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グラウカ  作者: 日下アラタ
STORY:18
146/231

10・観覧車

 東京都あま区。

 夕暮れ間近な老舗の遊園地『カエルム・アルブス』の園内で、インクルシオ東京本部の南班に所属する「童子班」の5人と、“暴殺”集団『ケレブルム』のメンバー5人は、噴水広場から伸びる歩道の先でそれぞれ対峙していた。

 黒のツナギ服を纏った雨瀬眞白は、癖のついた白髪を揺らして石畳の歩道を駆け抜け、人気アトラクションの一つである観覧車に辿り着く。

「!」

 すると、『カエルム・アルブス』のマスコットキャラである“カエルムちゃん”がゴンドラに描かれた観覧車の前方の広場に、『ケレブルム』のリーダーである前薗律基がじっと佇んでいる姿が見えた。

 雨瀬に気付いた前薗は、さらりとした黒髪をなびかせて微笑んだ。

「あー。君は、昨日会った“グラウカ初の対策官”の子だね。グラウカが相手なら、脳下垂体を破壊しなきゃダメだな。じゃあ、このナイフで、幹田みたいに頭の中をぐるぐると掻き回そうか?」

 前薗は右手に下げていた折り畳みナイフを持ち上げ、自身が殺害した『ケレブルム』のメンバーの幹田翔一を思い浮かべて、愉快そうに目を細める。

 雨瀬は言葉を返すことなく地面を蹴ると、宙に高く跳躍して、数メートル先に立つ前薗に襲い掛かった。

「……おっとと! 急に、無言で攻撃してこないでよ!」

 空中で体をひねって鋭い蹴りを繰り出した雨瀬に、前薗が慌てて上体をらして叫び、手にした折り畳みナイフを横に払う。

 雨瀬のワークブーツが露出した喉元を掠め、前薗のナイフがツナギ服の胸元を切り裂いて、互いの傷口からグラウカの証である白い蒸気が上がった。

「……もう〜。少し落ち着きなよ。せっかくの1対1の殺し合いなんだ。そう急がずに、もっとゆっくりと楽しもうよ」

「……黙って下さい。己のサディスティックな欲望を満たす為に、多くの人間とグラウカを殺してきた貴方を、絶対に許すことはできない。……覚悟して下さい」

 前薗が首筋に滲んだ血を親指で拭ってぼやき、雨瀬がツナギ服の胸ポケットからバタフライナイフを取り出して低く返す。

 雨瀬は次の攻撃を仕掛けるべく、前薗を見据えながら足先に力を入れた。

 その時、観覧車の乗り込み口で停止していた一台のゴンドラが揺れ、パステルピンクの扉の下部から一筋の血が流れ落ちた。

「……!」

 雨瀬が反応して目を向けると、閉じていた扉が開き、中から来園者と見られる一人の女性が現れる。

 女性は両足首の腱を切られており、血まみれのゴンドラの床を這って、「……た、助けて……」と弱々しく声をあげた。

「……っ!!! い、今すぐに行きます!!!」

 雨瀬は大きく目を見開いて、即座に走り出す。

 前薗の脇を通り過ぎ、まっすぐに観覧車に向かおうとした──次の瞬間。

 前薗は「スキあり」と満面の笑みで呟き、折り畳みナイフの刃をひらめかせて、雨瀬の左腕を斬り落とした。

「……あ、ああぁぁああぁあぁぁっ!!!!!!!」

「ははっ。テキトーに傷付けた人間を観覧車に仕込んでおいて、正解だったな。注意が逸れたところを、すかさずに攻撃。なかなか、いいアイデアでしょう?」

 左腕の肘から先を失った雨瀬は、石畳に両膝をついて絶叫する。

 雨瀬の周囲にみるみるうちに血溜まりができ、辺りにもうもうと白い蒸気が立ち上る中、笑みを浮かべていた前薗が「ん?」と声を漏らした。

「……ねぇ。君。なんか、再生が速くない?」

 地面にうずくまった雨瀬の左の前腕は、すでに元の形を取り戻しつつある。

 しかし、雨瀬の受けたダメージは大きく、すぐには立ち上がることができずにいた。

「……ま、いいか。どうせもうトドメを刺すから、関係ないや」

 前薗は気を取り直したように言うと、折り畳みナイフを高く上げる。

 うつむく雨瀬の頭部を見下ろし、「さぁ、たっぷりとシェイクしてあげるよ」と囁いて、鈍く光る刃を振り下ろした──その時。

「……ぶぐぉぉおおぉぉぉっ!!!!!!!!」

 前薗の整った顔面に、目にも留まらぬ速さの強烈なハイキックが炸裂した。

