07・役目と期待
東京都木賊区。
夜の帳に包まれたグラウカ限定入店の『BARロサエ』で、インクルシオ東京本部の西班に所属する特別対策官の真伏隼人は、ダウンライトが照らすカウンターのスツールに腰掛けていた。
真伏の隣には、ラベンダー色のロングカーディガンを羽織った店のママのリリーが座っている。
まもなく午前4時になろうとする時刻、真伏は淹れたてのホットコーヒーを前に鋭い声音で訊いた。
「……元インクルシオ対策官とは、一体どういうことだ?」
真伏の質問に、リリーは自分のコーヒーを一口飲み、ゆっくりと口を開く。
「ああ。そのままの意味だよ。俺は今28歳だが、18歳でインクルシオ対策官になって21歳で辞めた。所属は東京本部の西班だったから、お前とは2年間も一緒だったんだぜ?」
「……西班!? 確か、あんたの本名は山田滋と聞いている。そんな名前の対策官はいなかった。それに、いくら化粧をしていても元同僚ならわかる。だが、その顔には見覚えがない。……いや。そもそも、あんたはグラウカだろう? 雨瀬眞白が入るまで、インクルシオにグラウカの対策官は存在していない」
真伏は怪訝に眉間を寄せ、次々と湧く疑問をぶつける。
リリーは長い付け睫毛を瞬かせて、可笑しそうに笑った。
「はは。インクルシオNo.3の実力者と名高い真伏隼人も、さすがに混乱しているようだな。まぁ、とりあえず、一つずつ答えていこうか」
そう言って、リリーは長く節ばった両手の指を組み合わせた。
「まずは、“山田滋”と“グラウカ”は、真っ赤な嘘だ。俺の本当の名前は、玉井理比人。お前と同じく人間だ。だが、このグラウカ限定入店のバーを作るにあたって、偽名を名乗り、グラウカ登録証を偽造した。それと、元対策官とバレないように、顔は骨から削って大掛かりに整形した。その上に、“オネエのママ”として厚化粧を塗り、声をトーンを上げて女言葉を使った。……これらは全て、この店で『イマゴ』の情報を集め、奴らに接触する為だ」
リリーの説明に、真伏は驚いた表情で声を漏らす。
「……玉井理比人……。あんたは、あの玉井さんだったのか……」
「ふふ。思い出したか? お前は中3で対策官になって西班に配属されたが、当時から愛想のない勝ち気な性格だったな。それに、路木チーフの息子ということもあって、周囲からはやや距離を置かれていた。だけど、俺はお前の“孤高の生意気さ”がけっこう好きだったよ」
「……。それより、オネエを演じてまで、何故『イマゴ』との接触を?」
真伏はバツが悪そうにリリーから目を逸らすと、コーヒーカップに手を伸ばした。
リリーは「別に、オネエは無理してるわけじゃないぜ。元々、女装には興味があったし、男も女もどっちもいけるクチだったから」と軽い調子で告白し、ブラウスの胸元に隠れたロケットペンダントを取り出した。
銀製の小さな蓋を開け、一人の少年が写っている写真を真伏に見せる。
「この写真は、俺の弟が小学生の頃に撮ったものだ。名前は玉井礼央。礼央は俺より6歳年下の現在22歳。そして、うちは兄弟が多いんだが、礼央だけが4歳児検診でグラウカだと判明した」
「……そうですか。グラウカは人間の突然変異種だ。そういうケースは、珍しくはない」
真伏は左目の下に泣きぼくろのある少年を見やり、コーヒーを啜った。
リリーは「ああ。そうだな」と静かに返して、言葉を続けた。
「俺の両親や兄弟たちは、礼央がグラウカでも関係なく愛した。しかし、礼央は小学校でクラスメイトにいじめられた。あいつは気弱で優しい性格だったのに、ただグラウカというだけで、周囲から差別やいじめの対象にされたんだ。……そんな時だ。礼央が小4になると、家に帰ってくる時間が遅くなった。理由を訊いても、はっきりとは答えない。ついには小6で家出をしたんだが、残されたランドセルから出てきたのは、「進むべき『道』を見つけた」と書かれたメモと、韮江光彦が開催する“相談会”のチラシだった」
「……!」
「その直後、韮江は『グラウカ至上主義』の思想犯としてインクルシオに拘束された。更に1年後には、反人間組織『イマゴ』が出現し、『クストス』に収監中の韮江が『イマゴ』との関わりを仄めかす供述を口にした。その時、対策官だった俺は強く直感したんだ。礼央は、『イマゴ』に加入したに違いないと」
