04・教会と昔話
午前8時。愛媛県宇和島市鳥の子島。
ひらがなの『し』の字型をした自然豊かな離島に、爽やかな朝日が照らす。
インクルシオ東京本部から出張捜査にやってきた7人の対策官は、宿泊する民宿で朝食を取った後、私服の上に黒のジャンパーを羽織り、それぞれ武器を携帯してこの日の捜査に臨んだ。
南班に所属する特別対策官の童子将也、北班に所属する特別対策官の時任直輝、同じく北班の市来匡の3人は、昨日に引き続き島内の住人への聞き込み捜査、南班の高校生4人──雨瀬眞白、鷹村哲、塩田渉、最上七葉は、島に点在する廃屋等の捜査にあたった。
「広島支部の捜査報告書によると、民家が固まっとる平地以外にも、山ん中にぽつぽつと古い建物がある。添付された地図データを元に、しっかりと捜査してこい」
民宿の玄関先で向かい合った童子の指示に、「はい!!!」と大きく返事をした高校生たちは、潮の香りが鼻先に漂う山道に入った。
一列に並んで暫く進んだ後、小鳥の囀りを頭上に聞きながら、鷹村が額に汗を滲ませて言った。
「……これは、山道と言うより、ほぼ獣道だな……」
「……ええ。手付かずの自然は素晴らしいけれど、そこに分け入るのは大変だわ」
最上が周りの緑を見回し、上がった息を深呼吸で整える。
「ああ〜。すでに足が棒だよ〜。小腹が減ったよ〜。どっかで休みたいよ〜」
「塩田君。僕、アメを持っているから、一つ食べる?」
塩田が木に寄り掛かって泣き言を漏らし、雨瀬がジャンパーのポケットからレモン味の飴を取り出した。
すると、鷹村が「あ。あそこだ。やっと着いたぞ」と掠れた声で言った。
まもなく高校生たちが鬱蒼とした緑林を抜けると、眼前に白壁の建物が現れる。
離島の山中にぽつりと佇むのは教会で、その外観は激しく朽ちていた。
高校生4人は無言で互いに目配せをし、腰に差し込んだ武器に手を掛けて、古びた木製の扉をそっと開く。
しんと静まり返った廃教会に、息を殺して足を踏み入れた──その時。
「あれ? インクルシオ対策官のみなさん?」
「……よ、依田さん!? どうして、ここに!?」
白色の布が掛かった祭壇の手前で、見知った痩身の人物──鳥の子島で唯一の民宿を営む依田尚が立ち上がり、高校生たちは驚いた顔で訊ねた。
「いや。僕は、空いた時間にこの教会の修繕をしているんです。特にキリスト教徒というわけではありませんが、遠い昔に建てられたであろうここを、放っておけなくて……」
そう言うと、依田は軍手を嵌めた手で工具箱を持ち上げる。
高校生たちは「そうだったんですか……」と返し、武器に掛けた手を離して警戒を解いた。
「おや? みなさん、随分と足元が汚れていますね。おそらく、森の中の山道を通ってきたんでしょう。実は、そのルートとは別に楽な近道がありますよ」
「……えええーっ!! それ、マジっすかぁー!?」
依田が高校生たちに歩み寄って言い、塩田が素っ頓狂な声を出す。
依田は「ええ。うちの民宿の裏手から行くルートです。後で詳しくお教えしますね」と微笑み、ガクリと肩を落とした高校生4人に言った。
「僕は昼過ぎに防波堤に釣りに行く予定です。釣れた魚は今日の夕食にお出ししますよ。もしよければ、みなさんも、捜査の息抜きにどうですか?」
午後7時。
日没と共に捜査を終了した対策官たちは、2階建ての民宿に戻り、入浴を済ませて1階の食堂に集まった。
テーブルの上には、愛媛県の地鶏と野菜を使った鍋物や、山菜の天ぷらの他に、メバルの煮付けとカサゴの唐揚げが並んでいる。
「へへ。このメバル、俺が釣ったんだ。たったの一時間で、あんなに何匹も……」
塩田が皿を覗き込んで嬉しそうに言うと、鷹村が「黙れ」と素早く口を押さえ、最上がテーブルの下で足を踏み、雨瀬が落ち着きなく視線を泳がせた。
食堂に現れた童子が椅子を引いて座り、目の前の料理を見て言う。
「お前ら、なかなかええ釣果やん。メバルもカサゴも、旨そうや」
「!!!!!」
