02・出発前
午後3時半。東京都月白区。
インクルシオ東京本部の5階の執務室で、黒のジャンパーを羽織った南班チーフの大貫武士は、湯気の立つ番茶を一口啜った。
革張りのソファセットに座った大貫の向かいには、巡回任務に出る前に招集をかけた「童子班」の5人の姿がある。
黒のツナギ服を纏った面々──特別対策官の童子将也、鷹村哲、最上七葉はソファに座り、雨瀬眞白、塩田渉はパイプ椅子を出してそれぞれ腰掛けていた。
大貫は5人に愛媛県の離島への出張捜査を依頼し、番茶の湯呑みを持った塩田が大きく声をあげた。
「うわぁ! 四国の離島ですか! いいっスねぇ! 是非、行きたいっス!」
「ばか。何、はしゃいでんのよ。出張捜査は遊びじゃないのよ」
最上が横目でじろりと睨んで嗜め、鷹村が手を上げて質問した。
「その鳥の子島という島は、戸島に人間の遺体が流れ着いた件で、すでに広島支部の対策官が捜査しているんですよね?」
「ああ。しかし、広島支部は、戸島を中心とした広範囲のエリアを捜査している。もしかしたら、派遣できる人員や日程の都合で、鳥の子島では見落とした手がかりがあるかもしれない。そこで、今回はお前たちに、鳥の子島に行って捜査をしてもらいたいんだ」
大貫は説明しながら、菓子の入った籐カゴを前に差し出す。
童子が「いただきます」と醤油せんべいを手に取り、視線を上げて訊ねた。
「……東京から対策官を派遣してまで鳥の子島を捜査するんは、やはり『ミレ・ベルム』の影がチラついとるからですか?」
「ああ。その通りだ。俺はどうにも、リーダーの戦場勝二が鳥の子島に渡ったという、過去の目撃情報が気になってな。それに、人間の遺体が流れ着いたのは、今回で二度目……。こちらの人員を割いてでも、鳥の子島を集中的に捜査する意義はあると思う」
大貫がどらやきの包みを剥がして答え、「童子班」の5人がうなずく。
栗あん入りのどらやきを二口で平らげると、大貫は高校生4人を見やった。
「こういった出張捜査は、お前たちのいい経験にもなる。……だが、学校の方は、休んでも大丈夫か?」
「はい! 強化合宿ん時はもっと休んだし、5日間なら全然問題ないっス!」
塩田が元気よく即答し、他の高校生3人が「大丈夫です」と続く。
大貫は「そうか」と安堵し、二つ目のどらやきに手を伸ばした時、執務室に早いノックの音が響いた。
「おーい。大貫ぃ。入るぜ。……っと、お前らもいたのかよ」
ドアを大きく開いて顔を出したのは、北班チーフの芥澤丈一で、「童子班」の5人が「芥澤チーフ。お疲れ様です」と挨拶をする。
芥澤は「おう。お疲れさん。クソちょうどいいや」と独りごち、ニヤリと口角を上げて言った。
「愛媛の離島の出張捜査の件な。うちの時任と市来も、行くってよ」
午後8時半。
インクルシオ東京本部の3階にあるオフィスの一角で、北班に所属する特別対策官の時任直輝が、明るい声で笑った。
「ははは! 芥澤チーフから聞いたか! 俺も、鳥の子島の捜査に行くぞ!」
「出張捜査は、人員が多い方がいいからね。僕も行くよ」
同じく北班の市来匡が、時任の隣に立って微笑む。
担当エリアの巡回任務から戻り、インクルシオ寮での夕食後にデスクワークに励んでいた塩田が、ウキウキと浮き立って言った。
「時任さんと市来さんも一緒なんて、ますます出張捜査が楽しみだな〜!」
「だから、遊びじゃないって言ってるでしょ。旅行気分はやめなさい」
最上が苦々しく釘を刺し、塩田が「へへ」と舌を出す。
童子がデスクの椅子を回し、缶コーヒーのプルトップを開けて言った。
「時任。市来君。二人は、北班の任務はええんか?」
