表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
グラウカ  作者: 日下アラタ
STORY:02
12/231

05・突入

 午後5時半。東京都月白げっぱく区。

 インクルシオ東京本部の2階の小会議室に、南班に所属する特別対策官の童子将也が入室した。

 コの字型に長机が配置された室内には、すでに「童子班」の新人対策官4人が着席している。

 童子はパイプ椅子を引いて座ると、“人喰い”鏑木良悟の突入に関する最新情報を共有した。

「西班が掴んだ鏑木の拠点は、水縹みはなだ区の商店街にある精肉店や。この店は経営不振で今年の3月末に閉店しとる。店の経営者の所在は不明。現在、西班の7名の突入チームが現場に向かっとる。突入の予定時刻は午後6時や」

 黒のツナギ服を着た鷹村哲が手を上げた。

「西班の突入チームは、誰が行ってるんですか?」

 鷹村の隣に座る塩田渉がすかさず口を挟む。

「そりゃあ、何と言っても特別対策官の真伏さんだろ。あとは、腕のいい対策官じゃね?」

 最上七葉が「そうね」と言い、雨瀬眞白が「うん」とうなずいた。

 童子は手元のスマホに目を落として答えた。

「俺のとこに来た情報やと、真伏さんの他に5名の対策官……名前を見ると、西班の精鋭を揃えたな。それと現場オペレーターが1名や」

「……特別対策官と精鋭で突入なら、“人喰い”相手でも大丈夫かな……」

 鷹村が顎に手を当てて呟く。

 童子はスマホを長机に置いて言った。

「楽観視すんのはあかんけどな。まぁ、それでも、真伏さんがおるなら大丈夫やろ。あの人は強いから」

 

 午後5時55分。東京都水縹みはなだ区。

 “人喰い”鏑木良悟が潜伏する精肉店から100メートルほど離れた雑居ビルの裏手に、インクルシオの黒のジープが停まっていた。

 ジープの後方に集まった西班の突入チームに、真伏隼人が指示を出す。

「本部からの情報では、今日、鏑木が精肉店から出た形跡はない。つまり、確実に中にいるということだ。インクルシオの威信にかけて必ず奴を仕留めろ。いいな」

 対策官たちは表情を引き締めて、「はい!」と返事をした。

 頭上に広がる空に、濃い群青が広がり始める。

 真伏はちらりと腕時計を見やった。

「──よし。時間だ。行ってこい」

 真伏の合図を機に、5人の対策官はジープの脇を通り抜けて精肉店に向かった。

 ジープの荷台でノートパソコンを操作していた女性のオペレーターが振り向く。

「真伏さんは、行かないんですか?」

 真伏は短く息を吐いて笑った。

「この程度の相手なら、俺が行くまでもない。あいつらで十分だ」


 精肉店に到着した対策官たちは、裏口の窓を開けて中に侵入した。

 電気の点いていない薄暗い部屋で、突入チームの一人である大楠雄二おおくすゆうじが他の4人を手招いた。

「俺らが今いる場所が、精肉の作業場だ。前方に店舗。2階が住居。事前の打ち合わせ通り、タケとイツキが1階。残りは2階に進むぞ」

 大楠の言葉に、対策官たちが「了解」と小声で応じる。

 作業場にはステンレス製の什器じゅうき、作業台、スライサー、大型冷蔵庫などが所狭しと置かれており、身動きの取りづらい場所であった。

「……寒いな」

 足を進めようとした武井海斗たけいかいとが、ぶるりと身を震わせた。

 ワークブーツを履いた足元に異様な寒気を感じる。

「あそこ。冷凍室の扉が開いてるぞ」

 作業場の西側にある冷凍室を、河野一樹こうのいつきが指差した。

 3畳ほどの広さがある冷凍室は、鉄製の扉が10センチほど開いており、その隙間から白い冷気が漏れていた。

「まるで、ドライアイスだな」

 大楠は足音を立てないように冷凍室の扉に近付く。

 すると、冷凍室の前に『何か』が見えた。

「──!!!」

 大楠は大きく目を見開いた。

 そこには、おびただしい血にまみれた経営者の男性が倒れていた。

 口髭くちひげをたくわえた男性は、喉を喰いちぎられて息絶えている。

(……血がまだ流れている! 経営者の男性は殺されたばかりだ!)