 前薗はもんどりを打って後方に吹き飛び、観覧車前の広場に設置されたベンチにぶつかって止まる。

 雨瀬は脂汗の滲んだ顔を上げ、目の前に現れた人物に目をみはった。

「……は、速水特別対策官……!!!!」

「なんだ。けっこう苦戦しているみたいじゃないか。だけど、俺が来たからにはもう安心だ。何てったって、俺は“特別対策官”だからね」

 そこには、ライトブラウンのレザージャケットの裾をひるがえした、インクルシオ名古屋支部に所属する特別対策官の速水至恩が立っていた。


 速水は不気味に静まる広場に目を巡らして、素早く指示を出した。

「雨瀬。噴水広場に救急車と救急隊員が到着している。体が動くなら、急いで観覧車の女性をそこに連れて行け。それと、お前のバタフライナイフを貸せ。『ケレブルム』の前薗は、俺がちゃっちゃと片付ける」

「……は、はいっ!!」

 雨瀬は完全に再生した左腕をちらりと見やって、右手に握ったバタフライナイフを速水に投げ渡し、観覧車の乗り込み口に駆けた。

 女性の足首に裂いたハンカチを巻き、背中に乗せて足早に歩道に向かう。

 速水は雨瀬の後ろ姿を横目で見送って、おもむろに口を開いた。

「さーてと。そろそろ、顔面の傷は治ったかい? サディストさんよ?」

 茶色がかった髪を手で掻き上げた速水が、軽い口調で訊く。

 速水の高速の蹴りを受け、鼻骨、頬骨きょうこつ、上顎骨が砕けた前薗は、顔中から白い蒸気を上げてフラフラと立ち上がった。

「……おいおい。いきなり人の顔を蹴るなんて、失礼な奴だね。君は確か、インクルシオ名古屋支部の特別対策官だろう? 名前は、速水だっけ?」

「そーだよ。たまたまこの遊園地に俺がいて、不運だったな。全国各地で“暴殺”の限りを尽くしてきたあんたも、これで終わりだ」

 速水が薄い唇を上げて言うと、前薗は「ハッ。まさか」と笑った。

「随分と自信満々な様子だけどさ。俺は、君ごときにはやられないよ。別の場所にいるうちのメンバーだってそうさ。終わりなのは、君たち対策官の方だ」

 前薗が不敵に見返して言い、速水がきょとんと目を丸くする。

 数瞬の沈黙が流れた後、速水は腹部を抱えて大笑いした。

「アーッハッハッハッ!!! それ、マジで言ってんのーっ!?」

「……!」

 速水の甲高い笑い声に、前薗がぴくりと眉を上げる。

 速水は目に涙を浮かべて、言葉をまくし立てた。

「こりゃ、傑作だ!! もしかして、あの筋肉野郎が童子さんに勝てるとでも思ってんの!? そんなの、仮にあいつが100人いたって無理だよ!! それに、童子さんの教え子たちだってさ、ケチなサディスト連中にタイマンで負けるほど弱くはないさ!! 実際、あんたはさっきの雨瀬との交戦で、“汚い保険”をかけてたじゃないか!! それは、まともにやり合ったら負けると危惧したからだろう!!」

「──っ!!!!」

 速水が大声で指摘し、前薗の頭に急速に血が昇る。

「……よ、よくも、そんなことを……!!! なら、俺がこの場でお前を殺してやるよ!!! その口に手を突っ込んで、脳みそを引きずり出してやる!!!」

 前薗は歯を剥いて激昂し、折り畳みナイフを握って走り出した。

 二人は5メートルほどの距離を空けて向かい合っていたが、速水は微動だにすることなく、前薗の強襲を待ち受ける。

 前薗が「死ねぇぇっ!!!」と叫んでナイフを突き出し、速水はその攻撃をあっさりと避けると、雨瀬から受け取ったバタフライナイフを右耳に突き入れた。

「……うぶぶぶぶぶぶぶぶぶっ!!!!!!!!!!」

 細く鋭い黒の刃は、持ち手の部分まで耳孔じこうに埋まり、グラウカの弱点である脳下垂体を破壊する。

 前薗はぱくぱくと口を動かして、どさりと地面に崩れ落ちた。

「……はい。おしまい。今まで、あんたは残虐に笑いながら、他人の命を奪ってきた。最期さいごは俺に笑われて、格好悪く死ぬのがお似合いさ」

 石畳に伏して絶命した前薗を見やって、速水は冷たい声音で言う。

 そして、世間を広く震撼させた『ケレブルム』は、淡いオレンジ色の陽光が包み込む遊園地で壊滅した。




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