01・手紙と個展
東京都乙女区。
高い壁が四方に聳え立つグラウカ収容施設『クストス』は、反人間組織の構成員や重犯罪者のグラウカを収容する施設である。
白を基調とした清潔感のある建物は、その全てに高強度の建材が使用されており、グラウカ特有の超パワーをもってしても打ち破ることは叶わない。
一度『クストス』に収容されたグラウカは、裁判を経て自身の刑期を終えるまで、大人しく獄中生活を送る他なかった。
「ああ? こんな時間に呼び出して、説教かぁ?」
「いいから、入りなさい」
午前1時を回った時刻、オレンジ色の舎房衣を着た収容者の男が、3人の刑務官に連れられてドアの前に立った。
前日に些細なことから別の収容者と取っ組み合いの喧嘩となった男は、両手に拘束具を嵌め、刑務官が開いたドアを渋々と潜る。
独居房での就寝中に突然起こされた男は、前方を不機嫌に睨んで言った。
「……そんで、何の用だよ? おっさん」
窓のブラインドを閉め切った部屋の執務机につく人物──『クストス』の所長である益川誠が、オフィスチェアを回してこちらを向く。
益川は62歳で、銀フレームの眼鏡をかけた小柄な人物であった。
「ええと。収容者番号2027番。君は埼玉県のグラウカ支援施設の出身で、面会に来る家族のいない、天涯孤独の身だね?」
「は?」
手にした資料をゆったりとめくった益川に、男は片眉を上げる。
拘束具のチェーンがガチャリと重たい音を立て、筋肉質な男が「……だったら、何だよ?」と不穏に足を踏み出した時。
益川は目尻に刻まれた皺を寄せ、妖しく微笑んで告げた。
「じゃあ、君は“心臓発作”で」
11月中旬。東京都月白区。
『厚生省特殊外郭機関インクルシオ』東京本部の南班に所属する「童子班」の5人は、初冬の肌寒さを感じる非番の日、インクルシオ寮の2階の一室に集っていた。
キルリストの個人最上位に載る乾エイジの襲撃により、パフォーマンス集団『ミラクルム』とインクルシオ立川支部の対策官が殺害された事件から数日が経ち、高校生の新人対策官たちは任務と鍛錬に専念する日々を送っていた。
しかし、反人間組織『イマゴ』の実態解明の機会を逃し、多くの仲間を失った出来事は、高校生4人の心を強く打ちのめした。
そんな中、指導担当につく特別対策官の童子将也は、やや表情を曇らせた4人に声をかけ、寮の自室でたこ焼きパーティを開いた。
あつあつで香ばしいたこ焼きを頬張り、高校生たちの顔が徐々に綻ぶ。
「……うんまい! やっぱり、童子さんのたこ焼きはサイコーだよ!」
「童子さんが作るたこ焼きを食べるのは、けっこう久しぶりだな。7月の『インクルシオ夏祭り』以来か? 相変わらず、何個でもいける旨さだな」
ラフな私服姿の塩田渉が笑顔を浮かべ、鷹村哲が蒸気の立つたこ焼きをはふはふと齧った。
「確か、その前は闇タコだった……。みんなが入れた食材の味を思い出す……」
「雨瀬。それは早く忘れなさい。それにしても、このたこ焼きのタコ、弾力と旨味がすごいわ。今までに食べたことがないくらいに、美味しい」
雨瀬眞白が小皿を持って青ざめ、最上七葉が口元に手を当てて言う。
二頭の虎がプリントされたTシャツにジャージを履いた童子が、たこ焼き用のピックでタネを返して答えた。
「それ、明石の真蛸やねん。お前らに旨いタコを食わせてやりたくて、通販で取り寄せたんや」
「え? わざわざ、俺らの為に……?」
塩田が箸を止め、他の3人が顔を上げる。
童子が「最近、お前らの元気がなかったからな」と言うと、高校生たちは「ど、童子さん〜!」と揃って感極まった。
出来たてのたこ焼きが次々となくなり、全員が満腹の息をついた頃、ウーロン茶に手を伸ばした鷹村が「あ!」と声をあげた。
「そうだ。これ、みんなに見せようと思って……」
そう言って、鷹村はジーンズのポケットから一通の封書を取り出す。
