10・憤りと後任
東京都月白区。
午後4時半を10分ほど回った時刻、インクルシオ東京本部の7階の会議室で、緊急の幹部会議が開かれた。
インクルシオ立川支部の支部長である曽我部保から入った凶報に、楕円形の会議テーブルを囲む全員が唇を真一文字に結んで沈黙する。
濃紺のスーツを纏った本部長の那智明が、睨むような眼差しで言った。
「……曽我部支部長の話によると、立川支部の対策官23人、『ミラクルム』の団員21人が、僅か15分足らずの間に殺害された。現場となった交差点周辺の防犯カメラには、大型バイクに乗った乾エイジの姿が映っていたそうだ」
那智の報告に、北班チーフの芥澤丈一が「……クソが」と低く呟く。
東班チーフの望月剛志が、眉間に深く皺を寄せて言った。
「……『ミラクルム』の団員たちは、『イマゴ』の情報を漏らさない為に“口封じ”されたな」
「ええ。そうでしょうね。即ち、インクルシオのキルリストの個人最上位に載る乾エイジは、反人間組織『イマゴ』の一員だったということです」
中央班チーフの津之江学が重たい表情で返し、南班チーフの大貫武士が「乾なら、きっと幹部クラス……いや、『イマゴ』のリーダーであってもおかしくはない」と硬い声を漏らした。
西班チーフの路木怜司が、指に挟んだボールペンを回してふと独りごちた。
「立川ニューアリーナから立川支部まで、細い道や裏道等を含めれば、護送車が通るルートはいくつかある。移動距離も大して長くはない。そんな中、乾はピンポイントで護送車を見つけて襲撃した。まるで、前もってルートを知っていたかのように」
「………………」
路木が口にした疑問に、各班のチーフが揃って黙る。
望月が「もしかしたら、乾は最初から会場内にいたのかもしれない。それで、『ミラクルム』が拘束されて、その後をつけてきたとか……」と推察し、芥澤が「可能性は多々ある。護送車の走行ルートの漏洩も含めて、今は立川支部の検証を待つしかねぇ」と顔を顰めた。
インクルシオ総長の阿諏訪征一郎が、両手の指を組んで口を開いた。
「諸君。反人間組織『イマゴ』の構成員を拘束したとの喜ばしい一報から、事態は最悪に転じた。だが、決して立川支部の護送体制に問題はなかった。偏に、乾エイジが現れたことが、今回の重大なる結果を招いた原因だと言えるだろう。我々は痛恨の犠牲を払ったが、その代わりに乾が『イマゴ』に関わる人物であるとわかった。殉職した23人の対策官の為にも、この情報を無駄にはせず、必ずや『イマゴ』を壊滅に追い込んで欲しい」
阿諏訪の重厚な声が、しんと静まった会議室に響く。
幹部たちはしっかりと首肯し、一斉に椅子から立ち上がった。
東京都立川市。
立川ニューアリーナから5キロほど離れた地点にある幹線道路の交差点は、立ち入り禁止の標識テープを巻いたロードコーンが置かれ、片側2車線の内の1車線が広い範囲で通行止めとなっていた。
鈍色の道路の上には、倒れた10台のバイク、ドアが開きっぱなしの2台のジープ、無人の護送車が血の海の中に停車している。
まもなく午後5時になろうとする時刻、インクルシオ東京本部の南班に所属する「童子班」の高校生4人は、遺体の殆どが搬送された凄惨な現場にじっと佇んでいた。
「……お前ら、大丈夫か?」
身じろぎもせずにアスファルトを見つめる高校生たちに、特別対策官の童子将也が心配するように顔を向ける。
ネイビーのパーカーにジーンズを履いた鷹村哲が、掠れた声で返した。
「……すみません。まだ、この状況が信じられなくて……」
鷹村の隣に立つ雨瀬眞白、塩田渉、最上七葉が、力なく下を向く。
中央班に所属する特別対策官の影下一平が、高校生たちに歩み寄って言った。
「みんなの気持ちは、痛いほどわかるよぉ。ここにいる誰もが、この光景を信じれられないし、信じたくないはずだぁ」
影下と「童子班」の5人の周囲では、黒のツナギ服を着た立川支部の対策官たちが、最小限の会話だけを交わして黙々と動き回っている。
奇妙な静寂に包まれた現場に、高校生4人は深い悲しみを覚えた。