「…………」
リリーの話に、真伏はコーヒーカップを置き、黙って聞き入る。
「……それから俺は、インクルシオを辞めてこの店を作った。『イマゴ』の情報が集まるかどうかは賭けだったが、オープン後ほどなくして、穂刈潤が訪れるようになった。その頃、反人間組織の色々な噂話を知る“情報通のママ”になっていた俺は、客である穂刈と仲良くなっていくうちに、奴自身から『イマゴ』のリーダーだと知らされた。それを聞いて、俺は内心で有頂天になったよ。その後は、穂刈を信用させる為に様々な情報を流し、殺人計画に加担し、店を『イマゴ』のメンバーの会合の場に提供した。そうして、俺が『イマゴ』の正式なメンバーになったのは、今から4年前の24歳の時だった」
そこまで話して、リリーは深く息を吐いた。
美しく整った横顔に、悲しみと苦しみの入り混じった色が見え隠れする。
真伏は薄々に察していることを、敢えて訊ねた。
「……あんたが、『イマゴ』に加入した目的は? 組織の内部にいるかもしれない弟を見つけたとしたら、どうするつもりだ?」
「……残酷な質問だな」
リリーは口端を僅かに上げて笑い、すぐに真顔に戻って答えた。
「俺は、元対策官として『イマゴ』を追ったわけじゃない。ただ、個人的な役目を果たしたい一心でここまでやってきた。もし、礼央が『イマゴ』の一員で、無差別に人間を殺しているのなら。……兄である俺が、この手で殺す。それだけだ」
午前8時。東京都月白区。
インクルシオ東京本部の1階のエントランスで、真伏は欠伸を噛み殺した。
明け方に『BARロサエ』を出てインクルシオ寮に戻り、1時間ほどの睡眠を取ったが、十分に足りたとは言い難い。
真伏が重たい頭を振ってふと視線を上げると、エレベーターホールの前に、西班チーフの路木怜司の姿が見えた。
この時間、路木はテイクアウト用のコーヒーを片手に、5階にある執務室に上がることが多い。
真伏は路木を見かける度に声をかけ、少しでも親子の交流を持とうとした。
(……たとえ、父さんの方にはそんな気がなくても。俺は……)
真伏は表情を引き締め、「路木チーフ。おはようございます」と言って、しっかりとした足取りで路木の側に歩み寄る。
路木は視線を横に向け、「おはよう」と抑揚のない声で返した。
「現在、立川支部が捜査している『イマゴ』は、まだ有力な手掛かりが掴めていないようですね。しかし、必ずや俺が『イマゴ』の全容を暴き、壊滅に追い込んでみせます。どうか期待していて下さい」
真伏の力強い宣言に、路木は「……前にも聞いたな」と小さく呟き、「ああ。期待している」と前方を見たままでうなずいた。
その表情に微塵も期待の感情がないことを、真伏は心中で受け入れる。
そして、「はい! ありがとうございます!」と背筋を伸ばして言うと、路木の下から颯爽と歩き去った。
午後8時。
インクルシオ東京本部の隣に建つインクルシオ寮の食堂で、南班に所属する「童子班」の5人は、夕食を終えて一息ついた。
塩田渉がスウェットのポケットから一枚のチケットを取り出し、テーブルの上に置く。
カラフルなデザインのチケットには、11月10日の日付が記載されていた。
「いよいよ、明日は『ミラクルム』の公演かぁ。すげぇ楽しみだけど……」
塩田は途中まで言いかけて止め、チケットを見つめて項垂れる。
同じテーブルにつく鷹村哲、雨瀬眞白、最上七葉が、塩田と同様にうつむいた。
咆哮する虎がプリントされたシャツを着た特別対策官の童子将也が、沈んだ顔の高校生たちを見やって言った。
「俺らが『ミラクルム』の公演を観に行く日までに、『イマゴ』を壊滅できへんかったんは残念や。せやけど、奴らの尻尾を掴むまで、俺らは決して捜査の手を緩めることはあらへん。……せやから、下を向いて落ち込むんは少しだけにして、また気合いを入れて頑張っていこや」
童子の気遣いのこもった言葉に、高校生たちはばっと勢いよく顔を上げる。
新人対策官4人の「はい!!!」という大きな返事が、食堂の隅々まで響き渡った。




