02・転入生と休暇
東京都木賊区。
快晴の空にチャイムが響き渡る中、インクルシオ東京本部の南班に所属する「童子班」の高校生4人は、木賊第一高校の午後の授業に臨んだ。
この日の5限目は2クラス合同の体育で、1年A組と1年B組の生徒が体操着に着替えて体育館に集まる。
しかし、授業を担当する体育教師が風邪で欠勤した為、生徒たちは前もって自習を告げられていた。
男子生徒はバスケット、女子生徒はバレーボールの準備を行い、軽いストレッチの後、それぞれシュートやトスの練習をする。
「つーかさー。体育の自習なんて、マジメにやるのは最初の5分だけだよな。すでにみんなボールで遊んでるか、床に座って喋ってるじゃん」
「まぁ、仕方がないよ。昼メシを食ったばかりで、体も重いし」
塩田渉がバスケットボールを腹部に抱えて言い、鷹村哲が苦笑して返した。
雨瀬眞白が「先生がいないと、つい眠くなる……」と目を瞬かせる。
すると、バレーボールを小脇に挟んだ最上七葉が、「やっぱり、自習だと身が入らないわね」と言って3人の側にやってきた。
「あ。そうそう。さっきB組の子に聞いたんだけど、今日転入生が入ったそうよ」
「え? マジで? どの子? 可愛い?」
最上の情報に、塩田が体操着姿の女子生徒たちをきょろきょろと見回す。
「残念。女子じゃないわよ。男子生徒で……ほら、あそこにいる人」
そう言って、最上が目を向け、塩田、鷹村、雨瀬が同じ方向を見やった。
体育館の片隅に、板張りの壁に凭れた一人の男子生徒がいる。
やや小柄な体躯の生徒は、うつむき加減でじっと佇んでいた。
「あれ。ぼっちじゃん。転入初日だから、まだ他のクラスメイトと打ち解けていないのかな。……やぁ! こんにちは! 君、転入生なんだって?」
塩田は言うや否や、明るい笑顔を浮かべて男子生徒に歩み寄る。
「童子班」の高校生4人の隣のクラスに転入した生徒──“暴殺”集団『ケレブルム』のメンバーである小瀬木信は、ぴくりと肩を揺らして顔を上げた。
「俺、A組の塩田っていいます! よろしく! こう見えても、“インクルシオ期待の星”と呼ばれる新人対策官なんだ! だから、悪い奴らに絡まれたらいつでも言って! 俺の超強い先輩に頼んでやっつけてもらうから!」
塩田が元気よく自己紹介し、後をついてきた鷹村が「そのセリフ、前にも聞いたぞ」とツッコんだ。
小瀬木の細く小さな目が、眼前に立った二人を凝視する。
「……ああ……。どうも……」
濡れた黒目がぎらりと不気味に光り、塩田と鷹村は無意識に恐怖を感じた。
「……じゃ、じゃあ、またな! 何かわからないことがあったら、遠慮なく訊いてな!」
塩田は右手を上げ、くるりと体を反転して、鷹村と共に小瀬木から離れる。
雨瀬と最上のいる場所まで足早に戻ると、塩田はぐいと首を伸ばして言った。
「いやぁー。今さー、B組の転入生に挨拶したんだけどさー。まだ、かなり緊張してるみたいだったよ。やっぱ、最初はそういうもんかな?」
「………………」
塩田が話しかけた相手──約4ヶ月前にA組に転入してきた半井蛍は、「童子班」の高校生たちの近くで、片膝を立てて床に座っている。
半井は塩田の言葉を無視して、立てた膝に顔を伏せた。
塩田は半井の態度を気にすることなく、「さーて、少しはドリブルの練習でもするかー」とバスケットボールを持ち直す。
やがて、体育館にシューズの擦れる音が鳴り、半井は伏せていた顔をそっと上げて、小瀬木を盗み見た。
午後3時。東京都月白区。
インクルシオ東京本部の幹部である5人のチーフは、到着したエレベーターの扉が開き切る前に、ばたばたと慌ただしく飛び乗った。
北班チーフの芥澤丈一が、7階のボタンを強く叩いて言う。
