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グラウカ  作者: 日下アラタ
STORY:02
13/231

06・乗り越えるもの

 午後3時。東京都木賊とくさ区。

 5人の対策官の犠牲が出た、インクルシオ東京本部の西班の突入から3日後。

 それまで頻発していた“人喰い”事件はぱたりと止んだ。

「今のところ、新たな事件は起きていないが、“人喰い”が捕まっていないことで世間の不安はますます高まっている。なるべく多くの対策官が街に巡回に出るようにと、上からの要請があった」

 インクルシオの黒のジープの助手席で、南班に所属する薮内士郎が言った。

 薮内は33歳のベテラン対策官である。

「だから、わざわざ俺らの高校まで迎えに来たんスね」

 狭い車内でブレードとサバイバルナイフを腰に装備しながら、塩田渉が言う。

「ツナギ服と武器も用意されてて驚いたわ。学校のトイレで着替えるのは、ちょっと変な感じがしたけど……」

 最上七葉が畳んだカーディガンとスカートが入った紙袋を横目で見た。

 鷹村哲と雨瀬眞白も、高校の制服から黒のツナギ服に着替えてジープの後部座席に座っていた。

 薮内は浅くため息を吐いて言った。

「まぁ、先日の突入失敗の一件があるからな。汚名返上のパフォーマンスってわけじゃないが、今は少しでも多く外に出て活動しないとな」

 薮内の言葉に、高校生たちが神妙な顔でうなずく。 

 運転席でハンドルを握る特別対策官の童子将也に、薮内が顔を向けた。

「そういや、童子。普段の巡回は、新人4人で固まって回ってるのか?」

「いえ。最初の一ヶ月はそうでしたけど、今は2人ずつに分けてます。コンビの組み合わせは毎回変えて、俺はどっちかのコンビについて巡回しています」

「そうか。だったら今回もそれでいこう。上は世間体を考慮して対策官を街に散らしたいだろうから、俺とお前は単独で巡回しよう」

「わかりました」

 童子は薮内の提案を了承した。

 黒のジープは南班の管轄の一つである不言いわぬ区に向かっている。

 童子はバックミラーに映る高校生たちを見やって言った。

不言いわぬ区に着いたら、雨瀬と鷹村は本町1丁目から5丁目。塩田と最上は駅前の商店街の巡回を担当や。俺はその周辺のエリアを回っとるから、何かあったらすぐに緊急連絡を入れろ。ええな?」

「はい!」

 童子の指示に、高校生の新人対策官たちは声を揃えて返事をした。


 不言いわぬ区の区役所の前で、雨瀬と鷹村はジープを降りた。

 幼少期から不言いわぬ区で育った二人にとって、この辺りはよく見知った場所だった。

「よし。行くか。大通りより、人通りの少ない路地裏を回った方がいいな」

「うん」

 二人は表情を引き締めると、区役所前の広場から歩き出した。

 鷹村はブレードとサバイバルナイフを腰に下げ、雨瀬はバタフライナイフをツナギ服の胸ポケットに入れている。

 二人が一時間ほど担当地区を巡回し、空が薄いオレンジ色に染まってきた頃。

 鷹村はふと顔を上げて言った。

「……あそこの路地を抜けたら、区民図書館の裏通りに出るな」

 鷹村の言葉に、雨瀬は数メートル先の細い路地に目をやった。

 ──今から2年半前。中学生の二人が“人喰い”に遭遇した区民図書館の裏通り。

 あの出来事をきっかけに、雨瀬と鷹村の『道』は大きく変わった。

「区民図書館は住所で言うと本町じゃないけど、巡回ついでに行ってみるか」

 鷹村はごく軽い口調で言う。

 しかし、どこか真剣味を帯びたその眼差しに、雨瀬は「うん」と静かに返した。

 あの日以来、二人は区民図書館に近寄っていなかった。

(……別に、わざと避けてたわけじゃねぇけど)

 それでも、無意識に足が遠ざかっていた感は否めず、鷹村は自嘲気味に笑った。

 鷹村と雨瀬は細い路地を抜け、区民図書館の裏通りに出た。

 アスファルトで舗装された道路は三叉路になっており、区民図書館、文化会館、商工会議所が隣接している。

 三つの建物の裏側にあたるひっそりとした場所は、昼間でも人通りはほとんどない。

 鷹村は区民図書館を囲む鈍色にびいろの鉄柵に近付き、感慨深げに言った。

「ここの柵ってこんなに低かったっけ? 俺らが成長したのかな?」

「そうだよ。二人共、随分と大きくなった」

「──!!!」

 急に背後からかけられた声に、雨瀬と鷹村が振り返る。

 そこには、身長190センチの大柄な男が立っていた。

 男は肩まで伸びた長髪をなびかせて言う。

「ここに来たら、君たちに会える気がして。この3日間、通い続けた甲斐があったよ。……さぁ。“あの日”からずっと心待ちにしていた逢瀬だ。君たちを思う存分に味わわせてくれ」

 そう言って目を細めた男──“人喰い”鏑木良悟は、口角を限界まで引き上げて、鋭利に尖る歯列を剥き出しにした。


「──哲っ!」

 雨瀬は短く叫ぶと、鏑木に向かって走り出した。

 インクルシオの黒のツナギ服の胸ポケットからバタフライナイフを抜き取り、鏑木の眼前で勢いをつけて振り抜く。

 鏑木は左腕を上げて、雨瀬の鋭い一撃を受け止めた。

 ベージュのジャケットの袖が真横に裂け、露出した肌から鮮血が噴き出す。

 黒の刃のバタフライナイフは腕の中ほどで止まり、傷口から上がった白い蒸気が鏑木と雨瀬の間に立ち込めた。

(──今だ!)