すると、少し離れた場所で、大きな声があがった。
「……た、立川支部の仲間が、に、23人も……! あああああ……っ!」
立川支部に所属する上尾瞬が、迫り上がる感情を抑えきれずに地面に崩れ、振り返った高校生たちが「あ、上尾さん……!」と駆け寄る。
上尾は上体を折り曲げて、アスファルトを両手で思い切り叩いた。
「な、なんでだよぉ! まさか、乾エイジが襲撃してくるなんて、思うわけないじゃないか! あの乾が、敵も味方も全員を殺すなんて……! そんなの……!」
上尾の悲痛な叫びに、高校生たちは涙目になって膝をつく。
童子と影下は、黙ったまま、拳を強く握り締めた。
そこに、上尾の従兄弟であり、立川支部の先輩でもある兼田理志が、大股でゆっくりと近付いた。
「……瞬。俺たちは、まだやることがある。立ち上がって、現場の処理を進めろ」
「なんで、そんなに冷静に……! サッちゃん……!」
兼田の淡々とした指示を聞き、上尾が咎めるように顔を上げる。
兼田はすぐに背中を向け、微かに震える声で言った。
「……お前も対策官なら、己の務めを果たせ。泣くことも、憤ることも、その後だ」
東京都木賊区。
繁華街の路地裏にあるグラウカ限定入店の『BARロサエ』で、インクルシオ東京本部の西班に所属する特別対策官の真伏隼人は、カウンターのスツールに腰掛けていた。
真伏に出されたホットコーヒーのカップの横には、少し前に特別対策官宛ての緊急連絡が着信したスマホが置かれている。
店のママであるリリーが、開店前の準備をしながら言った。
「……結局、穂刈は乾を行かせたか。先日のお前の進言が効いたようだな」
リリー──元インクルシオ対策官である玉井理比人は、ペティナイフでライムをカットしてシニカルに笑う。
真伏はコーヒーカップを持ち上げ、無言で一口飲んだ。
「さぁて。きっと、今夜は飲み会になるわよ。さしずめ、殺人計画をしくじった『ミラクルム』と、インクルシオ対策官23人をまとめて始末した“お疲れ様会”って感じかしら? 穂刈リーダーから連絡が来るだろうから、2階のビップルームを押さえておかなくちゃ」
リリーは口調を変え、オネエの厚化粧を施した顔でおどけるように言う。
真伏はコーヒーカップを置いてスツールから立ち上がると、ダークグリーンのジャケットを羽織り、言葉を返すことなく店を出ていった。
東京都月白区。
窓の外の空が群青から漆黒に変わった時刻、反人間組織『イマゴ』のリーダーである穂刈潤は、古びた木造アパートの部屋で微笑んだ。
「エイジ。今回は、本当によくやってくれた。ありがとう」
緩やかなウェーブのかかった黒髪を揺らして礼を言った穂刈に、テーブルの向かいに座る乾エイジが「ああ」と短く返事をする。
穂刈は上機嫌な様子で、いそいそとノートパソコンを操作した。
「……何だ? これから、リリーんとこに飲みに行くんじゃないのか?」
「うん。行くよ。その前にね、後任を決めておこうと思って」
短髪を燻んだシルバーブルーに染めた乾の問いに、穂刈が答える。
乾が「後任?」と聞き返すと、穂刈は丸メガネの奥の双眸を上げた。
「そう。樺沢さんは、『イマゴ』の5人の幹部の一人だった。今回の件で、その席が空いたからね。僕は以前から、新たな幹部を任命するとしたら彼が適任だと思っていたんだ」
穂刈はノートパソコンを横に向けて乾に示し、画面に映った若い青年を見やる。
「彼は小学生の頃から韮江先生の教えをよく理解し、忠実に実践してきた。残虐性、攻撃性共に、『イマゴ』の幹部に相応しい人物だ。……というわけで、これからよろしくね」
穂刈が声をかけると、画面の中の青年がぴんと背筋を伸ばした。
「はい。穂刈リーダー、乾さんのお役に立てるよう、今後ますます人間の抹殺に邁進していきます。こちらこそ、どうぞよろしくお願いします」
そう言って、清らかな笑顔を浮かべたのは、左目の下に泣きぼくろのある青年──リリーの実弟の玉井礼央だった。
<STORY:16 END>