童子の一言に、鷹村、塩田、雨瀬、最上がぎょっとして目を見開いた。
高校生4人はみるみるうちに顔面蒼白になり、童子は小さく苦笑する。
「……防波堤は、島のどこからでも丸見えやで。サボりにしては、周囲への注意が足りへんかったな。まぁ、でも、多少の“休憩”はええやろ。今回は見逃したるわ」
「……ど、ど、童子さ〜ん!!!!」
童子の許しに高校生たちは涙目で感激し、時任が「あれぇー? さっきまで、説教するって言ってなかったかぁー? 甘いなー!」と笑った。
「ふふ。じゃあ、早速、みんなが釣った魚をいただきましょうか」
市来が箸を持って笑顔で言い、テーブルにつく全員が「いただきます!」と声を揃えた。
夕食後、満腹となった対策官7人は、湯気の立つ緑茶を飲んで一息ついた。
塩田が大きく膨らんだ腹部を手で摩り、ふと顔を上げて言った。
「……そう言えば、前から気になっていたんですけど、時任さんと市来さんって、いつも固定でペアを組んでいますよね? それって、何か理由があるんですか?」
塩田の質問に、鷹村が「あ。それ、俺も気になってた」と同調する。
童子が「俺も知らへんな」と顔を向け、雨瀬と最上も二人に注目した。
「ああ。それは、俺よりも市来から話した方がいいな」
時任が緑茶の湯呑みを片手に促し、市来が「そうですね」とやや照れ臭そうに口を開いた。
「……ええと。僕が時任さんと任務でペアを組ませてもらっているのは、芥澤チーフに「どうしても」と懇願したからなんだ」
「え? それは、何故ですか?」
高校生たちが興味津々の様子で訊き、市来は人差し指で頬を掻いた。
「少しだけ、昔話をするとね。僕が中学3年生の時、塾で帰りが遅くなった日があったんだ。それで、ひと気のない路地裏を歩いていると、目の前に一人のグラウカが現れた。そいつは当時、連続殺人犯としてニュースを騒がせていた男でね。僕は逃げる間もなく首根を掴まれて、自分の短い人生の終わりを悟ったよ。……だけど、その時、黒のツナギ服を纏った時任さんが颯爽と走り込んで来て、僕を助けてくれたんだ」
「へぇぇー! すげぇー! かっけぇー!」
市来の話を聞いた塩田が興奮し、他の高校生3人がうんうんとうなずく。
童子が「市来君が中3なら、時任は高1の新人対策官ん時か?」と訊き、時任が「そうだ。北班に配属されてすぐの頃だ」と答えた。
市来は湯呑みを両手で包み、縁を見つめて話を続ける。
「……その日以来、僕は時任さんに憧れを抱き、自分も対策官になりたいと思ってインクルシオ訓練施設に入った。そして、晴れて東京本部の北班への配属が決まり、指導担当がつく1年間が終わってから、芥澤チーフに「時任さんの側で、戦闘技術や捜査手法を学ばせて下さい」と頼み込んだんだ。……今思えば、図々しいにも程があるけど、時任さんも「やる気があるなら、いいぜ」って快諾してくれて。それから、固定でペアを組むようになったんだよ」
そう言って、市来は穏やかに微笑み、温かな緑茶を飲んだ。
「そうだったんですか〜。憧れの人と組めるなんて、いいなぁ〜」
塩田が羨ましそうな声を漏らし、時任が高校生たちを見やって言った。
「お前らも、童子の指導担当期間が終わったら、大貫チーフに頼んでみたらどうだ? 早い者勝ちだが、もしかしたら、インクルシオNo.1の童子とペアが組めるかもよ?」
時任の冗談めかした言葉に、高校生たちはぴくりと肩を揺らす。
鷹村が「……はい! 是非、そうしたいです!」と明るく言い、塩田がすかさず「抜け駆けは許さねーぞ!」と他の3人を牽制して笑い合った。
童子は食堂の時計に目をやり、徐に椅子から立ち上がった。
「……お喋りはここまでやな。そろそろ2階に上がって、今日の捜査報告会をするで」
童子が踵を返して歩き出し、時任と市来が「そうだな!」「ええ」と後に続く。
高校生4人は「はい!」と返事をして、僅かに翳った表情を隠すように、小走りで階段に向かった。