 鏑木の視界が白煙で覆われた隙に、鷹村はツナギ服の尻ポケットに手を入れてスマホを取り出す。

 スマホの通話履歴を素早く開き、童子に発信してワンコールで切った。

(緊急連絡のメッセージを打ち込んでいる暇はない! でも、きっと童子さんなら着信だけで気付く!)

 雨瀬と鷹村がいる場所はスマホのGPS機能で特定できる。

 あとは、童子がなるべく近くにいることを頭の片隅で祈ると、鷹村はスマホを尻ポケットに戻し、ブレードを収めた黒革製の鞘に手をかけた。

 鏑木の左腕から上がった白い蒸気が空中に四散し、雨瀬がバタフライナイフを抜き取る。

 それと同時に、鏑木は長い腕をぬっと伸ばして、雨瀬の細い首を掴んだ。

「……くっ……!」

 雨瀬は屈強な五指から逃れようと身をよじるが、びくともしない。

 鏑木は両手で雨瀬の首を絞め上げながら言った。

「グラウカの君は、簡単には殺せないからね。先に喰べるのは、あの黒髪の子だ」

「……そんなことは……絶対にさせない……っ!」

 雨瀬が鏑木をきつく睨み付ける。

「でも、ちょっとだけ」

 そう言って、鏑木はニヤリと笑うと、目にも留まらぬ速さで雨瀬の頬に噛みついた。

「く……ああああああぁぁぁぁっ!!!!!!」

 鏑木の獰猛どうもうな歯が、雨瀬の頰の肉を喰いちぎる。

 鏑木が更にその柔らかな肉をむさぼろうと大口を開けた時、雨瀬の両腕がジャケットを着た胴体に回った。

「……!?」

 頰からおびただしい血を流し、もうもうと白い蒸気を上げた雨瀬が、渾身の力で鏑木の体を押さえ付ける。

 その狙いを察した鏑木が咄嗟とっさに背後に振り向いた──次の瞬間。

 音もなくしなった黒の刀身のブレードが、鏑木の右側頭部に埋まった。

「ぐあああぁぁああぁぁぁああぁっ!!!!!!!」

 鏑木が大声で絶叫し、長い手足が激しく痙攣する。

「──!!!」

 しかし、鷹村は驚愕に目をみはった。

 鷹村が放った会心の一太刀は、鏑木が右手でガードしていた。

 インクルシオの刻印の入ったブレードは鏑木の右手首を斬り落としたが、その分狙った頭部に進入する威力がわずかに削がれ、グラウカの弱点である脳下垂体に到達するには至らなかった。

「……眞白! いったん離れろ!」

 ブレードを引き抜いた鷹村が大きく舌打ちをして叫ぶ。

 雨瀬は鏑木の体に回した両腕を解き、急いでその場から離れた。

「大丈夫か!?」

「うん」

 頰から首元にかけて血にまみれた雨瀬の側に鷹村が走り寄る。

 鏑木は二人を見やると、体をふらつかせて言った。

「……君たち。なかなかやるじゃないか。正直、甘く見ていたよ」

 右側頭部と右手首から血を垂らし、大量の白い蒸気に包まれた“人喰い”の姿に、雨瀬と鷹村の背筋が戦慄わななく。

 鏑木は穏やかな笑みをたたえて言った。

「……初めて会った時、君たちはただの無謀で無力な中学生だった。だけど、今は勇敢で強いインクルシオ対策官になった。本当に、よく成長したね」

 鏑木がゆっくりと足を踏み出す。

 鷹村はブレードの柄を強く握り、雨瀬はバタフライナイフを持ち直した。

「もう、決して油断はしないよ。今度こそ、君たちを喰らう」

 鏑木の笑みが深くなり、二人のこめかみに一筋の汗が流れ落ちた。

 ──その時。

 トスっという音と共に、鏑木の眉間に1本のサバイバルナイフが刺さった。

「……………………ん?」

 唐突な出来事に鏑木が目を丸くしていると、路地の奥から走り込んできた一つの影が、上体を低くしていた鷹村の背中に片手をついて跳躍した。

 そのまま空中で体をひねり、鏑木の眉間に刺さった黒の刃に強烈な膝蹴りを入れる。

 ゴキャッという低い音が辺りに響き、一気に押し込まれたサバイバルナイフの刃が鏑木の頭部を貫通した。

「が……っ…………あ…………!!!!!!!!」

 その一撃に脳下垂体を破壊された鏑木が、白眼を剥いて仰向けに倒れる。

 地面に着地した影が、低い声で呟いた。

「もう寝ろや。“人喰い”」

「──童子さん!!!!!」

 鷹村と雨瀬が大きく叫んだ。

 振り返った影──黒のツナギ服を纏った童子が、「大丈夫か?」と二人の側に駆け寄る。

「……なんとか、大丈夫です」

「……僕も」

 童子が来たことで、鷹村と雨瀬は深く安堵して膝に手をついた。

 今になって足がガクガクと震える。

 童子は三叉路のアスファルトに残る大量の血痕に目をやった。

 雨瀬と鷹村に視線を戻すと、二人の頭を優しく叩く。

「……ようやった」

 童子の静かな声が、二人の胸にじわりと沁み入る。

 雨瀬と鷹村は無言のまま、小さくうなずいた。

 

 それからほどなくして、区民図書館の裏通りに南班の対策官が集まり、“人喰い”鏑木良悟の遺体は速やかに回収された。

 因縁の相手との死闘を乗り越えた雨瀬と鷹村は、黒のジープに乗り、夕陽が照らす中をインクルシオ東京本部へと戻っていった。




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