04・『クストス』の収監者たち
東京都乙女区。
四方を高い塀に囲まれたグラウカ収監施設『クストス』は、平日の午後3時から午後6時まで、収監者たちの自由時間が設けられている。
自由時間には図書室で読書をする者、レクリエーション室で各種ボードゲームに興じる者、週替わりのカルチャー教室で俳句や書道を習う者等、それぞれが気の向くままに過ごしていた。
オレンジ色の舎房衣を着た反人間組織『コルニクス』の元構成員である吉窪由人は、この日の自由時間、いつものように図書室で本をめくっていた。
吉窪は6人掛けの机に座り、真剣な眼差しでプログラミングの教本を読み込む。
すると、吉窪の向かいに一人の人物が座った。
「由人。久しぶりだな」
「……! か、烏野さん……!」
聞き慣れた声に顔を上げた吉窪は、同じ色の舎房衣を着た人物──『コルニクス』の元リーダーである烏野瑛士の姿に目を瞠った。
烏野率いる『コルニクス』は、長年“人間専門”の人身売買を生業としてきたが、吉窪の裏切りによりインクルシオに壊滅された。
そういった経緯から、心中で僅かな後ろめたさを感じていた吉窪は、こうした自由時間になるべく烏野と鉢合わせないように気を配っていた。
かつては金色に染めた吉窪の黒髪の間から、汗が流れ落ちる。
烏野は以前と変わらぬ怜悧な容貌を向け、ゆっくりと足を組んで言った。
「そう緊張するな。俺は『コルニクス』を裏切ったお前を、別に恨んではいない」
「!」
烏野の言葉に、吉窪は大きく肩を揺らす。
烏野はモスグリーンのカーテンが閉まった窓に目をやり、静かな声で話した。
「お前は小5の時、実の母親に『コルニクス』に売られた。だが、雑用係として組織の仕事を手伝いながらも、お前の心の奥底にはずっと深い葛藤があった。俺は何年も側で見ていたから、その苦しみがわかっていた」
「…………」
「結局、お前の心は“影”より“光”を求めた。それが本質というのなら、この結果は仕方がない」
そう言って、烏野は小さくため息を吐く。
吉窪は唇を噛んで下を向き、やがて意を決したように口を開いた。
「……烏野さん。長い間お世話になったのに、すみません」
「……お前は十分に組織に尽くした。謝る必要はない」
烏野が素気なく返し、二人は向かい合ったまま暫く沈黙した。
そこに、別の収監者から明るい声がかかった。
「よぉ。あんたは、確か『コルニクス』の烏野瑛士だったよな?」
ひと気の少ない図書室に野太い声が響き、烏野と吉窪が振り返る。
伸ばした髪を後ろで結んだ大柄な男が、大股で近付いてにかりと笑った。
「俺は、『ニル』という反人間組織のリーダーの無田大河だ。5年前にドジっちまってインクルシオに捕まり、それ以来ここに収監されている。『コルニクス』の壊滅は、テレビのニュースで知って驚いたぜ。なんとなく、あんたは賢く立ち回っていそうな印象だったからな」
反人間組織『ニル』のリーダーである無田大河は、ぺらぺらと喋りながら、机の椅子を引いて腰掛ける。
烏野は切れ長の双眸を無田に向け、「……俺たちに何か用か?」と訊ねた。
「いや。大きな声では言えねぇんだけど、ちょっと聞いて欲しい話があってな」
無田はキョロキョロと周囲を見回して、上体を屈める。
烏野と吉窪が怪訝な表情を浮かべると、無田は小声で二人に言った。
「誰に話してもあまり相手にされないんだけどさ。実は、5年前に俺と一緒に捕まったうちの幹部二人が、去年と一昨年に相次いで病死したんだ」
グラウカは『アンゲルス』ホルモンの作用により、外傷に対する優れた再生能力を発揮するが、病気や老いに関しては人間と同じである。
烏野は眉根を寄せて、「……それがどうかしたか?」と訊いた。
無田は舎房衣の襟元から数字の『0』のタトゥーを覗かせて、密やかに囁いた。
