、武器を捨てて投降した暴力団組織恐呂血組の組員40人は、港付近にあるみかん出荷用の倉庫に集められ、船による移送を大人しく待っていた。
黒のツナギ服を纏った対策官たちが行き来する港に、大きな声があがった。
「将也ぁー! やっと一息ついたから言わしてもらうけど、俺、交戦ん時にナイフで切られて怪我したんやでー! ほら、腕も、肩も、ケツもー!」
「あ。ほんまですね。手当てはちゃんとしましたか?」
インクルシオ大阪支部の「串かつ班」に所属する増元完司が、インクルシオ東京本部の南班に所属する特別対策官の童子将也に走り寄り、体を指差して訴える。
「“ほんまですね”やないわ! お前、俺には傷一つ付けさせませんて、カッコよう言うとったやないか! それやのに、敵に前後左右からプスプス刺されてびっくりしたわ!」
「いや。完司さんの戦闘の状況は気にしてましたけど、命に関わるような危ない場面はなかったんで、行かへんでもええかなと思て。少し切ったくらいは、傷のうちに入りませんよ」
「お前、ほんま昔からそーゆー奴やったよな! この、可愛くて憎らしい男め!」
増元は童子の首に腕を回してヘッドロックを掛け、無邪気に笑った。
「……完司さん。あと30分くらいで、うちの支部の対策官が到着します。将也さんと遊んどるところを見られたら、怒られますよ」
増元と同じ大阪支部の「串かつ班」の鈴守小夏が、後方から顔を出して言い、増元は「遊んでんとちゃうわ! じゃれとんねん!」と返した。
「えー。それって、どっちも同じやないですか。いつも私には、任務には真面目に取り組めて口うるさいクセにぃ」
「ええねん。少しくらいは。将也とは、また東京と大阪で離れてしまうんやから」
増元が不意に小さく言い、鈴守がぴくりと肩を揺らす。
増元は童子から手を離すと、傍らに立つ、東京本部の南班の雨瀬眞白、鷹村哲、塩田渉、最上七葉に目を向けた。
「それにしても、君らは大したもんやなぁ。フツー、50人の敵に囲まれたらビビるやろ。せやけど、みんな臆することなく果敢に戦った。さすが、将也の教え子や」
「いえ、そんな……。実は以前、栃木県の廃旅館で40人近くに囲まれたことがあって……。その時は焦るばかりで何も出来なかったんですが、あの経験をしたおかげで、大人数が相手でも多少肝が据わったというか……」
10月に行われた強化合宿での反人間組織『デウス』との交戦を思い出しながら、鷹村が頭を掻く。
「そうか。君らは新人ながら、タフな経験を積んどるんやな。そういう奴らは、きっと強なるで。これからも将也と共に、東京本部で頑張ってや」
頭髪に“元ヤン”の剃り込みが入った増元がニカリと笑い、鈴守が「……私も、あんたらには負けへんで。大阪支部で、もっと頑張るから」とぼそりと呟いた。
二人の双眸に一抹の寂しさを感じ取った高校生4人は、複雑な心境を抱きつつ、「はい! ありがとうございます!」と礼を言う。
その様子を黙って見ていた童子に、大阪支部の「串かつ班」に所属する特別対策官の疋田進之介が、そっと近付いて声をかけた。
「俺は、頼まれても指導担当はやりたないわ。思てた以上に“情”が移ると大変や」
疋田の密やかな囁きに、童子は黙ったまま視線を下げる。
その時、塩田が「……あ、あああーっ!!!!」と唐突に大声を出した。
「き、期末テストの勉強すんの、すっかり忘れてたーっ!!!」
「……っ!!!!」
塩田の叫びを聞いた鷹村、雨瀬、最上が、みるみるうちに青ざめる。
鈴守が「え? もうそんな時期やったっけ?」と呑気に首を傾げ、増元が「アホゥ! 学校のスケジュールくらい覚えとれや!」と突っ込んだ。
「お! 大阪支部の対策官を乗せた船が来たぞ!」
すると、東京本部の北班に所属する特別対策官の時任直輝が海を見やって言い、同じく北班の市来匡が「予定よりも早かったですね」と額に手を翳した。
「ほな、みんなで停泊場まで迎えに行こか!」
増元が勢いよく地面を蹴り、鈴守が「完司さん! 待って下さいよー!」と後を追いかける。
鳥の子島の出張捜査で力を合わせた“東京組”と“大阪組”の対策官たちは、揃いの黒のジャンパーを揺らして、潮の香りが漂う道を歩き出した。
<STORY:19 END>




