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グラウカ  作者: 日下アラタ
STORY:17
126/239

02・人質

 午後3時。東京都乙女おとめ区。

 都会の真ん中に佇む赤レンガ造りの洋館は、雑誌の撮影やウェディング会場に多く利用される3階建ての建物である。

 敷地内には手入れの行き届いた庭園があり、季節の花々を眺めながら立食パーティ等を楽しむことができた。

 インクルシオ東京本部の幹部である5人のチーフは、それぞれしわのないスーツに身を包み、油絵の個展が開催されている館内に足を踏み入れた。

「わぁ。けっこう人が来ていますね。財界人や政界関係者の姿もちらほら見えますよ」

「益川さんは顔が広いな。さすが、長年『クストス』の所長を務めるだけある」

 中央班チーフの津之江学が周囲を見回し、東班チーフの望月剛志がネクタイを締め直す。

「益川さんの個展は初めて来たが、噂にたがわず油絵の腕前は素晴らしいな。この風景画、光と影のコントラストとどこか寂しげな色彩が心を揺さぶって……」

「大貫ぃ。無理してコメントしてんじゃねぇよ。俺らに絵のよさがわかるわけねぇだろ」

 南班チーフの大貫武士が通路の壁に展示された作品を見上げ、北班チーフの芥澤丈一が口端を上げて毒づいた。

 西班チーフの路木怜司が「そうですね。芸術というものは、よく理解できません」と無表情で同意し、5人は扉が開け放されたメインの展示部屋に進んだ。

「……あ? お前たちも来たのか?」

 すると、多くの招待客で賑わう瀟洒しょうしゃな部屋で、インクルシオ立川支部の支部長である曽我部保そがべたもつが振り向いた。

「何だよ。曽我部じゃねぇか。お前、こんなところに来ている場合なのかよ?」

 曽我部とは犬猿の仲の芥澤が、ずかずかと側に歩み寄って訊く。

 先日の乾エイジの襲撃事件により、立川支部に大きな打撃を受けた曽我部は、「……付き合いだから仕方がない。すぐに帰る」と不機嫌な声で返した。

 そこに、壁際に固まった6人が見知った人物が現れた。

「これはこれは、インクルシオの幹部のみなさん。私の個展にようこそ」

「益川さん。ご無沙汰しております」

 うぐいす色のスーツにアスコットタイを巻いた人物──グラウカ収監施設『クストス』の所長の益川誠が笑顔を浮かべ、6人が揃って挨拶をする。

 益川は小柄な体を曽我部に向けると、銀フレームの眼鏡の奥の双眸を細めた。

「曽我部君も、大変な時によく来てくれたね。お父さんとお兄さんにも久しくお会いしていないが、是非よろしく伝えてくれ」

 元国会議員の父と現職の国会議員の兄を持つ曽我部は、「ええ。わかりました」とやや視線を下げて返事をする。

 そのまま腕時計にちらりと目をやり、「……では、俺は仕事があるのでこれで」と会釈をして展示部屋を後にした。

 曽我部の背中を見送った益川は、くるりと前に向き直って言った。

「さぁ、みなさん。そこのテラスを出た庭園には、フレンチビュッフェを用意している。私の絵を見るだけではつまらないだろうから、旨い料理を存分に堪能してくれたまえ」


 その後、インクルシオの5人のチーフは青空の下のビュッフェで小腹を満たし、再び屋内に戻ってきた。

「さてと。メシを食う用事は済んだし、そろそろ帰るとするか」

 芥澤が腹部をさすって言い、大貫が「こ、こら。声が大きい」と慌てる。

 路木が「まだ全ての絵を見ていませんが、義理は果たしたと言えるでしょう」と出口に足を向け、望月と津之江が続いた──その時。

 緑の生垣に囲まれた庭園に、テーブルの倒れる派手な音が響いた。

 同時に「きゃああっ!」と悲鳴が上がり、チーフたちが振り返る。

 テラスと展示部屋を隔てるガラスの壁が割れ、そこから複数の男が勢いよく中に飛び込んできた。

「この個展の主催者の益川誠はどこだ!!! 大人しく奴を出せ!!!」

「──!!!!」

 ナイフを手にした15人ほどの男が部屋の中央に立ち、その体に彫られた数字の『0』のタトゥーを見たチーフ5人が一斉に反応する。

「あれは……!!! 反人間組織『ニル』……!!!」

「首筋にタトゥーがある男は、No.2の辰己顕です!!!」

 望月が掠れた声で言い、津之江が目を見開いて叫んだ。 