「……昔から、『クストス』にはまことしやかな噂があるんだ。“身寄りのない収監者は、ある日突然病死する”ってな。俺もただの噂話なら信じねぇが、共に脳梗塞で死んだうちの幹部二人は、どっちも身寄りがなかったんだ」
東京都月白区。
午後7時を回った時刻、インクルシオ東京本部の最上階の多目的室に、複数の人影が慌ただしく入室した。
チーフ5人の拉致事件が発生した翌日、インクルシオの代表電話に『ニル』のNo.2の辰己顕からコンタクトが入った。
待ち構えていた接触に、総長の阿諏訪征一郎、本部長の那智明、各班に所属する特別対策官5人が長机に着席する。
『クストス』の所長である益川誠は、パソコンのモニター越しに待機していた。
多目的室に置かれた大型テレビの画面に、スマホを持った辰己の姿が映る。
『ははっ。こりゃあ、インクルシオのみなさんがお揃いで。先に言っておくが、俺のスマホは特殊な物だ。位置情報を調べようたって、無駄だからな』
「ああ。わかっている。それより、うちのチーフたちは全員無事か?」
濃紺のスーツを着た那智が訊き、辰己はにやりと口角を上げた。
『まぁ、今のところは無事だ。この先はわからねぇがな』
辰己の嗜虐的な笑みに、西班の真伏隼人が長机に身を乗り出して警告する。
「貴様……っ! 人質に指一本でも触れてみろ……っ! 八つ裂きにしてやる……!!!」
『おお。怖いな。だが、それはそっちの動き次第だ』
辰己が大仰に肩を竦め、那智がテレビの画面を睨んで訊いた。
「……お前たちの要求は、何だ?」
『そんなの、わかりきったことだ。『クストス』に収監されている、『ニル』のリーダーの無田大河の釈放だ』
辰己が即答し、多目的室の室内がしんと静まる。
那智が「それは……」と言いかけると、辰己は言葉を遮った。
『返答は明日に聞く。それまでに、『クストス』の所長とよく話し合うんだな』
そう告げて、辰己はテレビ電話の状態にしたスマホをぶつりと切った。
途端に暗くなった大型テレビの画面から、全員が一台のパソコンに視線を移す。
重たい注目を浴びた益川が、モニターの中で一つ咳払いをした。
『……無田大河の刑期は75年だ。つまり、ほぼ一生出てこれない。このような重犯罪者を野放しにするわけにはいかない。ましてや、反人間組織の脅しに屈して要求に応じるなど、決してあってはならないことだ。……残念だが、『クストス』の所長として、この要求は断固拒否する』
同刻。
インクルシオ東京本部の3階のオフィスで、南班に所属する「童子班」の高校生4人は、デスクのノートパソコンに向かっていた。
夕食どきのこの時間、普段は人もまばらなオフィスには、各班に所属する大勢の対策官が忙しく行き来している。
黒のツナギ服を纏った対策官たちは、チーフ5人が拉致された『ニル』の拠点を突き止めるべく、寸暇を惜しんで必死に捜査をしていた。
「……『ニル』からのコンタクト、どうなったかな……」
『ニル』の過去の捜査資料を読んでいた塩田渉がふと呟き、鷹村哲、雨瀬眞白、最上七葉が手を止める。
塩田はノートパソコンに目を落としたまま、消え入るような声で言った。
「……『ニル』の要求……。もし、それを受けなかったら……チーフたちは……」
悲愴に顔を歪めた塩田に、他の3人が唇を固く引き結ぶ。
「……今は、余計なことを考えるのはよそう」
鷹村が低く声を絞り出し、それ以上の会話は続かず、4人は再び『ニル』の捜査に没頭していった。
同刻。
東京都立川市。
インクルシオ立川支部の支部長である曽我部保は、執務室の窓辺に立った。
上質な生地で仕立てられたスラックスのポケットに、乱暴に両手を突っ込む。
「……バカ野郎共が、格好つけやがって……」
曽我部は一人きりの執務室で苦々しく言い、窓の外に広がる黒暗の空をきつく睨んだ。




