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グラウカ  作者: 日下アラタ
STORY:17
131/239

07・紛糾

 東京都乙女おとめ区。

 正午を少し回った時刻、グラウカ収監施設『クストス』の収監者たちは、清潔感のある白壁に囲まれた食堂につどっていた。

 広々とした食堂には8人掛けのテーブルが並んでおり、配膳口で日替わりのメニューが乗ったトレーを受け取った者から、順次空いている席に座る。

 反人間組織『コルニクス』の元構成員である吉窪由人は、食堂の一番奥のテーブルにつき、好物の唐揚げを前にしてほくそ笑んだ。

「そういえば、お前は唐揚げが好きだったな」

 すると、吉窪の隣の席に、よく見知った人物が座った。

 オレンジ色の舎房衣を着た『コルニクス』の元リーダーの烏野瑛士の姿に、吉窪はどきりと肩を揺らす。

「か、烏野さん。こ、こんにちは」

「…………」

 吉窪のぎこちない挨拶には特に返事を返さず、烏野は箸を手に取った。

 そのまま自分の皿の唐揚げを一つ持ち上げ、吉窪の皿にぽとりと落とす。

「え。い、いや、いいですよ。烏野さんの食べる分が減って……」

「俺は脂っこい食べ物は好きじゃない。いいから、遠慮せずに食え」

 そう言って、烏野はきゅうりとワカメの酢の物が入った小鉢に箸を伸ばした。

 吉窪は「あ、ありがとうございます……!」と礼を言い、香ばしく揚がった唐揚げにいそいそと手をつける。

 二人はしばらく黙って食事をしていたが、ふと烏野が小さく言った。

「……こないだの、『ニル』の無田が言っていた『クストス』の噂話……」

 唐揚げを頬張った吉窪が顔を向け、烏野がなめこと大根の味噌汁を一口啜る。

「あれを信じたわけではないが、どこか薄気味の悪さを感じるな。俺は元々グラウカ支援施設の出身で、身寄りはない。お前も唯一の肉親である母親に捨てられた。ある日突然に病死するのが“天涯孤独の身”の収監者であるなら、俺たちもその条件に当てはまる」

「………………」

 烏野の低く潜めた声に、吉窪の背筋にぞくりと悪寒が走った。

 烏野は顔を青ざめた吉窪を見やり、やや声のトーンを上げて言った。

「……とは言え、今までに病死した収監者の全員が“天涯孤独の身”ではないだろう。噂とは、一部の事実に余計な尾ひれが付くものだ。深く考えても仕方がない」

 烏野は視線を前に戻して、食事を続ける。

 吉窪は「そ、そうですね」と相槌を打ち、心に湧いた不気味な恐怖を振り払うように、最後の唐揚げを勢いよく口に放り込んだ。


 東京都月白げっぱく区。

 反人間組織『ニル』の3度目のコンタクトが途切れた直後、インクルシオ東京本部の最上階にある多目的室は、異様な静けさに包まれた。

 『ニル』のNo.2である辰己顕に南班チーフの大貫武士が刺され、インクルシオ総長の阿諏訪征一郎、本部長の那智明、各班に所属する特別対策官5人、『クストス』の所長の益川誠が、わずかな身じろぎもせずに長机に座っている。

 壁に掛かった時計は正午を半刻ほど回っており、室内の暗澹あんたんとした空気とは正反対に、窓の外には爽やかな晴天の空が広がっていた。

 那智が重たい口をどうにか開こうとした時、南班の童子将也が宙を睨んだまま言った。

「……辰己のナイフの入り方は浅かった。刃の角度から見ても、臓器までは達してへんはずです。こちらの反応を見る為にわざとかもしれませんが、致命傷ではありません」

「……ああ。適切な処置ができる環境ではないだろうが、出血さえ止めれば……」

 北班の時任直輝が硬い表情で同意し、東班の芦花詩織が無言でうなずく。

「うん。今回のはただの見せしめだねぇ。だけど、“次”はこうはいかない」

 中央班の影下一平が低く呟き、その場の全員が深刻に眉根を寄せた。

 グレンチェック柄のスーツを着た益川が、一つ咳払いをして発言する。

「改めて申し上げておくが、今後何が起こっても『クストス』は『ニル』の要求は飲まない。諸君には悪いが、この決定は一歩も譲ることはない」

 その時、ガタンと大きな音が響き、益川の小柄な体が椅子から浮き上がった。

「な、何を……!?」

「よくも、そんな他人事のように冷徹に言えるな!!! 貴方の身代わりとなって、チーフ5人はあそこにいる!!! 本来なら『ニル』に拉致され、命の危険に晒されていたのは、貴方だったんだぞ!!!」

