07・安息と暗雲
午後8時。東京都月白区。
インクルシオ東京本部の1階の大会議室で記者会見が開かれた。
会見には本部長の那智明が総務部の広報担当者と共に臨んだ。
長年に渡って人々を恐怖に陥れてきた“人喰い”鏑木良悟の死亡は、マスコミ各社が大きく取り上げ、ニュースは瞬く間に世間に広がった。
先般の突入失敗に関して厳しく言及する声もあったが、那智は今回の功績の大きさを強調して躱した。
同刻。
インクルシオ東京本部の南班に所属する雨瀬眞白と鷹村哲は、南班チーフの大貫武士の執務室に呼ばれていた。
大貫と二人は、執務室に置かれたソファセットに向かい合って座っている。
大貫は手にした急須を傾け、3つの湯飲みに番茶を注いだ。
「俺は番茶が好きでな。この気取らない味がいいんだ」
そう言うと、大貫は湯飲みを二人に差し出した。
「いただきます」
雨瀬と鷹村が手を伸ばし、湯気の立つ湯飲みに口をつける。
香ばしい匂いが鼻孔をくすぐり、風味豊かな味わいが喉を通った。
「どうだ?」
「すごく美味しいです」
二人が声を揃えて答えると、大貫は「そうか」と目尻の皺を深くして笑った。
大貫は自分の湯呑みを持って言った。
「……お前たち。今回は、本当によく頑張ったな」
「いえ。俺らは大したことは何も。“人喰い”を倒したのは、童子さんです」
鷹村が首を振り、隣に座る雨瀬がうなずく。
大貫は番茶を一口啜って言った。
「その童子が来るまで、鏑木と勇敢に戦ってダメージを与えた。お前たちの働きがなかったら、今回の結果はなかった。最大の功労者はお前たち二人だよ。これは、童子がそう言ってる」
大貫の言葉に、鷹村が「童子さんは、俺らに甘いから……」と照れ隠しのように呟く。
両手で湯飲みを包んだ雨瀬が「あの」と口を開いた。
「……僕たちが“人喰い”と戦えたのは、大貫チーフのおかげです。2年半前に大貫チーフが声をかけて下さったから、僕たちはインクルシオの訓練施設で戦闘技術を身に付け、強くなることができた。……でも」
いつになく強くはっきりとした視線で、雨瀬が大貫を見つめる。
「僕たちは、もっと強くなります。世の中の多くの人々を守れるように、今よりずっと強くなってみせます。だから……どうか、見ていて下さい」
雨瀬のまっすぐな眼差しに、大貫は言葉を失った。
黙ったまま唇を引き結び、2、3度うなずく。
大貫の目の前に座る二人の少年は、2年半前の中学生ではなかった。
立派なインクルシオ対策官が、そこにはいた。
「おーい! こっちこっち!」
大貫の執務室を出た雨瀬と鷹村は、インクルシオ東京本部の隣に建つインクルシオ寮に戻った。
1階の食堂に入ると、塩田渉が大きく手を振る。
ビュッフェ形式の料理をトレーに乗せた二人は、窓際のテーブルについた。
「大貫チーフとの話は終わったか? 俺、超腹減ったよー」
「なんだ。待ってたのか。先に食っててもよかったのに」
黒のツナギ服の腹部を摩った塩田に、鷹村が言う。
向かいの席に座る最上七葉が、「みんなで食べた方が美味しいわ」と言ってフォークを手に取った。
「……童子さんは?」
鷹村が周囲を見回して訊く。雨瀬もキョロキョロと食堂を見やった。
塩田がテーブルに置いたスマホに目を落として言う。
「それが、まだ来てないんだよ。さっき『鷹村たちが戻ってきたらメシにしましょう』ってメッセージを送ったんだけど、返信もまだ。また送ってみようか?」
「きっと、私たちが知らないところで忙しいのよ。何度も送るのはやめておきましょう」
最上が言い、鷹村が「そうだな」と同意した。
「童子班」の高校生たちが食事を始めると、背後から大きな声がかかった。
「おー! お前たち、今メシか!」
トレーを手にして大股で歩いてきたのは、北班に所属する特別対策官の時任直輝だった。
時任の隣には、同じく北班に所属する市来匡の姿がある。
「雨瀬ぇ! 鷹村ぁ! 二人共、“人喰い”相手によくやった!」
時任が満面の笑みで雨瀬と鷹村の背中をバンバンと叩き、市来は「無事でよかったよー」と眉尻を下げた。