 大楠はワークブーツを滑らせて、勢いよく振り向いた。

 ──その時。

 作業場と店舗を隔てるコンクリートの壁が、轟音を立てて崩壊した。

 壁際にあった大型の什器じゅうきが倒れ、金物や作業道具が床に散乱する。

「ぐあぁぁっ……!!!」

 3人の対策官が什器じゅうきの下敷きとなり、悲鳴をあげた。

「お前らっ!!!」

 暗がりの作業場に大量のほこりが立ちのぼる。

 そこに、壁に穴を開けた人物が現れた。

 上背のある長髪の人物──“人喰い”鏑木良悟は、コンクリートの破片が散らばる床に片膝をつき、什器じゅうきに足を挟まれた河野の前髪を掴んだ。

「イツキ!!!」

 そのまま、大きな口を開け、河野の額に噛み付く。

 ゴキゴキゴキと頭蓋の砕ける音が鳴り、河野の全身が激しく痙攣した。

「──“人喰い”ぃぃぃっ!!!!!」

 大楠は黒革製の鞘からブレードを引き抜いた。

 大楠の右耳に装着した通信機器からオペレーターの応答要請の声が聞こえる。

 だが、それに構っている余裕は微塵もなかった。

 

 午後6時半。東京都月白げっぱく区。

 インクルシオ東京本部に凶報が入った。

 “人喰い”鏑木良悟の拠点に突入した西班の対策官5名の死亡に、2階の小会議室で結果を待っていた「童子班」の全員が言葉を失った。

「……マジかよ……」

 塩田が呆然とした表情で呟く。

「……対策官が5名も犠牲になった上に“人喰い”に逃げられたなんて、信じられない結果だわ」

 最上が唇を震わせて言った。

「──………………」

 雨瀬と鷹村は、緊急連絡が着信したスマホを無言で見つめている。

 童子は黙ったまま腕を組み、机上の一点を睨んで思考を巡らした。

(……鏑木は待ち伏せしとった。奴はわざと防犯カメラに映って、対策官を精肉店に誘い込んだんや。そもそも、あの精肉店は拠点でも何でもない。これまでの鏑木の慎重な行動を考えればわかることやったのに、功を焦って奴の計略にめられてしもた。これは、完全にこちら側の落ち度や)

 童子の組んだ腕に自然と力が入る。

(……それでも、真伏さんが他の対策官と一緒に突入しとったら、こんな結果にはならんかった。鏑木の奇襲があったにせよ、犠牲者の数は減らせたはずや。何故、あの人は自ら先陣を切って突入せんかったんや……?)

 応えの返らない疑問に、童子はきつく唇を噛んだ。 

 重苦しい沈黙に包まれた室内は、壁に掛かった時計の針の音だけがいつまでも響いていた。


 同刻。

 西班チーフの路木怜司は、本部長の那智明からの内線に応対していた。

「ええ。はい。はい。そうですね」

 路木は相槌を打ちながら、執務室の窓に目を向ける。

 ブラインドの隙間から覗く空は、濃い藍色に染まっていた。

 路木は一つため息を吐くと、感情のこもらない声で言った。

「あれの悪い癖が出ました。手駒が減りましたが、仕方ないですね」


 午後9時。東京都水縹みはなだ区。

 自宅のあるマンションに戻った鏑木は、シャワーを浴び、リビングのソファに身を沈めてテレビをつけた。

 ニュース番組では、『インクルシオ対策官突入失敗か? 5人が殺害される』と大々的に報道されている。

 鏑木はテレビの画面を眺めて独りごちた。

「……もしかしたら、“あの二人”が来るかもしれないって期待したんだけどな。管轄が違ったか。なかなか上手くはいかないな」

 鏑木はリモコンを持ち上げてテレビを消すと、テーブルに置いたスマホに手を伸ばした。

 スマホの待ち受け画面には、空五倍子うつぶし区の児童公園が写っている。

 鏑木は画面の中に佇む二人の対策官を愛おしく見つめた。

「さて。次の手を考えるか。どうやったら、君たちに会えるかな」

 そう言うと、鏑木は口元にあふれたよだれを手で拭った。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