09・お化け屋敷とループコースター
東京都天区。
午後の淡い陽光が照らす遊園地『カエルム・アルブス』の園内で、インクルシオ東京本部の南班に所属する「童子班」の5人は、それぞれ別の場所で“暴殺”集団『ケレブルム』のメンバー5人との交戦に臨んでいた。
黒のツナギ服を纏った鷹村哲は、噴水広場から伸びる歩道の1本を走り、ホットドッグとクレープの屋台の間を通り抜けて、不気味な雰囲気を醸し出すお化け屋敷の前に辿り着いた。
『カエルム・アルブス』のお化け屋敷は病院を模しており、患者や看護師が変わり果てた姿となった“モンスター”による感染を躱しつつ、廃墟と化した病院内を出口を求めて進むホラーアトラクションとなっている。
(……宇頂の姿は、周辺には見当たらない。おそらく、このお化け屋敷に入ったんだろう。ここは内部が暗くて通路が狭い。十分に気を付けなければ……)
鷹村は腰に下げたホルダーからサバイバルナイフを抜き、誰もいない受付を通って、イミテーションの血があちこちに塗られた建物に侵入した。
しんと静まり返った廃病院の中は、錆びたストレッチャーやずたずたに切り裂かれた長椅子が置かれ、天井の蛍光灯は弱々しく点滅している。
(……いくら演出の為とは言え、暗過ぎるな。足元が殆ど見えないぞ)
鷹村は息を潜め、周囲を警戒しながら慎重に足を進めた。
すると、ワークブーツの爪先に何かが当たり、反射的に後方に飛び退く。
「……!!!」
黒の刃を構えた鷹村の目に映ったのは、お化け屋敷のスタッフが扮する“モンスター”で、小道具のメスを頭頂部に突き立てられた状態で絶命していた。
(……クソっ……! 何の罪も無い人を……!)
暗がりの中に転がった遺体を見て、鷹村はきつく歯噛みをする。
その時、『診察室』のプレートが貼られた部屋から、微かな物音が聞こえた。
(──奴は、そこか!?)
鷹村は即座に部屋の前に走り、血のりの付いたドアノブを回す。
薄暗い部屋の中には、机、椅子、診察台、カルテの入った棚があり、机の上にはレントゲン写真や聴診器等の小物が置かれていた。
遮光カーテンが小さく揺れていることに気付いた鷹村が、「あそこから、外に出たのか……?」と訝しげに呟き、室内に足を踏み入れた──次の瞬間。
血みどろの診察台の下から手が伸び、鷹村の右足首を掴んで引き倒した。
「……ぐあっ!!!!」
鷹村はリノリウムの床に強かに背中を打ち付け、その拍子にサバイバルナイフが手から離れて部屋の隅に滑る。
鷹村を転倒させた人物──『ケレブルム』のメンバーの宇頂伸之が、診察台を押し上げて姿を現し、すぐさまに馬乗りになった。
「ギャハハハッ! 足元の注意が足りなかったな! インクルシオの若造よ! ここでじっくりと嬲り殺したいところだが、他の対策官が来たら面倒だ! お前は、今すぐに死ね!」
宇頂は口角を吊り上げて、鷹村の首筋に両手を掛ける。
(……まずいっ! サバイバルナイフを放しちまった! 宇頂が馬乗りになっているせいで、腰の鞘からブレードを抜くことができない! こいつが手に力を入れたら、そこで終わりだ!)