「クソっ。『ケレブルム』の次は、『キルクルス』かよ。殺人事件が起こった現場は、東雲区と竜胆区か?」
「ああ。東雲の方は、改装中のビルで工事関係者と見られる8人の遺体が発見された。現場の窓ガラスには、サインペンで『キルクルス』と書かれていたそうだ」
東班チーフの望月剛志が管轄内で発生した事件の概要を早口に話し、西班チーフの路木怜司が平坦な声音で続いた。
「竜胆区は、イタリアンレストランの裏口から3人の遺体が見つかりました。遺体の側にあったポリバケツに、同じくサインペンで『キルクルス』と」
中央班チーフの津之江学が眉根を寄せ、南班チーフの大貫武士が険しい表情で頭上の階数表示板を見上げる。
まもなくエレベーターは7階に到着し、黒のジャンパーを着たチーフたちが降りると、長い通路の先に本部長の那智明の姿が見えた。
那智は小走りでやってくる5人に気付き、端正な容貌を歪めて言う。
「……厄介な事件に続いて、更に厄介な事件が起こったな。急いで緊急会議を開く。入ってくれ」
厚みのある会議室の扉を那智が開け、チーフ5人は無言でうなずいて入室した。
午後7時半。
インクルシオ東京本部の隣に建つインクルシオ寮の食堂で、黒のツナギ服を纏った「童子班」の5人は、夕食を取っていた。
対策官たちに人気のインクルシオ特製牛丼をかき込んで、鷹村が言う。
「……いつもはもっと混んでいるのに、さすがに人が少ないな」
「そりゃそうだよ。東班と西班の対策官は、『キルクルス』の事件の現場に出払っているからな」
塩田が大盛りの牛丼を頬張って返し、最上が七味唐辛子の小瓶を持って言った。
「“暴殺”集団『ケレブルム』に、反人間組織『キルクルス』……。別々の組織の事件が、立て続けに東京で起こってしまったわね」
「うん。都内に住む一般の人々は、ニュースを見て戦々恐々としていると思う。人間も、グラウカも……」
雨瀬が紅生姜を摘んだ箸を止めて呟き、特別対策官の童子将也が空になった丼をテーブルに置いた。
「『ケレブルム』の事件は立川支部の管轄内で起こったが、十中八九、23区にも現れるはずや。『キルクルス』と共に、一刻も早う見つけ出して壊滅せなあかん。俺らも、担当エリアの巡回をしっかりとやっていくで」
「はい!!!」
童子の指示に、高校生の新人対策官たちが大きく返事をする。
ほどなくして食事休憩を終えた「童子班」の5人は、食器の乗ったトレーを返却し、揃って食堂を出た。
黒のジープが並ぶ駐車場に向かう途中で、塩田がふと小声で言った。
「……そういや、昼間の転入生さ。ちょっと怖かったな」
「……ああ。確かにな」
塩田の隣を歩いていた鷹村が反応する。
塩田は月の隠れた夜空に目をやり、バツが悪そうな顔で告白した。
「俺、自分から声をかけておいて何だけどさ、あいつとは仲良くなれそうにないな。なんかさ、上手く言えないけど、ああいう目をした奴とは……」
鷹村は鈍色の地面に視線を落として、「わかるよ。俺もだ」と同意する。
二人は短い沈黙の後、遅くなっていた足の速度を上げて、前を行く3人の背中を追いかけた。
翌日。東京駅。
午前の爽やかな陽光が降り注ぐプラットホームに、新幹線が入線した。
車両のドアが滑らかに開き、二人の人物が降り立つ。
茶色がかった髪を手で撫で付けた人物──インクルシオ名古屋支部に所属する特別対策官の速水至恩が、上機嫌な声をあげた。
「あー! 楽しい休暇だー! 4日間、東京で遊ぶぞー!」
「至恩。せっかくだから、後で東京本部に挨拶に寄ろう」
同じく名古屋支部の綱倉佑士が、旅行鞄を肩に掛けて言う。
速水は「ええ〜」と不満げに口角を下げたが、すぐに「ま、別にいいですけど」と気を取り直し、改札口に向かって意気揚々と足を踏み出した。