 突然の事態に辺りが一気に騒然とする中、大貫と芥澤はトイレから戻ってきた益川を咄嗟とっさに通路に押し出した。

「……な、何だ!? 大きな音と声がしたが、何が起こったんだ!?」

「反人間組織が襲撃してきました! 益川さん、貴方の身が狙われています! ……急いでここに入って下さい!」

 そう言うや否や、大貫は階段下の収納スペースの戸を開けて益川を隠す。

 芥澤は展示部屋に目を向け、鋭く舌打ちをした。

「……チッ。『ニル』のクソ野郎共は、この洋館を隅々まで家探しするに違いない。益川さんをどこに隠したって、一時しのぎにしかならねぇ。それに、東京本部に緊急連絡を入れても、対策官が到着するまでに招待客が殺される。……こうなったら、打つ手は一つしかねぇ」

 芥澤がうなるように言い、大貫が「ああ」と低く返す。

 展示部屋の扉付近に立つ望月、津之江、路木が視線を寄越し、5人は無言でうなずき合った。

「おい!!! さっさと益川を出せ!!! 早くしねぇと、お前ら全員を殺す!!!」

 反人間組織『ニル』のNo.2である辰己顕が、ガラスの破片を踏んで怒鳴る。

 顔を引きらせて震え上がる招待客の間から、のんびりとした声がかかった。

「あー。そんなに興奮すんなよ。益川さんなら、30分ほど前に腹痛を訴えて病院に向かった。だから、もうここにはいねぇぞ」

「……ああ!? 誰だ、お前は!?」

 右手にナイフを下げた辰己が顔を向け、芥澤が招待客の前にのそりと出る。

 その後ろに、スーツ姿の4人の人物が並んだ。

「俺らは、インクルシオ東京本部のチーフ職につく者……いわゆる幹部だよ」

「!」

 芥澤の回答に、辰己の肩がぴくりと動く。

 芥澤はスラックスのポケットに両手を入れ、眼前の男たちを睨んで言った。

「益川さんはいねぇが、お前らもわざわざ襲撃に来て手ぶらじゃ帰れねぇだろう。だから、俺らを人質にして連れていけ。ここで闇雲に招待客を皆殺しにするより、ずっと有意義だし“使える”ぞ」


 東京都不言いわぬ区。

 午後3時半を少し回った時刻、インクルシオ東京本部の南班に所属する「童子班」の5人は、住宅街の巡回任務を行っていた。

 黒のツナギ服を纏った高校生たちは、塩田渉と最上七葉、鷹村哲と雨瀬眞白の2組に分かれ、それぞれの担当エリアを見回る。

 指導担当である特別対策官の童子将也は、鷹村と雨瀬のペアについていた。

「そう言えば、吉窪に手紙の返事は書いたんか?」

 巡回途中で小さな公園に寄り、自動販売機で缶コーヒーを購入した童子がふと訊ねた。

 動物を模した遊具にまたがった鷹村が、緑茶のペットボトルを開けて答える。

「はい。すぐに書いて出しました。よっちゃんは唯一の肉親である母親と絶縁状態だから、『クストス』に面会に来てくれる人がいない。俺らじゃその寂しさを埋められないかもしれないけど、手紙のやりとりで少しでも元気付けられたらいいなと思って……」

 そう言って、鷹村が緑茶を一口飲み、隣の遊具に座る雨瀬が「うん」と両手に包んだホットレモネードに目を落とした。

 童子は公園の長閑のどかな風景を見やって言う。

「たとえ血の繋がらへん他人であっても、気にかけてくれる人がおったら孤独やない。お前らのおかげで、吉窪は十分に幸せやと思うで」

 童子の優しい言葉に、鷹村と雨瀬は照れ臭そうに笑みを浮かべた。

 そこに、小さな電子音が鳴った。

 童子はツナギ服の尻ポケットからスマホを取り出し、画面をタップして、東京本部に在籍する特別対策官宛てに届いたメールを開く。

「……!」

 瞬時に童子の顔色が変わり、鷹村と雨瀬ににわかに緊張が走った。

「……な、何かあったんですか?」

 鷹村が訊き、童子はスマホをしまって早口に言う。

「反人間組織『ニル』に、大貫チーフを始めとする全班のチーフが拉致された。塩田と最上にコインパーキングに来るように連絡を入れろ。急いで本部に戻るで」

「──っ!!!!」

 童子の説明を聞き、高校生二人は驚愕に息を詰まらせた。

 童子はコーヒーの空き缶をダストボックスに放り投げ、険しい眼差しで走り出す。

 鷹村と雨瀬は、言葉を失ったまま、その後を懸命に追った。




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