鷹村は瞬時に視線を巡らし、壁際に佇む人体の全身骨格模型を蹴飛ばした。
約170センチの高さの模型が派手な音を立てて崩れ、プラスチック製の骨が床にバラバラと散らばる。
折れた助骨の一本を鷲掴んだ鷹村は、渾身の力で宇頂のこめかみに突き刺した。
「……うごあああああぁっ!!!!!!!!!」
作り物の骨が頭蓋骨を貫通し、脳下垂体を破壊する。
宇頂は上半身を激しく痙攣させ、やがてゆっくりと仰向けに倒れた。
途端に静かになった部屋で、鷹村は上体を起こして深く息を吐く。
「……危なかった……。あと少し遅かったら、やられていた。だけど……」
鷹村は傍らで事切れた宇頂を見やって、真摯な声音で言った。
「これで、『ケレブルム』のメンバーの一人を倒した。これまでに犠牲になった人たちの、せめてもの敵討ちができたのなら……よかった」
スピーカーから緊急放送が流れる『カエルム・アルブス』の園内で、両腿に2本のサバイバルナイフを装備した特別対策官の童子将也は、緑の植樹の下を駆け抜けた。
童子は歩道の石畳を走りながら、アトラクションの配置を頭に浮かべる。
『カエルム・アルブス』は3つのジェットコースターを有しており、一つは噴水広場付近にある起伏に富んだコースを疾走する王道のジェットコースター、もう一つはウォーターエリア付近にある吊り下げ型のインバーテッドコースター、そして、最後の一つは童子が駆ける歩道の先にある、360度の垂直回転──いわゆる“宙返り”のスリルを楽しめるループコースターであった。
(……ループコースターは、この遊園地の一番奥に位置する。おそらく、後舎は前薗からの指示を受けて、すぐには他のエリアに行けへん場所に俺を誘ったんや)
童子は眉根を寄せて、「……チッ」と低く舌打ちをする。
まもなく歩道の視界が開け、天に聳えるループコースターの前に出た。
頭上を見上げた童子が、眉間の皺をより一層深くする。
地上40メートルの高さを誇る“宙返り”のループの頂点には、筋骨隆々の腕を組んで仁王立ちをした、『ケレブルム』のNo.2の後舎清士郎が立っていた。
「……あぁ。ようやく、お前とサシで相見えることができたな……。この機会を待ち望んでいたぞ。インクルシオNo.1よ」
「わざわざこんなところまで登ってきて、難儀なことやな」
童子がループコースターに到着してから僅かな時間が経過した後、後舎は熱っぽい眼差しを前に向けて、満足げに口を開いた。
鉄筋のレールの上に現れた童子が、苦々しい表情で返す。
童子は点検作業用の足場を利用してループコースターの途中まで登り、足場の無い“宙返り”の部分は、直接レールを伝って上がってきた。
二人は強風の吹き付ける高所に立ち、2メートルほどの間隔を空けて対峙する。
「……ふふ。今頃、お前の仲間はうちのメンバーに惨殺されているだろうな」
「それは、俺の動揺を誘う心理作戦か? デカい体格の割には、セコイ奴やな」
「はは。違うさ。事実を言ったまでだ。あんな高校生のヒヨッコ対策官共じゃ、到底うちのメンバーには敵うまいよ。お前も、心の中じゃ心配で仕方がないんだろう? 童子よ?」
後舎は童子の焦燥を煽るように、にやにやと笑って言った。
童子はレールの上で右手を動かし、右脚のホルダーの留め具を外して、サバイバルナイフをするりと引き抜く。
「……せやな。俺は、あいつらの実力を知っとるし信じとるが、それでも心配してまうんはその通りや。せやから、無駄なお喋りはここまでにして、とっとと決着をつけよか」
「……ん? いやいや、ちょっと待てよ。この狭いレールの上で揉み合う気か? グラウカの俺はともかく、人間のお前は落ちたら即死だぞ? お前がここに登ってきた時点で、すでに勝敗は決している。ろくに身動きの取れない場所で、お前は俺に肉を引き裂かれて死ぬしかないんだ」
「やかましわ。寝言は寝てから言えや」
童子は短く吐き捨てると、レールを蹴って前方に突進した。
後舎は「ま、待てっ!」と一歩後ずさって制止したが、そのまま猛然と体当たりをし、躊躇なく空中に飛び出す。
それと同時に黒の刃を逆手に持ち替えて、後舎の側頭部を一気に貫いた。
「──っ!!!!!!!!!!!」
後舎は声にならない声をあげ、白目を剥いて40メートル下の地面に落下する。
童子は宙で体を捻り、真下に見える自動販売機やテーブルが並ぶ休憩所のテントの上に、背中から落ちた。
乳白色のテントが衝撃に波打って潰れ、辺りに大量の砂塵が舞い上がる。
すぐに上体を起こした童子は、石畳に横たわった後舎の亡骸を確認して、園内の風景に目をやった。
「……あいつらは……」
高校生たちの身を案じる声が、ふと小さく漏れる。
童子は遠くに立ち並ぶアトラクションから視線を外すと、サバイバルナイフをホルダーに戻し、骨組みが折れて拉げたテントから立ち上がった。




