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グラウカ  作者: 日下アラタ
STORY:02
14/231

07・安息と暗雲

 午後8時。東京都月白げっぱく区。

 インクルシオ東京本部の1階の大会議室で記者会見が開かれた。

 会見には本部長の那智明が総務部の広報担当者と共に臨んだ。

 長年に渡って人々を恐怖に陥れてきた“人喰い”鏑木良悟の死亡は、マスコミ各社が大きく取り上げ、ニュースはまたたく間に世間に広がった。

 先般の突入失敗に関して厳しく言及する声もあったが、那智は今回の功績の大きさを強調してかわした。


 同刻。

 インクルシオ東京本部の南班に所属する雨瀬眞白と鷹村哲は、南班チーフの大貫武士の執務室に呼ばれていた。

 大貫と二人は、執務室に置かれたソファセットに向かい合って座っている。

 大貫は手にした急須を傾け、3つの湯飲みに番茶を注いだ。

「俺は番茶が好きでな。この気取らない味がいいんだ」

 そう言うと、大貫は湯飲みを二人に差し出した。

「いただきます」

 雨瀬と鷹村が手を伸ばし、湯気の立つ湯飲みに口をつける。

 香ばしい匂いが鼻孔をくすぐり、風味豊かな味わいが喉を通った。

「どうだ?」

「すごく美味しいです」

 二人が声を揃えて答えると、大貫は「そうか」と目尻の皺を深くして笑った。

 大貫は自分の湯呑みを持って言った。

「……お前たち。今回は、本当によく頑張ったな」

「いえ。俺らは大したことは何も。“人喰い”を倒したのは、童子さんです」

 鷹村が首を振り、隣に座る雨瀬がうなずく。

 大貫は番茶を一口啜って言った。

「その童子が来るまで、鏑木と勇敢に戦ってダメージを与えた。お前たちの働きがなかったら、今回の結果はなかった。最大の功労者はお前たち二人だよ。これは、童子がそう言ってる」

 大貫の言葉に、鷹村が「童子さんは、俺らに甘いから……」と照れ隠しのように呟く。

 両手で湯飲みを包んだ雨瀬が「あの」と口を開いた。

「……僕たちが“人喰い”と戦えたのは、大貫チーフのおかげです。2年半前に大貫チーフが声をかけて下さったから、僕たちはインクルシオの訓練施設で戦闘技術を身に付け、強くなることができた。……でも」