 西班の真伏隼人が益川の胸ぐらを掴んで激昂し、阿諏訪と那智が「ま、真伏!」と驚いて立ち上がる。

 益川はぎりぎりと締め上げる真伏の腕を掴み返し、掠れた声で叫んだ。

「……チ、チーフたちの身が心配なら、『ニル』の拠点を見つけ出して壊滅すればいい! それが君たちの仕事だろう! この5年間、『ニル』の残党を捕まえずにみすみす野放しにしていたのは、そっちの怠慢じゃないのかね!」

「……何だと……!」

 真伏が更に怒りを増して手に力を込め、時任が「真伏さん! 落ち着いて下さい!」と慌てて横から止めに入る。

 それぞれの感情が爆発して一気に紛糾した室内に、那智が怒鳴り声をあげた。

「真伏っ! 今すぐに手を離せ! さもないと、この件からお前を外す!」

 那智の警告を聞き、真伏はぴくりと体を揺らして手を離す。

 那智は肩で大きく息をつき、濃い疲労が浮かんだ顔で告げた。

「……この場は解散だ。特別対策官5人は、引き続き『ニル』の捜査にあたれ」


 午後1時。

 インクルシオ東京本部の南班に所属する「童子班」の高校生4人は、インクルシオ寮の食堂で昼食を済ませ、東京本部の建物に戻ってきた。

 明るい光が差し込むエントランスをくぐり、足早にエレベーターに乗り込む。

 オフィスのある3階に到着すると、隣のエレベーターから童子が降りてきた。

「……童子さん!」

「お前ら……」

 偶然に鉢合わせた5人は、他の対策官や職員の往来の妨げにならないように、エレベーターホールの隅に寄る。

 黒のツナギ服に身を包んだ高校生たちは、『ニル』のコンタクトで緊急招集されていた童子を見上げ、その重々しい表情に思わず息を呑んだ。

「……お前ら、昼飯はちゃんと食うてきたな」

 童子は高校生たちに確認するように言い、短く逡巡して、「……まもなく那智本部長から全対策官に知らせがあるが、先に伝えておく」と話を切り出した。

「大貫チーフが、『ニル』の辰己にナイフで刺された」

「──っ!!!!!」

 雨瀬眞白、鷹村哲、塩田渉が目を見開き、最上七葉が両手で口を覆う。

 童子は顔面蒼白になった高校生4人を見やって、言葉を付け加えた。

「せやけど、傷は浅い。なるべく早う治療せなあかんが、これで大事に至ることはあらへん。……それと、もう一つ。俺らには差し迫った問題がある」

 童子が双眸を険しく細め、高校生たちは恐る恐る聞いた。

「『ニル』は交渉の期限を決めた。回答のリミットは今日の22時や。そこで奴らの要求を退しりぞけた場合は……今度こそ、チーフ5人が殺される」

 エレベーターホールのスリットガラスから、まぶしい太陽光が漏れる。

 「童子班」の5人は身を固くして、足元を照らす光の中にじっと佇んだ。

 

 同刻。

 インクルシオ東京本部の最上階にある総長室で、阿諏訪は頭を下げた。

「益川さん。先ほどの真伏の無礼、どうかお許し下さい。実は拉致された5人の中に彼の父親がおりまして、普段の冷静さを欠いていたようで……」

 黒革製のソファセットに腰掛けた阿諏訪の向いには、益川が座っている。

 益川は「ああ。そうだったんですか。別に構いませんよ」と言って、乱れたワイシャツの襟元を直した。

「それより、ここ数年、うちの収監者を“病死”させすぎましたかな。いやはや、阿諏訪さんの要望に応えていると、ついついペースが上がってしまう」

「いや、ご無理を言って申し訳ありません。しかし、グラウカの“特異体”探しは、私にとって重要な案件です。今後も変わらずお願いしたいと……」

「ええ。承知していますよ。50年前から、『インクルシオ』、『クストス』、『アルカ』は表と裏の両方で手を繋いできました。私も、“彼女”の能力を復活させたいですしね」

 そう言って、益川はゆったりとした笑みを浮かべる。

阿諏訪灰根あすわはいねの人体実験……。我々人間が不死を探究するロマンはもちろんのこと、『死からの蘇生』を繰り返す彼女の姿に魅了されたのは、幼少期の貴方だけではありません。これからも、協力は惜しみませんよ」

 頬を紅潮させた益川の言葉に、阿諏訪は「有り難い限りです」と微笑んだ。

 そして、二人のトップはソファから立ち上がり、しっかりと握手を交わした。




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