「ああ。芥澤チーフがスケジュールの調整をしてくれたから、大丈夫だ。俺らも、全力で鳥の子島を捜査するぜ」
時任の返答に、鷹村が「お二人が加わってくれるのは、頼もしいし嬉しいな」と笑みを浮かべ、雨瀬が「うん」と白髪を揺らして同意する。
塩田がノートパソコンのキーボードをいそいそと叩き、インターネットサイトで鳥の子島までの道程を調べた。
「おお〜。東京から愛媛県宇和島市まで、飛行機と電車を乗り継いで約3時間半。宇和島港から船に乗って、戸島経由で鳥の子島に到着するまで、約3時間。合計でおよそ6時間半かかるのか。やっぱ、遠いな〜」
「せやな。飛行機と電車はともかく、船に揺られる時間がけっこう長い。お前ら、船酔いはどうなんや? 今まで、長時間の乗船の経験はあるか?」
童子がデスクにコーヒーを置いて訊ね、高校生たちははたと動きを止める。
鷹村と塩田が「いえ。ありません。でも、多分、大丈夫ですよ」と自信ありげに返し、雨瀬と最上が「念の為、酔い止めの薬を用意しておきます」と身を震わせた。
すると、デスク脇のパーテーションの向こうから、東班に所属する特別対策官の芦花詩織と、同じく東班の藤丸遼、湯本広大が姿を現した。
「みんな。聞いたわよ。明日から、愛媛県の離島に出張捜査に行くんですってね。遠方の地で大変だろうけど、体調には十分に気を付けて頑張ってね」
栗色のボブヘアを靡かせた芦花の激励の言葉に、高校生たちが「はい! ありがとうございます!」と揃って返事をする。
芦花の後方に立った藤丸が、そっぽを向いたまま低く言った。
「出張捜査から戻ってきたら、すぐに期末テストが始まるぜ。赤点を取らないように、せいぜい、捜査の合間に勉強しておくんだな」
「……!!!!!」
藤丸の呟きを聞いた高校生4人が、一斉に目を見開く。
「わ、忘れてたぁー!!!」
塩田が椅子から立ち上がって絶叫し、鷹村と最上が「うっかりしてた」と声を漏らし、時任が「お前ら! 荷物に教科書を入れておけよ!」と高らかに笑った。
「……と、とにかく。鳥の子島は、『ミレ・ベルム』が何らかの形で関与している疑いがある。僕らは、その手がかりを掴むべく、5日間の出張捜査をしっかりと遂行してこよう」
賑やかな喧騒が包み込む中で、雨瀬が決意を込めて小さく言う。
高校生3人の耳がぴくりと動き、ほどなくして「おう!!!」と威勢のいい声がオフィス内に響き渡った。
午前1時。愛媛県宇和島市鳥の子島。
反人間組織『ミレ・ベルム』のリーダーである戦場勝二は、古びたソファに背を凭せて足を組んだ。
「……ああ。前と一緒だよ。頭を潰して、崖から落とした。いくらあんたの手下でも、ああいう手癖の悪い輩は、容赦なく処刑するぜ」
戦場は35歳のグラウカで、身長190センチを超える大柄な体躯を持つ。
カーキ色のカーゴパンツと黒色のワークブーツを履き、太い首にはダブルプレートのドッグタグを下げていた。
左手にスマホを持った戦場は、右手で短くなった煙草を摘む。
口と鼻から同時に白煙を吐くと、電話の向こうの相手が密やかに笑った。
『……かまへんで。大事なブツをパクるような裏切りモンは、好きに殺してくれてええ。せやけど、遺体が他の島に流れ着くんは、少々困るな。警察はまだしも、インクルシオの連中が出てくると面倒や』
「はっ。大丈夫だ。あいつらがあくせく捜査したところで、何も見つけられねぇよ。この島は、これからもずっと平和だ」
『……そうやとええな。ほな、また』
関西弁を操る相手が、短い通話を切る。
戦場は煙草を灰皿に押し付け、夜半の静かな潮騒を聞きながら、鋭く光る双眸をゆっくりと閉じた。




