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グラウカ  作者: 日下アラタ
STORY:17
133/231

09・優秀と無能

 午後3時。東京都乙女おとめ区。

 高い塀に四方を囲まれたグラウカ収監施設『クストス』の所長室で、インクルシオ立川支部の支部長である曽我部保は、うやうやしく右手を差し出した。

「益川所長。本日は急なアポイントに応じて下さり、ありがとうございます」

「いやいや。曽我部君の訪問とあれば、いつでも時間は作るよ」

 『クストス』の所長の益川誠がにこやかに微笑み、曽我部と握手を交わす。

 二人は艶のあるキャメル色のソファセットに腰掛け、益川は銀色のフレームの眼鏡をかけ直して訊ねた。

「ところで、どのようなご用件でいらしたのかな? 実を言うと、『ニル』の襲撃事件の対応で、心身共に少々疲れていてね……」

「いや、無理もありません。今回の事件の状況は東京本部から聞いておりますが、まずは益川所長の御身おんみがご無事で何よりです」

 曽我部がおもんぱかるように言うと、益川は目を伏せた。

「そう言ってくれて嬉しいが……。私の身代わりに5人のチーフが……。君もインクルシオの仲間として、さぞかし心配だろう」

 益川の沈痛な表情に、曽我部は「ははっ。まさか」と吹き出した。

 きょとんとした益川を笑った顔のままで見やって、曽我部は両手の指を組む。

「……益川所長。唐突で申し訳ありませんが、少しばかり俺の話を聞いて下さい。俺は、物心ついた時から何をやるにも無能な人間でした。しかし、元国会議員の父や現国会議員の兄の威光で、わずかも苦労することなく人生を歩んできました。社会人となって今の地位についてからも、どれだけ失態をしようがクビや左遷はありません。まったく、気楽なものです」

 曽我部は笑顔を崩さず、自嘲気味に言葉を紡いだ。

「俺はそんな風ですが、あの5人のチーフは違うんです。それぞれが非常に優秀で、インクルシオの要である東京本部でバリバリと成果を上げてきました。……俺はね、高い能力と人望を兼ね備えた彼らが、ずっとねたましくてうとましかったんですよ。特に同い年の芥澤と大貫は、顔を見るのも嫌なほどに憎らしかった。だから、大きな声では言えませんが、今回の事件の俺の本音は「ざまーみろ」なんです」

 そう言って、曽我部はいたずらっぽく片目をつぶった。

 益川は話に聞き入っていた姿勢を戻し、息をついて言う。

「……そのような意外な告白を聞くとは、驚いた。曽我部君は、チーフたちに対する複雑な心情があったんだね」

「ええ。そうなんです」

 曽我部は深い同情を見せた益川にうなずくと、スーツの背後にするりと手を回し、腰に差し込んでいたサバイバルナイフを取り出した。

「……!? な、何だね、それは!?」

「ああ。これは、童子のサバイバルナイフです。2本持ってたんで、1本借りました。俺が事前に用意した果物ナイフより、断然切れ味が鋭いと思いまして」

 曽我部が黒の刃を片手に言い、益川が混乱した様子で声をあげる。

「ど、どういうことだね!? 君はチーフたちが死んでも構わないんじゃないのかね!? さっきの話は、そういう意味だろう!?」

 ソファの背にぴたりと体を付けた益川に、曽我部はずいと近寄った。

「はい。その通りです。俺は事件の発生直後、チーフ5人に対して確かに冷ややかな感情でいました。しかし、その一方で、絶対に彼らを失ってはならないとも思ったんです。……何故なら、彼ら5人は世の中の平和を守る為に必要だから。無能な俺では守れない」