隣に座る雨瀬が「うん」とうなずき、鷹村は封書の中身をテーブルの上に差し出した。
雨瀬と鷹村の連名の宛名が書かれた白い便せんを、童子、塩田、最上が覗き込む。
「これは……」
「ええ。『クストス』に収監中の、よっちゃんからの手紙です」
童子が小さく言い、鷹村が静かな眼差しで返した。
よっちゃん──吉窪由人は、グラウカであり、雨瀬と鷹村の小学校時代の幼馴染である。
吉窪は人身売買を生業とする反人間組織『コルニクス』の構成員であったが、改心の末にインクルシオに捜査協力をし、組織を壊滅に追い込んだ。
その後、裁判が行われて結審し、『クストス』の9年間の収監が確定した。
「吉窪の収監期間は9年だっけ? 捜査協力をしてくれたのに、長いなぁ」
塩田が腕を組んで唇を尖らせ、最上が「そうね」と同意する。
童子は近況報告の書かれた検閲済みの手紙に目を落として言った。
「反人間組織に属したグラウカは、それだけでぐんと罪が重くなる。9年という数字は、おそらく吉窪も納得しとるやろう」
たこ焼きパーティで賑わった部屋に、ふとしんみりとした空気が流れる。
雨瀬は癖のついた白髪を揺らし、眼前の手紙を慈しむように見つめて言った。
「よっちゃんが『クストス』から出られるまで、長い時間がかかります。でも、それは未来へ進む為の必要な時間です。僕と哲は幼馴染として、いつまでもよっちゃんを待っています」
翌日。午前9時。
インクルシオ東京本部の最上階にある会議室で幹部会議が開かれた。
定例の会議は滞りなく進み、各班の捜査状況等を共有した後、30分ほどで散会となった。
「おーい。みんな、ちょっと待ってくれ」
ライトグレーのスーツに身を包んだ本部長の那智明が、会議室の扉から通路に出た5人のチーフを呼び止めた。
チーフたちは足を止めて振り返り、那智が側に歩み寄る。
「さっきの会議で言い忘れたが、全員、益川さんの個展の招待状は来てるよな?」
「あー。『クストス』の所長の? それって、明日だっけ?」
東班チーフの望月剛志が会議資料を脇に挟んで返し、北班チーフの芥澤丈一が警戒するように訊いた。
「招待状は貰っているが、別に俺らが行く必要はねぇだろ?」
「いや。俺と総長がスケジュールの都合で行けないから、せめてお前たちだけでも顔を出して欲しい。益川さんが趣味で描いている油絵の個展とはいえ、『クストス』の所長とは良好な関係を保っておきたいからな」
那智が首を振り、芥澤は「ええ〜。仕事でクソ忙しいのに、面倒臭ぇなぁ」と大仰に顔を顰めた。
「まぁまぁ。益川さんは学生時代から油絵を描いてきて、その腕前はかなりのものらしいですよ。これもお付き合いだし、息抜きがてらに行きましょうよ」
「……そうだな。ここのところ、『イマゴ』の件で神経がピリピリしていたし、多少の気分転換は必要かもしれないな」
中央班チーフの津之江学が穏やかな口調で宥め、南班チーフの大貫武士が角刈りの頭を指で掻く。
西班チーフの路木怜司は、「僕は、どっちでも」と平坦な声で言った。
「個展の会場は、ウェディングでも使われる庭付きの洋館だ。明日は立食形式の軽食もあるそうだから、インクルシオの幹部として一時間だけでも行ってきてくれ」
那智の情報を聞き、芥澤は「仕方ねぇなぁ。芸術には興味はねぇが、さくっとメシだけ食ってくるか」と肩を竦めた。
そして、黒のジャンパーを着た5人のチーフは、仕事に戻るべく通路を歩き出した。
午前2時。
反人間組織『ニル』のNo.2である辰己顕は、ホテルの窓から外を眺めた。
眼下に広がる東京の景色は、真夜中でも真昼のように明るく輝いている。
「………………」
辰己は数字の『0』のタトゥーを入れた首筋を、無骨な手でゆっくりと撫でた。
窓に反射するもう片方の手には、銀フレームの眼鏡をかけた人物の顔写真が入った、一枚の個展のチラシが握られていた。