鷹村が体を揺らしながら言う。
「時任さん。市来さん。ありがとうございます。でも、ホント、俺らは大したことはしてなくて、“人喰い”を仕留めたのは童子さん……ブホッ!」
時任が一際強く鷹村の背中を叩いた。
「戦いってのはな。結果や成果だけを見るものじゃない。その『過程』に重要な意味があるんだ。“人喰い”に臆さず、よく立ち向かった。俺は、お前たちを誇りに思うぞ」
時任の賛辞に、鷹村と雨瀬は面映くなってうつむく。
塩田が「照れてんじゃねーよ」とからかい、最上が柔らかく微笑んだ。
窓際のテーブルにつく高校生たちに、時任が言う。
「そうだ! 明日は、みんなで卓球大会やるか!」
「あ! いいっスねー! 是非、やりましょう!」
塩田が目を輝かせて反応し、高校生3人が「やりたいです!」と賛同した。
「よーし! じゃあ、一番負けた奴がアイスおごりな!」
「時任さんっ! それって、俺の可能性が高いっス!」
塩田の突っ込みに、その場の全員に明るい笑いが起きる。
その時。テーブルに置いた塩田のスマホに、一件のメッセージが着信した。
塩田はスマホの画面を素早くタップし、表情を明るくする。
「──童子さん、今から来るって!」
その一言にテーブルの空気が一層盛り上がり、雨瀬と鷹村は笑顔を浮かべた。
二人は、漸く穏やかな安息を得られた気がした。
──20分前。
南班に所属する特別対策官の童子将也は、インクルシオ東京本部の7階にいた。
建物の最上階にあたる7階の一角には、壁がガラス張りになった休憩スペースが設けられている。
この休憩スペースは日中はコーヒー片手にふらりと訪れる職員や対策官が多いが、夜間の利用者は少ない。
午後8時を過ぎたこの時間は、童子ともう一人の人物以外の影はなかった。
インクルシオの黒のツナギ服を纏い、両腿に2本のサバイバルナイフを装備した童子が口を開く。
「何故、あの時に突入せんかったんですか? ……真伏さん」
童子の前に立つ人物──西班に所属する特別対策官の真伏隼人が片眉を上げた。
「そんな質問の為に、わざわざ俺を呼び出したのか。童子」
「どうしても、わからんのです。鏑木の待ち伏せがあったにせよ、真伏さんが突入しとったら奴は倒せた。そうしていれば、西班の対策官は5人も死なずに済んだ」
童子の問い掛けに、真伏は短く笑う。
「……命がけの戦いの場で、他人の力をあてにしてどうする」
「仲間を守ることは、特別対策官としての責務やないですか?」
「組織の役に立たない弱い人間を守って、何の意味がある?」
真伏が冷たく言い放ち、童子は眉根を寄せた。
真伏は乾いた声音で言った。
「突入チームのあの5人……あれで“西班の精鋭”なら、この先も大した貢献は期待できまい。早めに殉職してくれてよかったくらいだ」
「……それ、本気で言うてるんですか」
「そうだ」
サバイバルナイフを装備した童子と、ブレードを装備した真伏の視線が交わる。
童子は鋭い眼光で、真伏を睨んだ。
「人の命より、組織の役に立つとか期待に応えることがそんなに大事ですか?」
「生意気言うなよ」
真伏は双眸を見開き、童子を睨み返した。
真伏の苛立ちを表すように、ブレードに添えた指先がトントンと柄を叩く。
「童子。俺とお前では考え方が相入れない。これ以上話しても、時間の無駄だ」
「…………」
「だが、これだけは言っておく。俺は、お前よりもずっと組織の役に立っている」
そう言うと、真伏はくるりと踵を返した。
ワークブーツを履いた足を踏み出し、休憩スペースを出ていく。
その後ろ姿を見やって、童子は呟いた。
「……最後のは、どういう意味や……?」
小さく漏れた疑問に、答えは返らない。
童子は浅く息を吐くと、ツナギ服の尻ポケットからスマホを取り出した。
数分前に着信した塩田のメッセージを読み、『今から行く』と返信を打つ。
そして、夜空を照らす月を隠すように垂れ込めた暗雲を背に、童子は仲間たちの元へと歩き出した。
<STORY:02 END>