 曽我部は言葉を区切り、サバイバルナイフを握り直して低く告げた。

「益川所長。これは懇願ではなく命令だ。今すぐに、『クストス』に収監中の無田大河を釈放しろ。さもないと、俺が貴方を殺す」


 午後4時。

 『クストス』の地下駐車場から、一台の大型バンが密やかに滑り出た。

 黒のバンの後部座席には、反人間組織『ニル』のリーダーである無田大河が両手に拘束具をめた状態で座っている。

 無田は突然の釈放の理由を曽我部から聞き、大人しく窓の外を眺めていた。

 オレンジ色の舎房衣を着た無田を挟むように、東京本部に在籍する特別対策官5人が座っており、北班の時任直輝が思わず小声を漏らす。

「いや、しかし、かなりの無茶をしたな……。曽我部支部長は……」

「うん。そうだねぇ。でもぉ……」

 中央班の影下一平が言葉を濁すと、南班の童子将也がはっきりと言った。

「曽我部支部長がやってへんかったら、俺が同じことをしとった」

 童子はちらりと視線を下げ、曽我部に貸した左腿のサバイバルナイフを見やる。

 東班の芦花詩織が「ええ。私もよ」と栗色のボブヘアを揺らして言い、西班の真伏隼人が「フン。当たり前だ」と荒く息を吐いた。

 特別対策官たちの前方では、曽我部が運転席でハンドルを操りながら、脇に置いたスマホに向かって話している。

 スマホの通話相手である本部長の那智明が、素っ頓狂な声を出した。

『え!? ナイフで脅して無田を釈放させたって!? 待て待て、俺には益川さんと話し合うと言ってたじゃないか!! 何てことを……!!』

「すみません。俺の一存で勝手な行動を取りました。今頃、益川所長は怒り心頭でしょうし、もちろん阿諏訪総長も許さないでしょう。この事件が終わったら、クビでいいですよ」

 那智の悲鳴を聞いて、曽我部は達観したような口調で言う。

『……クソっ。そうはさせるか。こうなったら、何としてもチーフ5人を無事に救出し、『ニル』を壊滅する。全員、こっちに戻ったらすぐに作戦会議を開くぞ』

 那智が大きくため息を吐いて指示を出すと、曽我部は「那智本部長」と真摯な声で呼び掛けた。

「このまま俺に作戦指揮をらせて下さい。特別対策官5人を中心に作戦チームを組み、必ずいい結果を出してみせます」

 曽我部の申し出に、那智は『無論、そのつもりだ。早く戻ってこい』と即答した。

 まっすぐに伸びた片側2車線の道路を、濃い夕日が照らす。

 漆黒の色を纏った大型バンは、美しい茜色の中を、スピードを上げて進んだ。


 午後8時。東京都月白げっぱく区。

 インクルシオ東京本部の南班に所属する「童子班」の5人は、2階の小会議室の長机につき、コンビニエンスストアで購入した弁当を開けた。

 高校生4人の指導担当である童子は、『クストス』から戻った後に無田を地下2階の留置室に入れ、曽我部を指揮官とした作戦会議にのぞんだ。

 作戦会議では各班から15名ずつ、合計75名の対策官を選出した“特別作戦チーム”が組まれ、その中に「童子班」の雨瀬眞白、鷹村哲、塩田渉、最上七葉と、東班に所属する藤丸遼、湯本広大が入った。

 『ニル』の最終コンタクトが予定される時刻まで、5人は腹ごしらえと短い休息を取る。

 電子レンジで温めたチキン南蛮弁当に箸をつけて、塩田が言った。

「ほんと、一時はどうなることかと思ったけどさ。曽我部支部長のおかげで、一筋の光明が見えてきたよな」

「そうね。決して正しいやり方ではないけれど、これでチーフ5人の救出への足掛かりが掴めたわ」

 最上がエビドリアを一口食べ、鷹村が牛丼の容器を持ってぽつりと言う。

「……正直、曽我部支部長にいい印象はなかったんだよな。以前、俺と眞白が『キルクルス』の乙黒阿鼻おとぐろあびの件で聴取された時に、はなから疑うような言い方をされたし……。でも、今回はチーフたちの為に、自分の立場を危うくしてまで動いてくれたんだよな……」

 鷹村は難しい顔で牛丼をかき込み、雨瀬が「疑うことも仕事の内だ。仕方がない」と言って具なしの塩むすびを齧った。

 童子が空になったしょうが焼き弁当に蓋をして言った。

「人は一側面を見ただけでは、善悪は測れへんもんや。置かれた状況や立場によっても、受ける印象はちごてくるしな。今回は曽我部支部長が厳しい局面を打破してくれた。俺らは、そのチャンスを生かすことに専念するのみや」

 童子の言葉に、高校生4人がうなずく。

 そして、時間は刻一刻と過ぎ、時計の針は午後10時を指した。




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