 いつになく強くはっきりとした視線で、雨瀬が大貫を見つめる。

「僕たちは、もっと強くなります。世の中の多くの人々を守れるように、今よりずっと強くなってみせます。だから……どうか、見ていて下さい」

 雨瀬のまっすぐな眼差しに、大貫は言葉を失った。

 黙ったまま唇を引き結び、2、3度うなずく。

 大貫の目の前に座る二人の少年は、2年半前の中学生ではなかった。

 立派なインクルシオ対策官が、そこにはいた。


「おーい! こっちこっち!」

 大貫の執務室を出た雨瀬と鷹村は、インクルシオ東京本部の隣に建つインクルシオ寮に戻った。

 1階の食堂に入ると、塩田渉が大きく手を振る。

 ビュッフェ形式の料理をトレーに乗せた二人は、窓際のテーブルについた。

「大貫チーフとの話は終わったか? 俺、超腹減ったよー」

「なんだ。待ってたのか。先に食っててもよかったのに」

 黒のツナギ服の腹部をさすった塩田に、鷹村が言う。

 向かいの席に座る最上七葉が、「みんなで食べた方が美味しいわ」と言ってフォークを手に取った。

「……童子さんは?」

 鷹村が周囲を見回して訊く。雨瀬もキョロキョロと食堂を見やった。

 塩田がテーブルに置いたスマホに目を落として言う。

「それが、まだ来てないんだよ。さっき『鷹村たちが戻ってきたらメシにしましょう』ってメッセージを送ったんだけど、返信もまだ。また送ってみようか?」

「きっと、私たちが知らないところで忙しいのよ。何度も送るのはやめておきましょう」

 最上が言い、鷹村が「そうだな」と同意した。

 「童子班」の高校生たちが食事を始めると、背後から大きな声がかかった。

「おー! お前たち、今メシか!」

 トレーを手にして大股で歩いてきたのは、北班に所属する特別対策官の時任直輝だった。

 時任の隣には、同じく北班に所属する市来匡の姿がある。

「雨瀬ぇ! 鷹村ぁ! 二人共、“人喰い”相手によくやった!」

 時任が満面の笑みで雨瀬と鷹村の背中をバンバンと叩き、市来は「無事でよかったよー」と眉尻を下げた。

 鷹村が体を揺らしながら言う。

「時任さん。市来さん。ありがとうございます。でも、ホント、俺らは大したことはしてなくて、“人喰い”を仕留めたのは童子さん……ブホッ!」

 時任が一際ひときわ強く鷹村の背中を叩いた。

「戦いってのはな。結果や成果だけを見るものじゃない。その『過程』に重要な意味があるんだ。“人喰い”に臆さず、よく立ち向かった。俺は、お前たちを誇りに思うぞ」

 時任の賛辞に、鷹村と雨瀬は面映おもはゆくなってうつむく。

 塩田が「照れてんじゃねーよ」とからかい、最上が柔らかく微笑んだ。

 窓際のテーブルにつく高校生たちに、時任が言う。

「そうだ! 明日は、みんなで卓球大会やるか!」

「あ! いいっスねー! 是非、やりましょう!」

 塩田が目を輝かせて反応し、高校生3人が「やりたいです!」と賛同した。

「よーし! じゃあ、一番負けた奴がアイスおごりな!」

「時任さんっ! それって、俺の可能性が高いっス!」

 塩田の突っ込みに、その場の全員に明るい笑いが起きる。

 その時。テーブルに置いた塩田のスマホに、一件のメッセージが着信した。

 塩田はスマホの画面を素早くタップし、表情を明るくする。

「──童子さん、今から来るって!」

 その一言にテーブルの空気が一層盛り上がり、雨瀬と鷹村は笑顔を浮かべた。

 二人は、ようやく穏やかな安息を得られた気がした。


 ──20分前。

 南班に所属する特別対策官の童子将也は、インクルシオ東京本部の7階にいた。

 建物の最上階にあたる7階の一角には、壁がガラス張りになった休憩スペースが設けられている。

 この休憩スペースは日中はコーヒー片手にふらりと訪れる職員や対策官が多いが、夜間の利用者は少ない。

 午後8時を過ぎたこの時間は、童子ともう一人の人物以外の影はなかった。

 インクルシオの黒のツナギ服を纏い、両腿に2本のサバイバルナイフを装備した童子が口を開く。

「何故、あの時に突入せんかったんですか? ……真伏さん」

 童子の前に立つ人物──西班に所属する特別対策官の真伏隼人が片眉を上げた。

「そんな質問の為に、わざわざ俺を呼び出したのか。童子」

「どうしても、わからんのです。鏑木の待ち伏せがあったにせよ、真伏さんが突入しとったら奴は倒せた。そうしていれば、西班の対策官は5人も死なずに済んだ」

 童子の問い掛けに、真伏は短く笑う。

「……命がけの戦いの場で、他人の力をあてにしてどうする」

「仲間を守ることは、特別対策官としての責務やないですか?」

「組織の役に立たない弱い人間を守って、何の意味がある?」

 真伏が冷たく言い放ち、童子は眉根を寄せた。

 真伏は乾いた声音で言った。

「突入チームのあの5人……あれで“西班の精鋭”なら、この先も大した貢献は期待できまい。早めに殉職してくれてよかったくらいだ」

「……それ、本気で言うてるんですか」

「そうだ」

 サバイバルナイフを装備した童子と、ブレードを装備した真伏の視線が交わる。

 童子は鋭い眼光で、真伏を睨んだ。

「人の命より、組織の役に立つとか期待に応えることがそんなに大事ですか?」

「生意気言うなよ」

 真伏は双眸を見開き、童子を睨み返した。

 真伏の苛立いらだちを表すように、ブレードに添えた指先がトントンと柄を叩く。

「童子。俺とお前では考え方が相入れない。これ以上話しても、時間の無駄だ」

「…………」

「だが、これだけは言っておく。俺は、お前よりもずっと組織の役に立っている」

 そう言うと、真伏はくるりときびすを返した。

 ワークブーツを履いた足を踏み出し、休憩スペースを出ていく。

 その後ろ姿を見やって、童子は呟いた。

「……最後のは、どういう意味や……?」

 小さく漏れた疑問に、答えは返らない。

 童子は浅く息を吐くと、ツナギ服の尻ポケットからスマホを取り出した。

 数分前に着信した塩田のメッセージを読み、『今から行く』と返信を打つ。

 そして、夜空を照らす月を隠すように垂れ込めた暗雲を背に、童子は仲間たちの元へと歩き出した。




<STORY:02 END>

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